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欲について

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お坊さんは修業をする時に欲を捨てようというイメージがあります。
例えば精進料理なんかがそんな感じですね。
そこでふと思ったんですが修行の時に「欲を捨てたい」という気持ちになることもあるかと思います。

でもよくよく考えてみたら矛盾した変な言い方になりますけど「欲を捨てたい」という気持ち(言い換えるなら欲を捨てたい欲)は欲になるんでしょうか?


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

はい

それも欲です☻

なまんだぶなまんだぶ

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欲も大事です

欲は無くすものではなく昇華するものであると思っています。

真言宗のお経では「大欲」という言葉が出て来ます。
それは仏様のように尊い欲の事です。

つまり、「お腹が減った何か食べたい」
という「欲」があるとします。
でもそれだけではなく、その欲を突詰めて行く事で
他の人たちの空腹の辛さも知る事が出来ます。
そこで、
「お腹の減っているが食べ物が無い方々に何とか食べ物を差し上げたい…」
そんなふうに欲は昇華していくのです。

欲がなくなると人間は滅びると思います。
生存欲すらなくなるからです。

生きる事は素晴らしい。
苦しむ事だってそれがあるから「楽」が引き立ちます。
だから「楽」を求める心は「苦しみ」にも耐えうるのだと思うのです。

ところで、修行中に私は「欲をすてたい」
なんて思う余裕は一切ありませんでしたよ。^^;

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仏道に入門して36年が経ちました。 死ぬまで修行を続けるのがお坊さん...
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釈尊は、欲について、ウダーナヴァルガという経典に斯様に示されています。

「愚人は快楽を求めて返って傷つく。
しかしこの世で自己を求める人は傷つくことはない。
快楽をひたすらに追い求めるが故に愚者は他人をも自分をも損なう」

これは、欲・執着の「善悪」についてを述べているものと存じます。

欲や執着がいけないのは、他者の「心」を巻き込むからと言えます。

しかし例えば千日回峰行や滝行などは究極の「自己の追及」と言えますから、
一切心は傷つくことがありません。

「釈尊が言いたいのは、欲望の絶滅ではなく欲望の抑制だ」と
駒沢大学教授の奈良康明師は著書「ブッダの詩(ことば)」にてお書きに成られてます。

欲や執着の抑制、つまりコントロールすることにこそ釈尊の教えがあるのでは
ないでしょうか。

欲を捨てたい。では捨てるにはどうすればいいのか。
それを求めていけば、必ず「自分のこころ」に出会います。

こころこそが欲・執着の原点。
でもそれは捨てられるのだろうか。
そういって、ただひたすらに葛藤と疑念のなか、ただ身を阿彌陀様やお釈迦様に
あずけて一心に坐禅したり滝行したり念仏行を務めていくのだと思います。

もしかすると一番悩んでいるのは坊さんなのかもしれませんね(^-^)♪

さちあれさちあれ。合掌

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エネルギーに良し悪しは無い

欲はエネルギーです。
使用法を間違えば、火も刃物も原発も邪悪な働きになるます。
悟りを得たい、自由になりたい、あなたを幸せにしたい、世のお役に立ちたい、そういう
欲だってあるデショが。
表面的な事にとらわれずに、正しく活用されればよいのです。
この地球を何とかしたい、
自分を何とかしたい、一生幸せに暮らしたい、平安に暮らしたいという欲、大志をもってください。
取り柄が無い、なんてこと言ってられませんよ。

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の提唱 「菩提心をおこす」 菩提心をおこすということは、たとえ...
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質問者からのお礼

松林山 瑞因寺 飯田様

ご回答ありがとうございました。やはりそれも欲になってしまうのですね。欲をなくすためにも欲がいる。毒をもって毒を制すという言葉を思い出しました。

皆様ご回答ありがとうございました。

確かに欲というものは完全悪というわけではなく使い方次第で良くもなるし悪くもなるといった感じなんですね。だからこそなくすのではなくて上手く手懐けるといった感じでしょうか。完全に欲がなくなったら確かに生存欲まで消えてしまうからそれはそれで危ういですもんね。

ちょっと欲というものの見方が変わったかもしれないですね。ありがとうございました。

安穏寺 丹下様

ご回答ありがとうございました。

確かに今までは欲の負の面ばかりが目についていたのかも知れないですね。これからはいい面にも目を向けて中立的な立場で欲を上手くコントロールしていっていい欲で人生をよりよいものにしていきたいですね。

「欲望・欲を抑える」問答一覧

何かを好きになることは、いけないこと?

 僕は絵を描くのが好きなのですが、周りの絵を描く人を見ていると、誰にも見てもらえなくて絵を描くのを止めたり、上手い人に嫉妬して絵を描くのが嫌いになったりしてる人が多いのです。  そういう人たちを見ていると、「他人から見てもらえることや、上手くなることに執着してそれを追い求めても、結局は満たされずに絵が嫌いになってしまう。絵をずっと続けていくには、それらに囚われず、絵そのものを好きになることが大切だ。」と思うようになりました。  そうして色々調べている内に、初期仏教の「感覚に執着しない」という教えに辿り着き、それが様々な教えの中で最も根源的だと思うようになりました。  「○○が欲しい」「○○が快い」と思って追い求めて行っても、それが満たされなかった時に結局苦しみを覚えてしまう。苦しみを覚えないためには、感覚に心を動かされず、静穏な心で物事をありのままに受容すればいいのだということです。  実際その教えを実践していって、絵以外の様々な物事にも影響が出てくるようになりました。今までは自分のマイナス感情に振り回され自己嫌悪に浸っていたのですが、「これはこういう情動なのだ」とありのままに観察し、執着しないことでそれらの悪循環から抜け出せたのです。  しかし、よくよく考えてみれば、「絵を描くのが好きだ」というのも感覚であり、執着です。「これは自分の人生でやりたいことだ」と言ってしまえば、それが果たせなかった時の苦しみの源になります。もしそうだとするならば、絵を描くことを好み、苦しみなくそれを楽しみたいという欲求にも囚われてはいけないのではないでしょうか。  

