幸せなはずなのに幸せと思えない
こんばんは。
親に健康に産んでもらい、毎日働け食事もちゃんと食べられるのに幸せと感じられません。
40歳で独身ということで、価値がない、独身だから欠点があるんだなどというひどい言葉を浴びせられ 私の人生ってなんなんだろうと毎日考えます。
何をするにも中途半端で人付き合いが下手で人の顔色を伺い、年齢を重ねるたびに自分自身が嫌になります。
何か始めようと思ってもできない、何か理由をこじつけてはやめる。。
前向きに考えないと!と言われますが、そんなに簡単には考えられません。
幸せだから悩むんだという人もいますが。。
産まれたからには楽しく毎日を過ごしたい!
どうか 幸せだと思える切り替え方考え方、過ごし方を教えてください。
こんな私でも幸せになれるのかな。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
しふく、とは何でしょう?
体験談ですが、気軽に読んでみて下さいね。今までとは少し違った視点から、周囲を見回してみることも良いことですよ。
以前、友人と待ち合わせて夕食を共にした時、「1ポンドステーキ」なるものを目にしました。初めて実物を目の当たりにし、450gの肉厚に思わず胸焼けがしました(笑)
彼は学生時代の柔道部の後輩で、今でも子ども達を指導しながら柔道を続けています。現役で身体を動かしているだけあって、ガッシリとした体型です。
そして、その食べっぷりも豪快で、「いただく」でもなく、「食す」でもなく、「味わう」なんてこともきっとない…正に「満たす!」といった形容が相応しい食卓でした。
1ポンドの肉塊を平らげ、「この世の至福だ~♪」とのたまう後輩に、「その前に、“健康”という、普段気にしない幸せがあるからこそ、至福の時を味わえるんだぞ。」と、言ってやりました。後輩は、「ああ、確かにそりゃそうですね~」と、デザートを口いっぱいに頬張りながら、テキトーに答えてました。
ところで、「しふく」とは何でしょうね??
「至福」…この上ない幸福、これ以上ないほどの幸福、と辞典には説明があります。幸せなだけでも貴いことなのに、更に「アップグレード」された幸せということですね。親子のスキンシップにこの上ない喜びを感じられるのも、そんな境遇を支えてくれる、形の違う様々な「小さな幸せ」があるからこそですね。
そして「小さな幸せ」と「感謝」が、同じものだと気付けた時には、既に「至福」の時を迎えているのでは?
生活が豊かになり、利便性が向上し、物が溢れて来るとフツーの幸せは見過ごされがちで、満腹になるような刺激には幸せを実感します。
幸せを感じる閾値がどんどん上がり、自分が今ある幸せに気付かず、「幸福になりたい。」と切望する若者がいますね。そんな言葉を使っているうちは、結局いつまでも幸福にはなれないんじゃないでしょうか。
「今ある自分は、幸せなんだ。」と気付くことで、この上ない幸せに至っているはず。そして、苦しくて、しんどい時があるからこその「至福」なんでしょうしね。
それに気付く努力をせずに、ただ追い求めるのは、「私腹」なのかもしれません。
ぽっけさま
ご返信、ありがとうございます。
はい、是非幸せになって頂きたい、幸せに気付いて頂きたいと思います。
応援しております!
質問者からのお礼
楽しく読めて、なんだか気持ちがホッとしました。ありがとうございました☘
頑張ります💪
ありがとうございます(^^)
頑張ります💪
ありがとうございます(^^)