私の人生って、何?
結婚して、20ねん。最初の10年は何の不満もなく毎日幸せな10年でした。あと、残りの10年は主人がうつ病になり、必死に治ると信じて支えた10年。
病気になってからは地獄のような10年でした。信じた気持ちを裏切られ、毎日ヘトヘトになるまで働き、子供を必死に守ろうと、走り続けてきました。
ある時、友達との飲み会がありまして、皆、それぞれ人生を頑張り、また、成果を得て大変な中にも、楽しそうにすごしているようにおもいました。
そして、私は、がんばってもがんばっても得られない成果、楽しいなんて思えない自分。治らない主人の病気と付き合うことにつかれ、いつしからか、愛情もなくなり、恨みにさえ主人の事を思ってしまう自分。頑張りがいのない毎日をすごさなくてはいけない毎日にうんざりし。友達と比べて、ミジメに思ってしまいました。
ずっと、みなをうらやましいと思っていましたが、主人が病気になってしまったことは、仕方ないことだし。必ず治ると信じて、羨ましくても、友達とのたまにある飲み会は楽しみでもあったのに、気づくと苦痛になっていました。
私の人生って、何なんだろう。私はなんのために生きているのだろうかと。
主人を支え、子供達を守って、あと、なにがのこるんだろう。と。
誰もいないところで、新しい人生を再びスタートさせたいとすら思ってしまう毎日です。
あれほど大事に、思っていた子供達とも離れてです。
もう、すべてから逃げ出したい。けれども、そんなことは、できないのも自分ではわかっていて、そんなすべての自分が嫌でたまりません。
私の人生は、何なんだろうと悲しくて一人涙してしまいます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
今に生きましょう、未来ではなく。
こんにちは。私も来年で結婚20年、そして、イロイロ一息つき、「何が残るんだろう」と、フト思う。共感と親近感が湧きます。うちの子もトップは高校生になり、はっきり親離れが見えて来ました。
このhasunohaを見ていても、「何のために?」という問いに戸惑う人の多いことに気づきます。
この突っ走ってきた20年、その問いはずっと貴女の中にありましたか?恐らく「そんなこと考えている暇はない」ほどに進んできたのではありませんか?
ですから、多分初めてのことなのです、「取り敢えずいま、やらなきゃならないこと」「やり甲斐があること」が見当たらないのは。イヤもちろん主観として、ですよ。そして戸惑っている。
目新しいこと、ガムシャラにやることは、年をとるにつれ減っていきます。ですから、人生はいつか転機を迎え、「自分が持っていること」の中に意味を見出す時期に入るのです。
「主人を支え、子供を守って」、それで十分じゃない、と人は言う。けれどそれに飽き足らないのですね。
そして多分…「じゃあ、新しいことに何か挑戦してみたら?」というのも億劫なのでは?
仏教は恐らく、「人生の究極の目的なんて無い」と言います。但しこれは辿り着くものとしての目的です。それを飲み込むと、「日々そのものが生きること」であると気付くでしょう。家族とのホンの一瞬の会話の中に、包丁で野菜を切る手応えに、それこそ蝉の鳴き声に、何がしかの意味を見つけられるようになります。それを味わう。何のためにする、ではなくその事自体を味わう。
これ実は、今までを一生懸命生きてきた人にしか到達しない境地なのです。人生を遊ぶ、人生を楽しむというのは、そういう態度です。
治るのを待つのではなく治すこと
ぶきさんの状況と心情よくわかります。ご主人の病気は何が理由かはわかりませんが、病気は医者任せで十年を過ごして来られたのでしょうか?それともご自分で生活習慣や環境を変える努力も重ねて来られたのでしょうか?医師にずっとかかっていてますます悪化していくようなら、医療はなんの助けにもなっていないということですから、ご自分で食養や健康法に取り組んで、治すような暮らしに切り替えていかなければその状況から抜け出すことはありませんね。
私が書いた楽健法経というなかに、「治らざる病はあらじ、病の治らざるは治療の理法を得ざるがためなり」と書きましたが、取り組み方が正しければ病気は改善出来ます。鬱などの心の病に見えるものも身体の不調が精神を病む原因になっていることがほとんどなので、身体の循環をよくする運動やヨーガ、肉食好きなれば菜食に切り替えていくなどの改善が必要です。
ご主人の病気は楽健法などに取り組むことが出来れば必ず改善しますが、それをあなたとご本人が理解する
能力があって、取り組むことができるかどうかにかかっています。現状を何も変えないまま気持ちだけ楽観主義に切り替えることなどあり得ないでしょうし、お坊さんから暖かい言葉を受け取っただけで解決する問題ではないですね。二人で協力して現状を変える努力をすることを目標にされたらいかがですか。
生活の状況が色々とあることと思いますが、現状を脱する方向に気持ちを切り替えていくことですね。
まだまだ先の長い人生ですから、苦の原因を解除する前向きな努力をなさるようお勧めします。
楽健法 などで検索してみて下さい。
質問者からのお礼
お礼がおそくなってしまいました。
がむしゃらに走っていたんだな…。とあらためて、私の人生をふりかえりました。
そして。おっしゃるとおり、意味が欲しかった…。
先の見えないゴールに、疲れがたまってきたのかもしれません。
また、がむしゃらに走り続けよう、そんな勇気をいただきました。
我が家は高校3年生中学1年生の息子と。まだ4歳の娘がいます。娘のためにも、まだすこし、がんばらなくてはいけませんね。そして。
娘が長男位の年齢になったときに、日常をありがたいと思えるようになっていたいです。ありがとうございました。