hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

努力

回答数回答 2
有り難し有り難し 53

初めて利用させていただきます。
わかりにくい日本語かも知れませんが、最後まで読んでいただけると嬉しいです。

今に始まったことではないですが、
やる気が続かない・努力ができない
こんな状態が今まで以上に強くなっています。
やる気が出る時はもちろんあるのですが、短時間です。
すぐ集中が切れ、やらなくてはならないことができなくなってしまいます。
努力ができないなんて、自分次第ですし、そんなの甘えでしかないのはわかってます。

だからこそ、どう足掻いても努力が少ししかできない・自分に甘すぎるような今の自分だったら、
社会に必要ないですし生きる意味もないかなぁと思ってしまいます。
だからといってもちろん自分で生命を絶つ勇気もないです。

要するに、僕自身目標はしっかりしたものを持っているのに、それに向けての努力ができない。もう自分が何がしたいのかわからないし、どうすればいいかもわかりません。

うまく言えませんが、どーすればいいかアドバイスがいただければと思います。何が質問なのか自分でもあやふやになってるので、答えにくいと思いますが誰にもこんなこと言えないですし、このようなとこでしかいうことが出来ないです。よろしくお願いします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

何がやりたいのかが見つからないと私もやる気は出ませんでした

修行道場へとりあえず行ってみました。
よく分からんですが悟りを得たいと思いました。
どこに行けば悟りを得られるのかディグダグしました。
掘り当てる場所は自分の内側でした。
修行道場には色々な部署がありました。
オレは何をしてえのか。
あ、俺にはここがダメだなぁと思う所があり、改善を試みました。
一時期、そっちばかりやっていました。
ある時「自未得度先度他(じみとくどせんどた)」という言葉にでありました。
これを私の好きなジミヘンドリックスで説明しますと、ジミヘンドリックスは戦争へ行って頭がおかしくなって帰ってきてから一日12時間くらいギターを弾いていて気が付いたら誰も真似できないくらい天才になっていて、自分がインプットしたことを咀嚼して自分なりにアウトプットしたらたった二年しか活動していないのに歴史を超えて世界的に高く評価される天才として崇められるにいたりました。
自未得度先度他とは自分が悟りを開いていなくても、まず自分の持てる力でもって誰かのお役にたったり助けになったり役にたつ生き方をするということです。自分が自分の持っていることでただ、自分の活動をした結果、誰か救われたり共感してくれる人が沢山現われたということです。
それでは、以上の点を踏まえてジミヘンドリックスが弾いたROCK ME BABYをお聴きください。
原曲の原型ゼロ。傑作です。https://www.youtube.com/watch?v=tyuqWFqyJ0E
ところで何でジミヘンなのかというと「じみとくどせんどた」ということばが「ジミとくどヘンどた」と聞こえたからです。それだけです、はい。(それだけかい)
私は自分が出会った禅の師たちから学ばせて頂いた仏教の悟りを分りやすく私のようなバカでもピーでも救われるように噛み砕いて私のようなひねくれもんでも笑って元気になってくれるように仏教語もなるべく用いないで仏教の核心を伝えることが私がやりたいことです。
あるラーメン屋にこう書いてありました。
「ラーメンで人を幸せにしたい」と。私はラーメンで太りましたが、あなたは何で人を幸せにしたいでしょうか。自分の持っているスキルや隠れた能力で人を幸せにしてみてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

『精進』しましょう。

はじめましてりーくんさん。
いきなりですが、
私は『努力』という言葉がどうも好きになれません。

現代はあまりにも『努力、努力』すぎてなんだかしんどいですよね?
そんな風に追い立てられて、もしくは自分で追い込んでする『努力』は
まるで字のごとく奴隷(奴)の努力ですよね。

仏教には『精進』という言葉があります。
一般的には『努力』となんら変わりない言葉のように思いますが
実は違います。

がむしゃらな、ひたむきな、休むことなき努力を『精進』とはいいません。
肩肘張らず、横道それたり、休みながらの歩みを『精進』というのです。

『努力』しようと思わずに、
力を抜いて、時には風任せ、そして時にはゆっくり休む。
そんな風に歩んでいきましょう。
それが仏教の教える『精進』であり
そんなふうに歩んでゆく中で
自然と『努力』ができるものなのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
生きるための仏教 生身の私達のための仏教 私たちが人生を歩む上でかかせない杖となる教えが仏教です。 そんな、「生きるため」の仏教をお伝えできたらと思います。 Instagramにて 2.3日に一度のペースで門前掲示板の一言を掲載しています。宜しければそちらもご覧になってくださいね。 asuka_yuishoji で検索してください。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