hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
そらノート 亡くなった人やペットに思いを伝えよう hasunoha姉妹サイト登場

欲について

回答数回答 4
有り難し有り難し 40

お坊さんは修業をする時に欲を捨てようというイメージがあります。
例えば精進料理なんかがそんな感じですね。
そこでふと思ったんですが修行の時に「欲を捨てたい」という気持ちになることもあるかと思います。

でもよくよく考えてみたら矛盾した変な言い方になりますけど「欲を捨てたい」という気持ち(言い換えるなら欲を捨てたい欲)は欲になるんでしょうか?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

はい

それも欲です☻

なまんだぶなまんだぶ

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


欲も大事です

欲は無くすものではなく昇華するものであると思っています。

真言宗のお経では「大欲」という言葉が出て来ます。
それは仏様のように尊い欲の事です。

つまり、「お腹が減った何か食べたい」
という「欲」があるとします。
でもそれだけではなく、その欲を突詰めて行く事で
他の人たちの空腹の辛さも知る事が出来ます。
そこで、
「お腹の減っているが食べ物が無い方々に何とか食べ物を差し上げたい…」
そんなふうに欲は昇華していくのです。

欲がなくなると人間は滅びると思います。
生存欲すらなくなるからです。

生きる事は素晴らしい。
苦しむ事だってそれがあるから「楽」が引き立ちます。
だから「楽」を求める心は「苦しみ」にも耐えうるのだと思うのです。

ところで、修行中に私は「欲をすてたい」
なんて思う余裕は一切ありませんでしたよ。^^;

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


仏道に入門して36年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...

エネルギーに良し悪しは無い

欲はエネルギーです。
使用法を間違えば、火も刃物も原発も邪悪な働きになるます。
悟りを得たい、自由になりたい、あなたを幸せにしたい、世のお役に立ちたい、そういう
欲だってあるデショが。
表面的な事にとらわれずに、正しく活用されればよいのです。
この地球を何とかしたい、
自分を何とかしたい、一生幸せに暮らしたい、平安に暮らしたいという欲、大志をもってください。
取り柄が無い、なんてこと言ってられませんよ。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


釈尊は、欲について、ウダーナヴァルガという経典に斯様に示されています。

「愚人は快楽を求めて返って傷つく。
しかしこの世で自己を求める人は傷つくことはない。
快楽をひたすらに追い求めるが故に愚者は他人をも自分をも損なう」

これは、欲・執着の「善悪」についてを述べているものと存じます。

欲や執着がいけないのは、他者の「心」を巻き込むからと言えます。

しかし例えば千日回峰行や滝行などは究極の「自己の追及」と言えますから、
一切心は傷つくことがありません。

「釈尊が言いたいのは、欲望の絶滅ではなく欲望の抑制だ」と
駒沢大学教授の奈良康明師は著書「ブッダの詩(ことば)」にてお書きに成られてます。

欲や執着の抑制、つまりコントロールすることにこそ釈尊の教えがあるのでは
ないでしょうか。

欲を捨てたい。では捨てるにはどうすればいいのか。
それを求めていけば、必ず「自分のこころ」に出会います。

こころこそが欲・執着の原点。
でもそれは捨てられるのだろうか。
そういって、ただひたすらに葛藤と疑念のなか、ただ身を阿彌陀様やお釈迦様に
あずけて一心に坐禅したり滝行したり念仏行を務めていくのだと思います。

もしかすると一番悩んでいるのは坊さんなのかもしれませんね(^-^)♪

さちあれさちあれ。合掌

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1,000件を超えました


質問者からのお礼

松林山 瑞因寺 飯田様

ご回答ありがとうございました。やはりそれも欲になってしまうのですね。欲をなくすためにも欲がいる。毒をもって毒を制すという言葉を思い出しました。

皆様ご回答ありがとうございました。

確かに欲というものは完全悪というわけではなく使い方次第で良くもなるし悪くもなるといった感じなんですね。だからこそなくすのではなくて上手く手懐けるといった感じでしょうか。完全に欲がなくなったら確かに生存欲まで消えてしまうからそれはそれで危ういですもんね。

ちょっと欲というものの見方が変わったかもしれないですね。ありがとうございました。

安穏寺 丹下様

ご回答ありがとうございました。

確かに今までは欲の負の面ばかりが目についていたのかも知れないですね。これからはいい面にも目を向けて中立的な立場で欲を上手くコントロールしていっていい欲で人生をよりよいものにしていきたいですね。

