昔の記憶回答受付中
小さい頃、自分はおばあちゃんおじいちゃんと お坊さんが好きだとずっと言っていた記憶を 何気なく思い出したんですが
現在、真言宗様で信心しながら そう言えば介護施設で働いてるなぁと。。。
自分の未来を自分で わかっていた様な。。。たまたまなんでしょうが
少し 自分で不思議に思って
私の昔の言葉は 未来の自分へのメッセージだったんでしょうか? 世の中 白黒つく事ばかりではなく 目に見えない不思議な事がたくさんありますし おきています。
この世はそういう 場所なのかもしれないですね。目に見える事だけが全てではなくて、、、そう思う事がたくさんあります。
私、時間に関する事につながる事にイライラする時ぐあるが、その一瞬だけ。あとは大抵怒る時はない
お坊さんからの回答 2件
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ご縁を大切に
拝読させて頂きました。
あなたは幼い頃に「おばあちゃんおじいちゃんと お坊さんが好きだ」とおっしゃっていたのですね。それは未来へのメッセージだったのだと思っているのですね。詳細なあなたのことはわからないですけれどあなたのその思いはとても尊いと感じます。お気持ちを心よりお察しします。
あなたが今そう思いお感じなさるのはその通りですね。時間の経過の中で忘れていたこともふと蘇ってきて今につながってきているのかと思います。
今まおばあさんやおじいさんはあなたのことをいつも優しくお見守りなさいいて下さいます。どうかこれからもおばあさんやおじいさんやご先祖様や仏様や神様のご縁を大切になさって下さい。
あなたがこれからもおばあさんやおじいさんやご先祖様や仏様や神様とのご縁を大切になさり健やかに毎日を生き抜いていくことできますように、皆さんと心から豊かに充実した人生を生きることできますように切におばあさんやおじいさんやご先祖様や仏様や神様にお祈りさせて頂きます。至心合掌
恩を受けながら、お育てに遇ってきた私なのです。嬉しいですよね
そうですね〜いろんなところから「恩」を受けている私たちです。ですからその恩を、子どもながらに、心地良い・あたたかい・優しい・温もりなど、感覚として感じられていて「好き」という言葉で表現していたのかもしれませんね。
言葉の通りに実感が増して、介護のお仕事にも想いが届く人になられたのでしょう。
浄土真宗では、こうした恩を感じながら、喜びや安心の中で生かさせていただくこと、そして手を合わせる身にならせていただいだくことを、「お育てに遇う」と表現します。
学ぶこと、育てられることは、今を生きている人たちからの縁や経験だけではなく、遠く宿縁を慶びながら、恩を受け育ってきたのですよね。私は、たくさんの人たちから願われてきたんだって、嬉しくなりますよね。
質問者からのお礼
温かいご回答ありがとうございます。
😊💕 心温まりました。