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他の宗派の否定?

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こん〇〇わ!
日蓮さんの言葉で、真言亡国、禅天魔、念仏無間、律国賊、という言葉がありますが、他の教えを批判するのはどうなのだろうかと思います。
日蓮さんは、虚空蔵求聞持法をして、法華一乗の教えにたどり着いたという話を聞いたことがあります…
お世話になった比叡山は全て兼学できるお山であるのに否定をする、お釈迦さんに失礼ではないのでしょうか?、日蓮宗の法華懺法法要の奉送は大日経から来ているという話を聞きました。
律国賊、
戒律を守る人たちに対して国を壊すというのはどういうことでしょうか?
はっきり言って理解不能です。
さらに龍神の娘が男に変かわって成仏したという法華経の下り。女性の私は現世での成仏は不可能ですか?
来世は男に生まれないといけないのでしょうか?
皆さまどう思われてるのでしょうか。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

四箇格言は正統派日蓮宗さんが訣別しているから過去の話題

う〜ん…日蓮さまを批判すれば「他の教えを批判する」ことになります。輪廻とはよく言ったもので、争いは追及すればするほどクルクルと連鎖していくものです。日蓮さまがそう言ったという事ではなく、今の正統派の日蓮宗さんがこの四箇格言とすでに訣別している事に目を着け、輪廻から抜けましょう。

現代の取り扱い方としては被害が出続けていますので言及せざるを得ませんが、例として不立文字・教外別伝ゆえに天魔とされた禅宗を挙げるとします。現代でいう禅宗は臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗です。

ここで日蓮さまの頃の三宗はどうだったかと言いますと、臨済宗は禅密兼学の道場であり、禅一本に絞るのは江戸時代の白隠禅師を待つことになります。曹洞宗は禅宗の呼称を拒絶し、『正法眼蔵』には「不立文字・教外別伝をうたって経典を一切読まない輩はお坊さんでは無い。ただの禿頭だ」と明記されています。黄檗宗に至っては江戸時代の伝来ですから無縁です。

実は当時の日本で禅宗と言えば大日坊能忍の達磨宗を指し、すでにタブーとされていました。そして達磨宗が断絶した時点で禅天魔は過去の話題です。むしろ今の禅と日蓮さまは敵の敵は味方という間柄だったとさえ言えます。

ゆえに今の時代に四箇格言を信じて他宗を批判するのは、完全にデマを垂れ流すことになります。
まさかそんな人達がいるかどうか私は全然まったく微塵も存じませんが、もし仮に組織的に流布して教団拡張に利用したなら、この一点だけでも社会悪と見なさざるを得ないでしょう。

さて、女人成仏。龍神が男に云々の話は法華経発祥ではなく、やや古い経典から存在するようです。南伝仏教ではいまだにこれを引きずっている地域が多く、比丘尼の制度が認められていない地域も多いです。ぶっちゃけ女性差別です。しかし、さらに古い最古層の経典になると女性もどんどん悟っていますよ。簡単に読めるものとしてはこれです。
(中村元『尼僧の告白―テーリーガーター』岩波文庫-青-327-2)

経典とは結集に始まり、2500年にわたって積み重ねて来たものです。だからこそ精査されてきた部分もあれば、不純物がまぎれ込んだ部分もあります。特に差別に関わるものは慎重に扱い、受け継がないべきものは受け継がないという姿勢をとる必要があります。2500年の歴史とはゴールではなく、今現在も走行中であることを意味するのですから。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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日蓮上人の真意