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密教における欲、怒りについて。

昔、私が学生だった頃、大学でインド哲学を学んだ人から、こう教えられました。「初期仏教では人に属する欲は全て良くないものと全否定されるが、時代が経てだんだんと欲は肯定されていって、仏教の最終段階である密教では「セックスは菩薩の境地だ!」と教えられるのですよ。そうやって密教では性も含めあらゆる欲が全肯定されるに至るのです!」と。 また同時に、弘法大師を信奉するある僧侶の方が「日本人は怒れないないからダメなんだ!」と仰り、その言葉を持って、先の人からは「(人に対して社会に対して)もっと怒れ!怒れ!」と、私は言われ続けました。 私は{密教では怒りの感情も人間に属する<聖なる属性>として肯定されるのか。。}と思い、それからというもの、私は何かと「怒り」を持って親や世間の人たちに接し、それが故に大きな軋轢を家族や人々との間に作ってきました。 今はそのようなことすべてを後悔しています。 私も老齢を迎えつつある今、お釈迦様の言葉や弘法大師の「四恩十善の教え」を知るなかで、実際のところ、密教では「欲」や「怒り」はどのように扱われるのだろうという疑問が頭から離れません。 彼らが言ったように、欲や怒りは密教では「善きもの」なのでしょうか? そのように肯定されるものなのでしょうか。 お釈迦様の教と密教はそれほど違うものなのでしょうか。 どうぞお教下さい。

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新しい刺激を得たい欲求との付き合い方

ストレスが溜まると新しい刺激が欲しくなります。(週1ぐらい) 同じ毎日に嫌気が刺し新しい楽しいことがないかと考えます。 しかし、それのせいで先日夫と喧嘩をしました。 少し前から私はこの人生を鮮やかにするには新しいことを習慣化し自分の特技を作ろうと語学の勉強をしていました。 勉強をしていくうちにペラペラになりたいと思い、なった方々を調べるとネイティブの方と喋るに尽きるとのことでした。 私は留学はできませんしお金もあまりないので、海外の方と交流できるコミュニケーションアプリの利用を考えました。もちろん女性とだけ関わるつもりでした。 しかし、夫は元々SNSを酷く嫌がるタイプの人間なのでやはりダメでした。 自分からすれば刺激のない日々の対策を自ら見つけ、コツコツ頑張って来たので腹が立ちました。何も男の人と関わるとは言ってないからです。 とはいえ、夫がそう言うだろうとはわかっていました。自分は夫の方が大事なのでそこは自分が諦めました。 しかしながら、じゃあその代わりになる物があるかと言うとそうじゃないです。 今まで散歩や、新しい料理、掃除、読書などをやってましたがどれも物足りなかったです。 また何かを見つけない限り自分は生きてるのが苦痛になると思います。 このストレスを得ると新しい刺激を得たい欲求とどう付き合うのが良いのでしょうか。

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回答数回答 1

「欲」との向き合い方が分かりません。

いつもお世話になっています。 タイトルの通り、欲とどう付き合うべきなのか、より正確には「無欲」とどう対峙すれば良いのか悩んでいます。 私は基本的に、様々な物・事に対する欲や執着が薄い傾向にあります。 物欲はもちろん、金銭や名誉への執着も大してなく、娯楽や趣味も没頭するほど興味の強いものが特にありません。 人間である以上、欲が皆無という事は有り得ませんし、あくまで「欲が薄い」のだろうと自身では思っていますが、実際それを周囲から指摘される事がたびたびあります。 例えば物欲ですが、生活必需品(消耗品)以外の物について「どうしても欲しくて堪らない」と感じる事がほとんどなく、自ら買いに出かけるような事はまずありません。 流行に疎く、新しい物・珍しい物への関心も薄いです。 毎年誕生日にプレゼント交換をする友人がいますが、これと言って欲しい物も思いつかず「じゃあこれ適当に使って」と仕方なく現金でもらった経験さえあります。 しかし、そのお金に関しても「欲しい物、したい事があって貯めている」わけではなく、「使う予定がなく必然的に貯金に回っている」状態です。 他にも、人と会ったり遊んだりする際、行きたい場所、したい事がパッと浮かばず、基本的にプランは相手任せです。 (表現が適切か定かでありませんが) 「意見がないに等しい」ので、仮にどこで何をする事になっても、それを苦に感じたり嫌に思ったりは特にありません。 ですが周りからは「それで本当に楽しめてるの?」と逆に疑われる事があります。 また、私はどちらかと言うと「〜したい」より「〜したくない」という欲が強いです。 自身の経験上(※詳細は過去の質問をご参照願います)、常に思考の根本に「周りを巻き込みたくない」考えがあり、結果的に「相手に合わせる」、より正確には「相手任せ」という展開が大半です。 自分自身に関しても、「今以下にはなりたくない」、強いて肯定形にするなら「せめて現状維持でいたい」です。 欲の無さは同時に自信や向上心の無さだと聞きますが、やはり欲が薄いのは総じて良くないのでしょうか。 欲の薄い自分はまともに自己主張すらできない弱い人間という事なのでしょうか。 欲が薄い事は「恥ずべき」事、「改めるべき」事に当たりますか。そうである場合、それを直していくためにどのような事を心がけていくべきか教えて頂きたいです。

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