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結婚してもいいんですか?

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有り難し有り難し 10

先日、親戚の法事に参列しました。
お経の後
和尚さんから有り難いお話があり、
とても感銘を受けました。
煩悩があるから
人間は思い悩むと。
自分の心が自分を苦しめるという
お説教でした。
会食の席で
和尚さんは我々と同じ料理を
食されていました。
食欲って煩悩ではないのですか?
てっきり精進だと思ってたので
少なからずショックでした。
お子さまの話しもされてました。
結婚してもいいんですね?
お説教とあまりにギャップがあります。
そのあたりを
分かりやすい教えて下さい。
よろしいお願いします。

2015年2月26日 7:58

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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

欲自身は悪いものではないのです

補)
出家も在家も日常を過ごす上では「同じ」と存じます。
社会やひとのために懸命につくして生活を送るのが在家であり、
いつも自分と向き合い、ほとけと向き合う生活を送るのが出家である
例えば「溺るる者 水に入れば 掬う者も又水に入る
 水に入ること同じうして水に入る所以は即ち異る」のごとくと
小生は考えます。

問題なのは欲というものをコントロールできるか否かです。
小生の回答でよく使わせて頂いているのですが、ウダーナヴァルガという
経典にておしゃかさまはこのように仰います。

愚人は快楽を求めて返って傷つく。
しかしこの世で自己を求める人は傷つくことはない。
快楽をひたすらに追い求めるが故に愚者は他人をも自分をも損なう。

自己を求めることも欲です。それが「過ぎる」のがよくない。
「快楽」を求めることを諌めるのが仏教です。

おしゃかさまはおさとりをひらく折に、スジャータ村の娘さんから
乳粥を供養され、それによって身体を調え、身体を調えたことで
こころの健康も得られたなかで、悟りを開かれました。

ですから食事は大切な行であり、頂いたもの、テーブルに上がったものは
有難く頂戴することがたいせつになります。
むしろ御用意頂いたものを食べないことの方が、いのちを「殺す」ことに
なります。いのちを「活かす」教えが仏教だと心得ています。

僧侶の妻帯は、それぞれ宗派などによっても考えは違うかとは思います。
小生自身は、妻帯は「えにし」と心得ています。
仏縁によって妻帯することとなれば、有難く縁を結び、子をもうけたらよい
と思います。ただし大切なのは、「自己を求める」ことをやめてはいけない
ということです。子どもや妻に捉われず、得た「えにし」を修行の糧として
務めるところに僧侶の妻帯があろうと思います。

煩悩とは文字通り「煩い、悩む」ことをいいます。
おしゃかさまは「一切皆苦」という言葉を遺しているように、すべては
思い通りにならないのが「いのち」であると示されました。
故に、思い通りにならないとぶち当たったときは煩悩が生まれます。

しかしその時に、念仏、読経、坐禅、作務(掃除とか)を務め励むことで
煩悩をコントロールして善い方向に思い悩みを運ばせ、やがては煩悩を
煩悩とも思わないようにするすべを、今に伝えているのです。

2015年2月26日 10:11
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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

和尚さんのお話は
なるほどと思ったのですが、
矛盾だらけで…
星先生の説明だと、
それなら我々と同じ生活をさらてるってことでしょうか?
出家されてるのでは?
そのへんがモヤモヤしてます…

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禅の心

以前、代々ご家族の血縁でお寺をされている長男のお坊さんとお付き合いさせて頂いておりました。 私は、小さい頃からずっと日本の文化が 好きです。行動や意味、全てに想いが詰まっていると思うからです。禅もそうだと思います。宗派や教えは違いますが、修行する意味、教えの意味、そこにある想いは一緒だと思うのです。 彼は継ぐ決心が出来ず、実家のお寺を離れて大学生をしている時に出会いました。彼のお父様にお会いした時、すごく違和感を覚えました。言葉では表しにくいのですが、冷たい…ドライな感覚です。彼もお坊さんになる決心をして、修行に行くまでの期間、その違和感に似たものが私の中でどんどん大きくなっていきました。偏見の言葉や、権力には敵わないなどの発言も多くなっていきました。お父様そっくりでした。 お別れした後、周りの方からは「私達には分からない世界だからそれは仕方ない」「私達には分からない重圧があるのだろう」と。 それが私には納得がいきません。生きていくだけで辛い事、苦しい事が沢山あります。それはお坊さん一般人関係なく平等にあるものだと思います。 お寺の世界とは、一般の世界とは違うものなのですか?今まで自分が信じてきたものが分からなくなる時があります。

有り難し有り難し 10
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坊主と乞食はどう違いますか?

挑発的なタイトルで申し訳ありません。もっとマイルドにしたかったのですが、字数の関係でできませんでした。決してお坊さんを馬鹿にしてやろうとか、悪口を言ってやろうとかいう気持ちはありません。むしろ日々尊敬しております。なのでそこの所をご理解いただけたら幸いです。 本題に入ります。 まことに、大変失礼な質問だとは思いましたが、心の中にふと思い浮かんでしまいました。 仏教書を読んでいたら、「仏教の出家者は一切の生産活動を放棄して修行に専念しなければならないので、一般の人たちからお布施をもらわないと食べていけません。」とありました。 その部分を読んだ時に浮かんだことは、「お布施をすることによって、お布施をした人にはなんのリターンがない。これでは乞食に施しをするのと同じでないか?」ということです。 もちろん、お布施をすることによって功徳が積める、物惜しみに打ち勝つことができるというのは分かっているのですが、現代人にそんなことを言ってもそれが何だよ?と鼻で笑われるでしょう。もし私が誰かに「坊主と乞食って何が違うの?笑」と聞かれたら私はなんと答えればいいのでしょうか? ちなみに身近なお坊様(そこそこ名のある立派な人です)にこの質問をしたら「違わないんじゃね?」とのことでした。ハスノハのお坊様方はどうお答えになりますか? 大変罰当たりな質問だと思います。このことで私の身に不幸が起こったら甘んじて受けるつもりです。しかし、後学のためになんとかお答えしていただければ幸いです。

有り難し有り難し 59
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