実は日蓮上人の言う通りなのです。
ただし!
それは当時堕落しきっていた仏教界のようにいい加減であったらいかんぞ!という愛ある尻叩きをした、と読み取るべきものなのです。
悪くとらえる者は、日蓮上人の言葉で争いの心すら生ずる。
悪くとらえればどんな賢人聖人の言葉も毒にすらなる。
本当の亡国の精神はどこにあるか。
人の言葉やニュースを悪くとらえて物事を逆さまに眺めるような迷妄の観方こそ!でしょう、
あなたも僧侶同志を争わせる迂闊なことを言えば亡国天魔。ご用心。
ではどういう意味か。
真言亡国…真言も真意を会せずに訳も分からず唱えるような不勉強な真言では鎮護国家どころか国が亡びましょう。
禅天魔…徒やみくもにブッ座っていても何にもなりゃせん。
野狐禅、邪禅、ポカン打座。禅もはき違えれば天魔のヤカラ。
つまり、これらは皆、各宗派が日蓮の言葉に恥じて襟元正す機縁として善意に受け取れば良いのです。
念仏無間…カラ念仏や空想・絵空事の浄土世界に誘えば無間地獄に落ちて当然。人間の都合の良い思考世界の浄土に泳がせるような念仏では現前の浄土を見失わせる。
律国賊。いくら戒律を他者に説いても己が律せられない律ならば役立たず。戒とは何か律とは何か。達磨大師の一心戒文と現代の戒律と大いにズレがあるのは何ゆえか。
戒も律も解釈を誤れば、この日蓮上人の言葉の真意を悪く解釈するように僧同士で戦争すら起こしかねない。

事実は一つ誤った解釈は無限。
よって自分中心の物事を枉げてみる見方こそが亡国、天魔、無間地獄、国賊を生みだすのです。
あなたもこれを諭されるまでは日蓮上人は悪い人間にすら感じられていたでしょう。
それが事実を自分中心のものの見方で枉げて曲解する我見という亡国の見。
それは誰にでもある。
私なんかこのようにリアルぶっちゃけですから、言葉が過激過ぎてフェイスブックでもブロック!ブロック!便座ブロック!丹下天魔!丹下亡国!丹下国賊!です。(笑)
ですが、本当の私は私でテン魔ならぬ、このマンマ。
解釈で曲解すれば、いくらでもイチャモンがつけられる。
今のインドやイスラム国をご覧ください。みんな女性はどうして女性に生まれてきてしまったのとばかり涙を飲む状況。当時もそういう時代背景があったのでしょう。そういう人たちに希望を持たせる救いの方便だったのでしょう。

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お坊さんにもプライドの煩悩がある

プライドの煩悩があると、自分はすばらしい存在だと思いたいのです。
自分の所属しているグループがすばらしい場合、自分をすばらしいと思いやすいので、人は、自分の所属しているグループを誉めたいのです。
で、そのときに、他のグループと比較して評価した方がてっとり早いので、人間は、他はダメダメでうちはスゴい、という図式を好むのです。

日蓮さんにもプライドの煩悩があったから、ちょっと口が滑ってしまったのではないでしょうか。
鎌倉仏教の特色として、煩悩を消す修行にこだわらない、というのがあります。
仏教は、プライドを含めた煩悩を消して悩み苦しみを消そうとするのが基本ですが、平安鎌倉時代の日本の宗教革命では、煩悩をそのままで幸せを感じられる信仰しかたが重視されましたので、日蓮さんは、プライドの煩悩を反省する気持ちが薄かったのかもしれませんね。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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皆お釈迦様の弟子ですから

拝読させて頂きました。大変学んでいらっしゃるご様子ですね。あなたのその様な姿勢頭が下がります。
ご存知の通り仏教には八万四千の法門があります。つまりお釈迦様が様々な仏法をお説きになられており、後世のあまたの修行者学者偉人が体系化したり解釈しています。人の世の時代背景や世相も大きく反映していますし、人それぞれの生まれた状況やどの様に成長なさっていったか或いはその方の資質も学ぶ上で影響して参ります。
おそらくご存じでしょうが成仏する道すじを高い山に例える場合もありますね。険しい崖を自分の力だけで登り切る方とひじょうに長いゆるい道のりを歩まれる方。又例え話で或いはあちら側にたどり着く為に荒波を突き進む方もいれば大きな安定した船で連れていって頂く方もいるわけです。
宗門にはそれぞれの宗祖様の生まれや成長過程や時代背景や生き様がその学ぶ内容をも反映されております。
宗教の他を誹謗中傷して自分以外の道すじを否定することは今の世の中でも見受ける光景です。私はそれは良くないことだと思います。人のふり見て我がふり直せです。私も皆さんも同じお釈迦様の弟子ですからね。共に相和して正しい仏教を学んでいきたいと切に願いますね。

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Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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質問者からのお礼

皆様ありがとうございます。
一つ質問なのですが、丹下様、この回答を見ていると理解をしなければ、題目無間や題目亡国というふうにも捉えられるのではないでしょうか?

