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彼と元カノの関係に苦しんでいます

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付き合って1年、同棲して4ヶ月です。私は30代半ば、彼は今年30歳になります。
彼には、大学のときから付き合い、わかれて数年になる40代後半の元カノがいます。バツあり、彼とそう歳の変わらない娘がいる水商売の女性です。はじめは彼が転がり込む形で同棲していたようですが、さすがに将来を考えると彼も同世代の女性に目移りしたようで、彼の転勤を機に同棲解消したようです。彼女は仕事がうまくいかないことに悩んでいたときに彼との別れが追い打ちをかけ、数年前から精神の病にかかり、働けずにおります。

彼がお金以外の部分でその後も支えています。
人と接することや、ちょっとした失敗をおそれる彼女に付き添い、車を出して、買い物や飼い犬の世話など週に何度かしています。
以前からだいぶ年上の人と付き合っていたのはしっていましたが、こんなに密だとは付き合ってから気がつきました。
はじめは隠していた彼も、今はこれは義務だと言わんばかりに堂々としています。もちろん、後ろめたさはあるようですが。

あちら2人の絆が疎ましく、悔しくてたまりません。彼にとっては、彼女と私はまったく別物のようですが、二股のように感じられ、情けなくなります。もちろん、私達2人の幸せな時間もたくさんあります。それだけに、彼がむこうに出掛けている時間が苦しくて仕方ありません。

彼は、彼女を病気にしてしまった責任感でやっているようですが、楽しんでいるようにも見え、どちらの関係もなんとなくこのままいけたらと、なんらかの決断は後回しな雰囲気です。気に入らないならわたしから別れたら良いのでしょうが、自分の心のベクトルをどこに向けてよいのかわからず、またそんな女性の存在に振り回されるのもプライドが許さず、負けた気になってしまいます。それに何より私は彼が好きです。

本来なら若い彼にとって、これは災難ではないかとおもい、この変なトライアングルを良き方向にと努力は日々しているつもりです。余計なお世話でしょうか?
彼の行動、わたしに遠慮のない彼女の行動、私の知らない2人の世界に日々翻弄され気持ちのやり場に困っています。
最近彼女がようやく仕事に復帰しだしたようなので、新たな展開も期待していますが…
彼と別れずに、彼にとっても良きパートナーでいられるためには、どういう心持ちでいれば宜しいでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

事実上二股です。

ことばでは何とでも言えるものです。
どんな理由があろうともペケでしょう。
その男性に誠実さがなさすぎます。
あなたも二股を容認している心の弱さと甘えに問題があると思います。好きだったら二股もOKですか?不幸になるだけです。目を覚ましましょう。
その女性との関係を一切断ち切らない限りはあなたの方から縁を切った方が良いでしょう。
おかしなことはおかしなことです。正直にオカしい!無理!と思っていいのです。
そんな事を無理やり正当化させる方がオカシイものです。
無理して慈善事業を立ち上げなくていいです。
普通の恋愛をしてください。それが結婚している状態だったら完全に不倫でしょう。
この世にはギリッギリまかり通ってしまう意味不明で不条理で理不尽な男女関係というものがあります。
やっぱりおかしいモンはおかしい。
そこに正直で居てください。
知人が再婚しました。その人は中学時代の同級生と同時進行で不倫をしていました。
どんな理由があっても不倫は不倫。
どんな理由があっても二股は二股。
誠実な人間であれば確実にあなたと別れてその人の面倒を看るか、その人と完全に縁を切ってあなただけのひとになっている❝はず❞です。それが筋です。それをやっていない。どんな理由があっても不誠実は不誠実です。
彼が好きでも、まかりとおしてはならんことはあるのです。そこに目覚めてください。自分の真の良心にはウソがつけないものです。
さて、それとは別に、次の道理を弁えてください。
人は人を所有できない。人は自分も相手も誰のものにもならない。他者といくら親しい関係になったとしても、それでもその人を自分の思い通りにすることは出来ない。
その人の心臓はその人の心臓。
あなたの心臓はあなただけの心臓。
呼吸一つ、行動一つ、髪の毛一本たりとも、みな別々です。
ここを悟り、精神的にまず別離してください。
依存を超えた真の愛情はそこから生まれます。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

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