妹は与える人で、私は奪う人回答受付中
母に言われた言葉が、ずっと私を苦しめています。「妹は与える人だけど、あんたは奪う人だね」その言葉を聞いてから、友人からプレゼントをもらったりしたとき、奪ってしまっていると、相手は私のせいで貧しくなってしまうんじゃないかと、心配と申し訳なさと、悲しさで泣いてしまいます。
現在就活中で、できるか不安になって、母に相談に乗ってもらい、頼ってしまっているときも、あんたは頼るだけで、こっちに気を遣わないと言われ、また私は奪うだけの存在なんだなとおもいました。
人に好意でプレゼントをもらったり、母から仕送りの食材を送ってもらったとき、私は返せるものが何があるだろうと悩み、素直に喜べなくなりました。
私が何が返せるかわからない今、人に相談したり、頼ることが申し訳なくなり、全部自分で抱えるしかないと考えるようになりました。
最初に書かせていただいた、私は奪う子だからという言葉が、思い出すたびに苦しいです。どうしたら、与える人になれますか?
お坊さんからの回答 4件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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頼る先を持つこと。与える・奪うではなく、生きるための繋がり。
そんなことないよ。親からそんなことを言われたのね。奪うだなんて言い方…悲しいよね。それはお母さんの偏った見方であって、人に頼るって必要なことなのよ。みんなそうやって助け合って、支え合って、生きています。だから「奪う」なんて言い方は適切ではないわ。
あなたの存在は、多くの人を笑顔にしていますよ。あなたが誕生した日から、皆あなたから幸せを与えてもらったのよ。お母さんだって、あなたから与えられたはずなのに。忘れちゃったのかしらね。
お母さんの言葉に振り回されなくていいのよ。プレゼントは、あなたへの贈り物なんだから、喜んで受け取ればいい。それが相手への感謝ですよ。
大人として自立するには、頼る先をたくさん持つということ。それは「与える・奪う」ではなく、生きるための繋がりなのです。迷惑をかけている、恩を返さなきゃと考えてしまうのではなく、支えてくれる人や優しさを向けてくれる人が周りにいることを、喜んでいきましょう。
目に見えてわかる形だけが、「与える」ではないよ。周りに目を向けていける、誰かを想うことも、あなたが与える優しさなのよ。
奪う人だなんて、あなたに失礼だよね。
お母さんの言葉より、ハスノハであなたに向けられるお坊さん達の言葉を大切に受け取っていきましょうね。
あなたは、奪う人ではありません。
ご相談くださり、本当にありがとうございます。
あなたが抱えてこられた心の痛みは、簡単な慰めの言葉では届かないほど深く、大きなものだと感じます。
「奪う人間だ」と言われ、それが自分の存在そのものに刻み込まれてしまったその言葉に縛られながら、人に頼ることや感謝を素直に表すことすら苦しくなってしまった…。
どれほど孤独な気持ちで日々を過ごしてこられたことでしょう。
まず、はっきり申し上げます。あなたは、決して「奪う人」ではありません。
「与える」とは、物を渡すことだけではありません。
仏教では、「布施(ふせ)」という教えがあります。布施とは「与えること」、つまり他者のために自分の何かを差し出す行為を指しますが、それは必ずしもお金や物とは限りません。
仏教には、様々なお布施が存在します。ここで、3つのお布施について紹介したいと思います。
眼施(げんせ)=やさしいまなざしを向けること。怖がらせない、拒絶しない目で人に接すること。
和顔施(わげんせ)=穏やかな笑顔で接すること。誰かの不安を和らげるような、温かい表情。
言辞施(ごんじんせ)=やさしい言葉、ねぎらいの言葉をかけること。励まし、共感、感謝の気持ちを伝えること。
これらは、お金も物も必要としないけれど、人の心を豊かにする“最高の贈り物です。
そして、あなたが相談文の中で見せてくださった「相手を思う心」「申し訳なさ」「悲しみ」それらの感情は、すでに「他者を思いやる心」であり、布施の芽があなたの中に育っている証だと思います。
誰かからプレゼントをもらったとき、