「仏教宗派について」問答一覧

僕に合っている宗派は?

今のところは実家は浄土真宗、自分は浄土宗の信者を自称していますが、なかなか僕の婚活がうまくいかない事を見かねた両親が近所の占い師に相談したら、高野山で祈祷してもらえと言われたためにこのお盆休みに高野山に参拝したところ、今まであんまり興味なかった浄土門以外の仏教も良いもんだなあという気になってしまいました。 そこで深く考えると、この現世を穢土とみなして、自分の考え・善行を自力と呼んで否定する法然上人以降の浄土教の教義に染まっているために、よく指摘される周りとの感覚のズレが生じてしまっているのではないかとも思えてきたのです。もっと今生きているこの世を肯定的に捉える教えでも良いんじゃないかと。 また、もし首尾よく結婚できたとしたら今回祈祷してもらった愛染明王さまも僕の中で特別な仏様になるでしょう。そうするとますます専修念仏とは遠ざかりますね……。 ただ、慣れ親しんできた顕教を捨てて密教100%の真言宗まで振り切る勇気はないので、新たに選ぶとしたら空也・源信流の浄土教を伝手として天台宗かなと思っています。僕が一番信仰しているのは善光寺如来で、善光寺は浄土宗と天台宗の共同管理でもあることなので。 ただ、天台宗は称名念仏ではなく観想念仏だと言われますがそれをやり切る自信はないし、朝題目と言われても某新興宗教団体へのアレルギーから南無妙法蓮華経と毎日唱えることには少し抵抗を感じます。こんな気持ちで天台宗に行くべきではないでしょうか? 天台真盛宗というのもあってそこは南無阿弥陀仏の念仏メインだそうですが、ここでも南無妙法蓮華経は唱えないといけないでしょうか?(明智光秀が好きなのでその点は西教寺も良いなと思います) なんだかとりとめもなくなってしまいましたが、早い話が来世の往生だけを期待する専修念仏の枠組内には居られず、現世でもいろんな菩薩・明王・天・神道の神々に頼んで幸せに生きたいけど主尊としては今まで通り阿弥陀さまに居てほしいし、さりとて職業を持つ在家の身なのであまり観想念仏のような難しい行を求められても困る……というわがままな悩みです。

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回答数回答 1

一生の信仰にする宗派を決めたい

私は、夫婦ともども地方都市より都心に出てきて居を構え、菩提寺も信徒としてお世話になっているお寺もありません。 夫の実家は新興宗教信者の曽祖父から独立してできた無宗教の一家で、私の実家も引っ越しの際に墓じまいをしてお寺との関わりがないような状況です。 私の父方と母方の祖父母は浄土真宗と日蓮宗の檀家だったと思いますが、信心深い祖父母の家にいることが多かった私は、仏壇に手を合わせ読経して育ち、結婚して家に入る時には婚家の信仰するお寺のお勤めをするものだと思っていました。 ところが、夫の家が無宗教と聞いて愕然とし、結婚後、数年は我慢してきたのですが…最近になって自分の信仰の場を持ちたいと強く思うようになりました。 上記のことから、これから先、一生の信仰として信徒になり、励めるお寺を探しています。 ところが、コロナ禍になってからというもの、門が開いていてもお掃除の方しかおられないお寺も多く、法話会や写経会が中止となっているところも多々あって、僧侶のお人柄などに触れる機会が少なくなっている気がします。 このような中で自分に合った信仰の場を探すにはどうしたら良いでしょうか。 なお、宗派は浄土真宗、日蓮宗だけに絞ろうとは考えておりません。 住まいの近くには曹洞宗や日蓮宗が多いようですが、隣の区あたりまで範囲を広げて探すつもりでおります。 また、コロナ禍で外出が難しかった折にさまざまな宗派の教義や勤行等調べてみたのですが、どれもとても素晴らしく感じ、なお迷いが深くなってしまい困っています…。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