よくわからない
『やるべきこと』(例えば家事) を行う際、感情 が全くなくなります。
掃除 が好きではないので、毎日決まった時間に開始するのですが、その瞬間から 無感情 になるのです。
以前、仕事をしていた時も、同僚に「どうして不満なく働けるのか」と問われるほど 無感情 でした。
ちなみに 好きなこと をする時は、とても 楽しい です。
小さい頃から 嫌なこと から逃げまわってたから、逃げたくて 無感情 になってしまうのでしょうか?
また、このままでも よいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お心を楽に
拝読させて頂きました。あなたのおっしゃること私もありますね。やりたくないこといやなことはどうしても機械的にさっさと終わらせたいと思ってしまいますよね。私はぶっちゃけ修行が大嫌いでした。お勤めするのもお掃除するのも食事を頂くのも全てが嫌で嫌でどうしようもありませんでした。逃げたい。それが無理ならば周りの環境や人々やその修行を課している宗門や寺院ひいては仏様をも恨み嫉み怒り、そして呪っておりました。そうであっても何ら変わりはありませんでした。どんなに呪っても修行はやらなければならないことに変わりはありませんでしたからね。しばらくそんな状態でしたが、ある時ふと気付いたことは己れが恨み嫉み怒り呪っていることで修行が倍以上つらくなり自分を苦しめていることだと思いついた訳です。何でも嫌嫌ではそのストレスが膨大ですから自分が押し潰されてしますからですね。
それ以来修行に於いては自分がやることは全て与えられたことで受け入れてある意味感謝することになりました。そうすると様々なものごとが全て違って見えてきます。自分の置かれた状況や与えられたことに感謝することである意味修行が大変楽になりました。おそらくそれは人が生きていくことに大変通じることです、生きていくことが大変楽になります。
なかなか難しいかもしれませんがあなたもどうでしょうか。少しお考えなさってみてはいかがでしょうか。
あなたがこれからある意味人生を楽に生きて頂きます様にと私からお祈りさせて頂きますね。お心を楽に。
質問者からのお礼
気付き をありがとうございました。
『感謝』していないことに気付きました。現状にはもちろん、主人にさえ 上辺だけの感謝 だったのだと気付きました。
これからは、自分のことだけを見ず、もっと周りをしっかり見つめて、 与えて頂いているのだ と、実感できるようになっていきたいです。
追記
最終目標は、感謝できるようになることです。
言葉が足りなくて すいません… (汗)