「私は奪っているのではないか」
「返せるものがない」
そう思ってしまう気持ち、痛いほどわかります。でも、与えることは“見返り”を求めてなされるものではありません。与える人の喜びは、「相手の喜ぶ顔」にあるのです。
ですから、まずは「ありがとう」「うれしい」という笑顔や言葉こそが、最大の「お返し」になります。つまり、あなたはすでに「与える人」になれる種をたくさん持っているのです。
仏教では、人は過去によって決まる存在ではなく、「今、どう生きようとしているか」がすべてであると、ときます。
「奪う」ではなく、「与えたい」と思うその気持ちこそが、あなたの真実です。
あなたは、既に慈悲に満ちた素晴らしい人です。自分を信じてください。
思いやりを向けて受け取ること
ゆめ 様 相談ありがとうございます。
まず、お母様の言動から精神的に離れて自立する自分をイメージしましょう。
そして、お母様と友達は違うと思うようにしてください。お母様のイメージが対人関係に影響しているからです。
あなたの脳内の自分を責める声は、ほぼほぼお母様の声で、お母様の姿をしていませんか?私は返せるものが何があるだろうと悩んでいるときも、喜べなくなる時も、出来ない自分を責めているのは、幼き頃からつくられた母親のイメージがあなたを責めているのでしょう。
だからこそ、お母様のイメージから離れて自立するのです。
どうやって?
幼い時からの自分を慰め、癒し、自分の存在そのものを、
「頑張って生きてきた」「私はそれでいいんだよ」
「サバイブしてきた」「もう何も心は縛らなくていい」
「自分は自分。母と違っていいんだ」と認めることです。
何度も何度も自分の心に呟き、自分を許し、そして自分に思いやりや優しさを向けて、心の温かさを感じることです。
こうしてだんだんとあなたは、友人にこれまで以上に優しさに溢れ、思いやりを向けることができるようになっていくでしょう。
もちろん素直に、友人をはじめとした信頼できる人から、素直に思いやりを受け取ることができるでしょう。
ただ、独りで難しいときは、信頼できる人(親友やセラピストなど)を頼って、
あなた自身を癒やしてもらい、優しさや思いやりを向けてもらって、心のあたたかさを感じるようにしましょう。
希望は捨てない。必ずできます。やがて喜びにあふれるようになるでしょう。
私はそう思います。参考にしてください。一礼
わけ合えば
拝読させて頂きました。
お母様から「妹は与える人だけど、あんたは奪う人だね」と言われてあなたは大変なショックを受けてこられたのですね。あなたは自分のことをそう思ってしまってとても辛い思いをなさっておられるのですね。詳細なあなたのことやご家族の皆さんのことはわからないですけれども、あなたのそのお気持ち心よりお察しします。
お母様がどのようなお気持ちでそのようにおっしゃっておられるのか定かではありませんし、あなたとお母様と妹さんの関係性が今までどうであったのかわからないです。
それでもあなたは今まで生きてきたことは決して「奪う人」だけであったわけではないと私も思います。あなたが気がつかないところでもあなたは沢山の方々に沢山の恵みを与えてきたのではないかと思いますし、あなたも沢山の方々から沢山の恵みを受けてきたのだと思います。それはお互い様だと思います。多い少ないの多少の差はあれども誰しもが与え与えられる関係性の中で生きているのですし、それはずっとこれからも続いていくのです。
相田みつをさんの詩やお言葉の中で
『わけ合えば』
うばい合えば足らぬ わけ合えばあまる
うばい合えばあらそい わけ合えばやすらぎ
うばい合えばにくしみ わけ合えばよろこび
うばい合えば不満 わけ合えば感謝
うばい合えば戦争 わけ合えば平和
うばい合えば地獄 わけ合えば極楽
というお言葉があります。
読んでその通りお互いに分かち合えば共に幸せに生きることができるという
『自利利他』の考えですね。
あなたができることをできる範囲で他者に対して思いやりの気持ちで分け合っていけば宜しいのではないかと思います。
あなたがこれからの未来を沢山の方々と共に分かち合い心から豊かにおおらかに幸せに生き抜いていかれます様に切に祈っております。そしてあなたを心より応援させ頂きます。至心合掌