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おせっかいと気がきくの違いがわかりません。

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有り難し有り難し 19

あの人は気がきくとか、
親切とか

でも

あの人はおせっかいだとか

違いがわかりません。
紙一重ですよね??

はっきりしたものがあれば
教えてください


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

おせっかいながら…

相手の望むところをやってあげれば気が利く。
相手が望んでないことをすれば要らぬおせっかい。
愛情も愛のつもりでも、相手がその形の愛を望んでいなければ愛にならない。
この後この人はこれが必要であろうなぁということで、ジャストタイミングで出てくる配慮が気の利いた気遣い。
そのタイミングでそれかい、という謎の行動が要らぬおせっかい。

EX
友人とタコの唐揚げを注文した。
「あ、レモン絞ります。」ジュワー
むぅ…。彼は気を効かせたつもりなのだろうか…。
確かに最初にレモンをかけるという行為のは一見すると気が利いている配慮のように多くの人は感じるものであるが、私にとってそれは要らぬおせっかいであった。むしろ、何しやがるんでぃな行為である。私が海原雄山であれば皿を投げてしかりつけているところである。何故ならせっかくの揚げたてのカリカリ感がそのレモンを全部にかけてしまう事で損ねられてしまうからだ。史郎のたわけめがっ!

EX
私がとある厨房で丁稚奉公をしていた時の事である。
師「山芋に卵を入れて軽くかき混ぜてくれ」
私「はい」
まぜまぜ。私は生卵の黄身を山芋に載せ、しょう油を適量かけてかきまぜた。
師「バカ野郎!まぜすぎだ。」
私「え」
師「全部混ぜたらみんな同じになってしまうだろうが。そういう繊細な所が分らない様ではだめだ。」
むぅ…。確かにカレーライスを最初から全部混ぜる者はいない。(たまにいる)
わたしは気を効かせたつもりが、要らぬおせっかいであったようだ。
相手の望んでいるレベルというものは人によって異なる。
僧侶の持つ法具で如意というものがある。これは一説にはまごの手であり、痒い所、苦しい所に手が届くような老婆親切心の象徴であるという。痒い所に手が届けば気の利いた配慮、慈悲とならん。
私の回答もスベれば要らぬおせっかい。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
💕禅ママ説法💗 禅ママの超簡単!不安消しテクニック! (*´ 艸`) 人生って、ちょっぴり不安がいっぱいよね? でも大丈夫! 「現実」と「頭の中だけ」をちゃんと見分けられるようになれば、不安なんてちっぽけなものよ! だって、みんな「もしも~」「もしかして~」って、頭の中で勝手にドラマ作っちゃってるだけなんだもん。 (˘ω˘) 「あれが起きたらどうしよう」とか「こんなことになったらどうしよう」って、まだ何も起きてないのに、勝手に心配しちゃうのよね。 だから、今この瞬間、目の前にあるものに意識を集中してみよう! ✨ 見えるもの、聞こえるもの、感じてること… そうすれば、どんなに不安なことがあっても、"今ここ" に戻ってこれるわよ! 心配事って、まるで映画の予告編みたいなのよ。 まだ何も始まってないのに、ドキドキハラハラしちゃうでしょ? でも、実際は、今この瞬間、目の前で起きていることだけをちゃんと見ればいいのよ。 そうすれば、心はもっと穏やかになるわよ。 不安を感じたら、ちょっと立ち止まって考えてみてね。 「この不安、本当に今の私に必要?」 「今、目の前で起きていることは、一体何?」 そうやって、現実と想像の違いに気づけば、不安に振り回されることも減っていくわよ。 だから、今日一日も、"今" をしっかり感じて、笑顔で過ごしてね! (*´ 艸`) じゃ、行ってらっしゃい!

質問者からのお礼

丹下さま
ありがとうございます。わかりやすかったです。

気がきく人には、なりたくても、なれるものではないでしょうか

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