hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

性別に悩みます。

回答数回答 3
有り難し有り難し 53

今、自分の性別に悩んで居ます。

今、結婚していて旦那もいます。
自分の性別に悩む時あります!

男性として生きたいって思う時もあります。
女性としても生きたいって思う時もあります。
今、中性と言う言葉もあります。

どうすればはっきりできます?


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

なぜ、どちらかを選ばなくてはならないのですか?

男♂
女♀
と文字や記号ははっきり分かれていますが、

男にも女々しいところや、女の人らしい繊細な感性があります。

女の人にも男らしいところや、力強い部分があるはずです。

そしてその割合は
十人十色でしょう。

指紋や網膜と一緒でひとりひとり違うのです。

女として、とか
男として、とか
よりも、
あなたとして
生きてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
生きるための仏教 生身の私達のための仏教 私たちが人生を歩む上でかかせない杖となる教えが仏教です。 そんな、「生きるため」の仏教をお伝えできたらと思います。 Instagramにて 2.3日に一度のペースで門前掲示板の一言を掲載しています。宜しければそちらもご覧になってくださいね。 asuka_yuishoji で検索してください。

名称以前を生きる

曹洞宗には十重禁戒という10の戒律があります。
その3つめに【不邪婬戒】という戒があります。
これは、道ならざる男女の愛欲を犯すことをしてはならないという事もありますが、
深い意味によると「男女の隔ての思いを持ってもならない」ということでもあるそうです。
これは私の私論ではなく、曹洞宗で悟りを得られている原田雪渓老師がこのように示されておられます。
男性だから女性だから、というわけ隔ての心を持っていない時には、男性も女性も円滑に仕事や業務が進みます。
そもそも人間は無意識の時、相手が男性であろうが女性であろうが好き機あり、分け隔て、分別無しに接しています。そのような時こそ、人間は「無私心=無心」に最高の力を発揮できるのです。
今都知事になられた小池さんに対しても女性だからという偏見を持っている人も古い考えの人は多いです。いい政治をするのに男性も女性もありません。
あなたが男性であれ女性であれ、1人の人間であることには変わりありません。
男女という古い考えを超越してください。
男女という剣かいに陥らない様にしてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

子供を産むのが女性

仏教のある経典には、極楽浄土という世界のお話が出てきます。
極楽浄土には女性がいません。
極楽浄土の生き物は、母親や卵から生まれるのではないからです。
極楽浄土の菩薩様たちは、蓮の華の中からまるで魔法のように生じるのです。
子供を産む者がいないということは、女性がいないと解釈できます。

一方、地球上の生物の中には、オス・メスの区別なく、細胞分裂で子供を作るタイプの生き物がいます。
この場合は、この生き物は、全員が子供を産むのだから、全員が女性だと言うことができます。
生き物には、女性か女性以外かしかないのです。
あなたが子供を産む(産みたい)なら、女性です。
人間社会の文化的な「男らしさ」「女らしさ」については、千差万別で、どこからが男でどこからが女とかは、線引きする必要はありません。
法律上は、便宜上、どちらかに決めねばなりませんが。
子供を産みたいなら男性と結婚する必要があるので女性と名乗ればよいでしょうね。
子供を産むつもりがないなら、社会生活において男女どちらを名乗ってもかまいません。
心の中では、あえて決める必要さえないかも。
いつかあなたが極楽浄土に往生した場合は、女性じゃなくなるので一応男性と呼ばれるかもしれません。が、性別自体がない浄土では、あえて男と呼ぶ意味さえなくなるでしょうね。
短い人間世界での生活、悩んでいると時間がもったいないです。
子供を産む女性でも「男らしい」女性もいます。
あまり悩まず、楽しく暮らせるとよいですね。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

煩悩スッキリコラムまとめ