自分自身の考え方について
自分は昔から目標は高いのに自分を褒めるのが苦手でずっと苦しんでいました。
だから苦手なりに自分は仲良くしようとしてくれている相手は考えが理解出来ないなりに分かろうとしていたり、優しくしようと思っていました。
でも現実には友達の考えを受け入れ切れずに愚痴を漏らしてしまったり、
何でも自分が責任を負おうとして鬱陶しいほどにごめんごめんと口走ってしまったり。
結局みんなには辟易されてしまって、どんどん友達をなくすばかりでした。
自分は裏表のないような関係を望んでいて、
以前に裏表のあるような女性と分かり合い、自分が「ただ純粋に応援したい」と付き合い始め、
友達に戻ろうとした時に無意識下で自分本位に動いてしまい、周りの友達数人に侵入してはならないような壁を作られ、
女々しい、しつこい、鬱陶しい、周りが見えてない、何も成長していないと全てにおいて否定されてしまい周りの友達数人ごと失ってしまいました。
結局自分は心が弱くてただ褒められていたいだとか、そんな自分に損がない人間だけを求めているのだと分かりました。
自信が持てなくて、どうすればいいか分からなくて、
本当に皆を受け入れるような心を持てなくて。
このままでは自己が何も持てずに沈んでしまうのではと思っています。
自分がみんなの利益になれるような人間として、又は友達を選べるような人間として。
そして思った事を正直に言えるように自分自身の意思を強く持ちたいです。
いま自分に出来る事がなんなのか分からずとても苦しいです。
人間としての在り方に正解が存在しないのは分かっているつもりなのですが…どうか迷いを断ち切れる何かをお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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自分とは何か
仏道を習うと言うは自己を習うなり
自分とは一体なんなのかこれ知ることが仏道です。
自分の意見、自分と他人、他人に合わせる、そんな考え方の上で生きるようなものではありません。
あなたはもしかすると、人に好かれようと他人に合わせ自分は我慢する、そんな生活を送ってきたのではないでしょうか。
心からなんの問題もなく人のためにと思えるなら、我慢ではないと思いますが、そこに我慢しているという気持ちが発生していたら、それは、人のためではなく自分のための行為です。ワガママです。
あなたがどんな方かはわかりませんが、もしかしたら気付かぬうちに他人に嫌なことをしていたのかもしれません。こうされたら嫌だろうというところの配慮ができずにいたのかもしれませんね。失敗から一つずつ学び、信頼できる友達ができるといいですね。