決められたものなのですか?
頑張っても報われないひと、何となくうまく生きられるひと、頑張っても好かれないひと、何となく人が寄ってきてくれる人。
違いはなんですか?
気にしすぎ、気を使いすぎ…これはいけないことなのですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
『うまく生きる』→『肩の力を抜いて生きる』
この手の疑問は多いです。
頑張ってるなんて、個人的な尺度なので
まずこの計り方、物差しを捨ててみましょう
あなたから見て「頑張ってない」人も、
自分なりに「頑張ってる」し、
「頑張ってる」と思ってるあなたも、
他人から見て「頑張ってない」と思われるときもある。
努力を否定しているのではなく、
「頑張ってる」は、極めて個人的な、自分本位の物差しと知るべし。
他所を気にせず、努力を重ねるべし。
だから、
頑張っても評価は気にしない
「評価はいらないっす」と集中、集中。
Mimiさんは頑張ることが好きなタイプやと思いますので、
他人の評価を気にせず行けば、
近いうちに開けてきます。
ちょっと、他所が目に入って集中力が途切れてしまった、
なんて思わなないで、立ち止まって考える機会を得た
と思っていただきたい
立ち止まりついでに…
『自分らしさ』に縛られない方がいい
今の世の中、『自分らしさ』に縛られて
逆に自分らしく振る舞えてない人が多い
お釈迦さまは「無我」をある種の究極とされました
「我欲を無くせ」と解されることが一般的ですが、
私風に解すると、
「『自分らしさ』なんて無いよ。追及することではないよ。」
『自分らしさ』は自分の思ったこと、やったこと、言ったこと、
つまりは経験後、後から「そうやったかな」くらいでいいんです。
先に『自分らしさ』を設定して、
そこにフィットするように行動して
上手くいけば『自分らしい』?
下手こいたら『自分らしい』くない?
今となっては
『自分らしさ』とは小さなプライドの権化
コツコツと真面目に段階を踏んで生きられているのが、
Mimiさんの強味だと思います。
ですから、もうちょっと肩の力を抜いていかれたらいかがでしょうか?
これも結構稽古がいるんですわ。
いったん重荷と思うものはすべて下してみましょう
『自分らしさ』『両親からのしつけ』『人間関係』『親子関係』
とにかく、しんどいことはすべておろす、おろす
身を軽くしてリスタート
肩の力を抜いてリスタート
うまく生きてる人は、
Mimiさんにとっては、
肩の力を抜いてるひとじゃないかなー
なんて思いました
人生は修行です
仏さんは乗り越えられる修行しか渡してくれません
だからダイジョブ、ダイジョブ
ちょっと間しんどいけど、おきばりやす、おきばりやす