「欲望・欲を抑える」問答一覧

踏みにじられたいという欲求について

誰にでも、こだわりや真面目に取り組んでいること、話題にしたく無いことなどの他人に土足で踏み込まれたく無いゾーンってものがあると思っています。 私自身、他人のそういうのを察すると避けますし、大体の人達は何も言わずに見守ってくれたりします。 親しき仲にも礼儀ありと言うのか、タブーに触れて相手を傷つけない為に、そして自分も嫌われないように、そうするのだと思います。私はそうです。 私にもそういったどんなに親しい友人にも触れて欲しく無いものごとが有ります。 いい意味でも、悪い意味でも、本気だから茶化されたく無いし、自分による自分の為のものだから、と感じます。 ですがその一方で、他人にそれを指摘されたい、話題にされたい、踏みにじられたいと思います。 話題を避けてくれたなと思う瞬間があると寂しさを感じることもあります。 これは承認欲求なのでしょうか。 他人から自分という存在を知ってもらっていることを明確に確認したいのか、と考えたりします… 本音でぶつかりたい、とはまた違うような気もしますし、なんでも話せる友人に一度言ったことがあるのですが、友人からの私を傷つけないようにという優しさを無碍にしてしまっているような、困らせてしまっている罪悪感を感じました。 私も大切な友人にそういったことをしたくは無いと強く思いますが、私はされたいのです。結果自分は傷つくだろうむかむかするだろうもしかしたら嫌いになるかも、とは思いますが… 自分でもよくわからない感情にモヤモヤしています。あまり人には共感されにくいと思い他人には話せずに寂しさを感じています。 皆さまの視点からのお話を聞かせていただけたらと思います。

有り難し有り難し 1
回答数回答 1

欲を抑えられず、自分にも人に迷惑をかける

 自制が出来ません。  私は今までの人生の中で日々怒られてきました。小学生の頃は成績がよくなく、人にも合わせられませんでした。中学生になっても自分の意のままに過ごしてしまい、試験があって周囲が勉強している中、授業中は常に寝ていて、試験期間でも焦らず勉強をせず遊びに行っていました。勿論結果は赤点ばかり。友人関係でも、自分の利益のみを考えて怒らせてしまっていました。  そんな人生を、高校になって初めて後悔し始めました。自分を客観視してみると、周囲は色々と頑張っている中、自分には何もない。このままではいけないと思い、勉強をしようと思っても、やっぱり集中が出来ず、結果も出ず親に怒られてしまいました。そうして「どうして自分はこうやって努力をできないのに、生き続けているのか」を悩むようになりました。周囲の友人に相談しようと思っても、ネガティブや無神経な態度をとってしまい、結局離れていきました。  今までの人生で何度も死のうと思いました。迷惑をかけることしか出来ない自分には存在価値がないと。しかし勇気が出ず、途中で失敗してしまいました。そのことを知った警察の方や学校の先生にも相談をして良いと言われてしたのですが、自分の人生を続けていけるような答えが出ず。立場上この行動(自殺)を否定せざるを得ないのはわかっていますが…。  いま現在、来年に大学受験を控える身です。この自粛期間中も、やらなくてはいけないのはわかっていても、欲に負けてしまって思うように進まず、周囲が努力している中で自分はただ後退しただけでした。  今は気持ちが浮き沈みしている状態です。よし、頑張ろう と意気込んでも、結果的に全然うまくいかず、自己否定に走ります。これを日々続けて気持ちも疲れています。  前述したように、努力も出来ず、人に迷惑をかけ続けるだけの人生を生き続けていく必要性がわからず、だからと言って死ぬ勇気もない。先生に「本当に死にたい人はもう他のことが考えられないくらいの状態になっているから、貴方は大丈夫」と言われましたが、私だって悩んでますし全然大丈夫ではないです。もう人と関わりたくないし、学校にも行きたくなく、家にもいたくない。  自己肯定感がないのはもう事実を受け止めているだけなのでそのままで良いですが、努力を続けたり人に合わせられる方法が知りたいです。長くてすみません。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 9
回答数回答 2

私欲を消し、利他の道を歩むには。

仏門で日々、心身を鍛錬なさっておられる皆様へぜひお力添え頂きたくご質問致します。 私は20代前半男性の勤め人です。 父母が入信していた神道系新興宗派へ物心つく前から入り、12歳まで信徒をしておりました。 その間、私が10歳の時に父は病で鬼籍に入りました。 それから母と暮らしていましたが、専業主婦をしていた母に子を養う事は難しく、段々困窮していく中で余裕が消え、それまで信仰していた宗教とは全く異なる神道系新興宗教へ母子共に改宗しました。 しかしそんな生活が続くはずもなく、私が14歳の時に家賃滞納を苦に母は蒸発してしまい、その後数年間行方は分からずじまいでした。 そして私は児童相談所を介して、これまた上記2つとは全く異なる神道系宗教が運営している中学校へ単身転校し教理の専門教育を受けました。 卒業後は環境の変化を重ねがらも細々と暮らしています。 これまでの人生で失ったもの、得たものへの無念、執着はありません。 難しい環境の中で悩む友人に寄り添い、共に支え合える関係を築けるようになりましたし、母と改めて対面した際には申し開きを冷静に聴き、母なりの苦しみを受け入れ許す事が出来ました。 これらは今までの積み重ね無くしてできない事だと思っており、成長として実感しています。 しかし根底にはやはり私欲の幸せを求める心があり、長く寄り添い互いに与え合える関係のパートナーを探すべく、6年ほど励んで参りましたが一度も叶う事はありませんでした。 悩む中で、私の今世は失いながらも人へ与え続ける事が使命なのだと結論付け、現在は良縁を求める友人達の仲人役が生きがいになっています。 長い時間の中で今世の使命をやっと理解できたというのに、俗気を消しきれず時たま空虚な気分になります。 私心を完全に消し、利他の精神を貫徹するにはどうすれば良いでしょうか? 宗派が違う3つの神道を経て尚も利他へ徹しきれない私に、仏教の観点からご教授をお願い申し上げます。

有り難し有り難し 23
回答数回答 3

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る