かなり年上年配の方へLINEなどの断り方
あるスポーツの会で大先輩のご年配20歳上の方にLINEを教えてほしいと頼まれ、
教えているうちに個人的なことや感情までも送ってこられるようになってしまいました。
私は 50代こんな歳になって気にしなくてもいい問題かと思っておりましたが、そうなるとお互いに家庭もあり大変困ります。
ホルモンバランスのせいか申し訳ないのですが、好きでもない男性から見られたり褒められたりしても気持ちが悪くなってしまうのです。
LINEでは卒業としましょうと送りましたし、誰に見られてもおかしくない内容をと書きましたが、その後も数は減ったものの個人的な気持ち、さみしいとかきれいだからとか意味のわからない事が送られてくるのでブロックしました。
相手のご家族や自分の家族のことを考えても腹が立って不愉快になりゆとりを持った対応などできません。
大好きなスポーツなのに行くのも嫌になってしまい、
たまに参加してもこちらをずっと見ておりすぐに話しかけてきます。
なるべく無視して避けるようにしているのに何も感じないので1度はうるさいと言ってしまいました。
私の価値観の中では男性と個人的にメールやLINEなどはアウトです。
でもその年代の方だと笑顔で話しかけたり親切にしただけでも好意を持っていると思われてしまったのかもしれません。
会を辞めたいほど悩んでいます。
個人的なやりとりは無理だったこと、
誤解を与えてしまう態度をとった事は謝りつつ迷惑で悩んだこと、
それを伝えても良いか高齢者なのでそのままにして私が離れた方が良いのか、
プレイに集中できなくてそのスポーツの成績も上がらないほど悩んでおります。
先方は病気もありそういった意味でも接してきたことが裏目に出てしまいました。お伝えするにあたって心構え等いただけましたら大変ありがたいです。
自分に対して敵対関係にある人が振り返ると成長させてくれた相手と気付いても 嫌いという心は取れない。 角度を変えて考えられない。 好きな事だけして苦手な努力が苦手。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
無理なものは無理ときっぱりと。ただ、他にできることはないか。
向日葵様はじめまして、ご相談拝見しました。
この問題は高齢化の進む現代日本でこれからどんどん表面化するのだろうなと感じながら拝読させていただきました。
元気なご老人もますます増え、SNS等のインターネットサービスを使いこなす方も増えてくるでしょう。
しかし年を経ていようが一人の人間。五蘊盛苦には老いも若きも関係ないということでしょう。むしろ老いてますます盛んということもあるかもしれません。身や心に抱える寂しさや空しさとは年齢と経験を重ねたからと言って上手に付き合えるわけではないのかもしれませんね。
さて、今回の件ですが私はきちんと向日葵様の思いをお伝えしてよいと思います。むしろ伝えるべきかと。でないとそのお方は自らの行いの意味に気がつかずまた同じようなことをしてしまうかもしれません。
ただ一点お気遣いいただきたいのはその男性は心に何か抱えているものがあるということです。ご自身の家庭では解消できない感情がある。寂しさなのか空しさなのか…、そして向日葵様にそれに応えてほしいと思われたということはけして小さなことではありませんよね。
しかし私たちはただ人、聖人君子でも聖母でもありません。応えられないものは応えられません。男女の関係であるならなおさらでしょう。
ですからきっぱりとこれ以上は無理とお伝えする。ただ、もしも向日葵様に余裕があるのなら同じスポーツの会に所属するご縁をいただいた仲間として、その男性の心を支える一助をしていただけたらなとは思います。
無理にとは言いませんし、特別な対応をしろとも言いません。会の他のお仲間と一緒にそのスポーツを通じて男性と交流する。それでよいと思います。
お話しする時間があるなら何気ない会話を通じて誰かが誰かの悩みを聞く、そういう場にもなればなお素敵ですよね。
まずはご自身の思いをお伝えして心の平穏を取り戻してください。その上でできることはないか。
しかしながら
「慈悲に聖道・浄土のかわりめあり。聖道の慈悲というは、ものをあわれみ、かなしみ、はぐくむなり。しかれども、おもうがごとくたすけとぐること、きわめてありがたし。」歎異抄第四章
私たちの思いやりは聖道の慈悲、何かしたいと思っても何もできないことがほとんどです。何もできなくともご自身を責めることはありません。
どうぞご自愛ください。
お互いを思いやり
拝読させていただきました。人間関係とはなかなか難しいですよね。おいくつになられても相手の方のことを考えて相手の立場になってコミュニケーションを取ることはいかに難しいことかと読ませていただきました。今ソーシャルメディアネットワークがありますが、かえって人との関係性がややこしくなってしまったのではないかと思えてなりません。それぞれの人が尊重されてお互い思いやりの気持ちで接することができるならばどんなにか皆さんが過ごしやすい世の中になるのではないかと思いますが、なかなかそうはなりません。
大切なことはやはり自分も周りの方々をもお互いに大切にできるかどうかだと思います。先ず自分自身が周りの方々を受け入れていくことで心も身体も清らかに生きることができると思います。
あなたも周りの方々をも皆さんがこれからもお互いを尊重し理解しあい思いやりをお持ち頂きご生活頂きます様にと心よりお祈り申し上げます。
質問者からのお礼
ご回答をいただけたこと感激しております。自分が間違っていない白黒はっきりけじめをつけたいと思う事は、人間関係を円滑に生いかせることにはならない。思いやりを中途半端ではなく人間的なところまで、信念を持って貫くと言うことではないかと感じさせていただきました。逃げてもまた同じことが起こるのかもしれませんね。
がんばってみます。ありがとうございましたm(__)m
ご回答をいただけたこと感激しております。自分が間違っていない白黒はっきりけじめをつけたいと思う事は、人間関係を円滑に生いかせることにはならない。思いやりを中途半端ではなく人間的なところまで、信念を持って貫くと言うことではないかと感じさせていただきました。逃げてもまた同じことが起こるのかもしれませんね。
がんばってみます。ありがとうございましたm(__)m
法覚寺御坊様ご回答感謝致します。
おっしゃるとおりその方そして私も家庭で満たされないものを抱えているのかもしれません。
私はスポーツを通して心身を鍛えたいと考え、その方は病気もありスポーツよりも人間にできれば女性に何かを求めてしまったのかもしれません。
気がついたときには大きな行き違いが生じてしまいました。
少し勇気を持って無理な事は無理、
尚且つ人間としての優しさは失わない様に事を進めるのは、
小さく固めてしまいたかった自分の心をもう一度柔らかくして、
一つ大きく広げる作業と感じさせていただきました。
ありがとうございましたm(__)m