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鬱病の妹との接し方。

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私の妹は、鬱病(多分軽い鬱病)です。去年の10月から私の職場でパートで働いてます。私の職場と言っても主人が建設関係の自営業をしてるので、私の補佐みたいな感じで事務職です。本当に最近妹は会社に来てもテレビを見て過ごしたり、LINEをしてたりで、私が、書類の整理を頼んでも返事は「うん。」てしますがなかなか仕事をしてくれません。あまりキツくも言えないし何でしないの?て言いたいのですが、言うとしょんぼりすると思うし…どう接したら良いのかわかりません。結構私がしてしまいます。朝から一言も話さない時もあり、私がストレス溜まってしまいます。妹は普通にしてると思ってるかもしれませんが、私は見ているだけで、イライラしてしまいます。仕事もミスが目立ちます。主人に相談したら、最初から仕事やる気はなさそうだし、いい加減な所もあるし。と言われてしまいました。本当に悩んでます。どうしたら良いでしょうか?宜しくお願いします。乱文ですみません。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

赤い布に … 心がポキッとね

ウチの3歳の娘は心が折れやすいです。
強く言うとため息とともに目をつむって死んだように動かなくなります。
そういう生まれながらの打たれ弱い子っているのですね。子どもを持ってはじめて知りました。
守られている感を与えてあげてみてください。
人間いくつになっても心が沈んでいる時はしょぼくれてしまうものです。
お姉さんとしても心が折れない方法を教えてあげるとイイと思います。
自分は昔こういう事で傷ついたけど、こうしたら治ったよ、と。
私は昔、物事や相手を見る時、そこに実際に無いものを心のスクリーンに映し出してしまうことがよくありました。まぁ、これは人類共通の妄想、無明の煩悩ともいえるのですが。
人間が恐怖を覚えたり、怒りを覚えるのって実は相手ではなく、自分のインナーワールドに於いてなのです。
赤ちゃんにキレるのっておかしいでしょう。赤ちゃんが人を怒らせるのでしょうか。
牛が赤い布をみてコーフンして怒り狂っているのって、そういうことを教えてくれます。
ものや相手、情報の方に自分を困らせるものがあるんじゃなくて、それによって反応した自分の中のビジョン、実体は大したことのない赤い布に向かって、様々な思いを生じているのです。
ここをあなたも悟ってください。
そして、私より上手に妹さんにお伝えしてください。
【人間は、その実際の相手ではなく、その相手に対して自分の中で思い起こした赤き布のような思いに対して様々な感情を持つ愚かしい生き物である。ゆえに、その愚かさを卒業するには、そのことわりを知って、自らの赤い布を取り払い=dis(消す)COVER(覆い)=発見、真実を発見するのである。】

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。人間関係は本当に、姉妹でも難しいですね。

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