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愚痴を吐いた後の後悔について

回答数回答 1
有り難し有り難し 56

相談内容はほぼほぼタイトル通りです。

自分で言うのもですが、わたしは滅多に愚痴を吐きません。
ですが極たまに信頼してる友人に相談混じりの愚痴を吐いてしまいます。
先に申したように、あまり愚痴を吐くことをしないので、たまに愚痴を吐いてしまうとものすごく後悔してしまいます。

・愚痴を吐いたところで何も解決にならない
・人のことを言う前に己はどうなんだ

こういった感情に飲み込まれてしまい落ち込んでしまいます。
職場の人や友人に「いつもニコニコしてて羨ましい。ストレスないの?」と聞かれることが多く、常にニコニコしてる自分を繕ってるのかもしれません。

他人に不快な思いをさせることもあるかもしれませんが、少なくても私自身、愚痴を言わない、ニコニコしてることで仕事も人間関係もうまくやってきました。
が、やはりストレスが溜まる時があります。
その時に出てしまう愚痴、自分で自覚もあるのですが、愚痴を言ったところで何一つ清々しないんです。どちらかと言えば後悔の念に悩まされるのに愚痴を言ってしまいます。

この場合、愚痴は我慢するべきなのか、言うだけ言ってみるのか。
しかしその後の後悔をどうするのか、心構えを教えていただけると助かります。


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

愚痴があって当たり前!その後どうするかです。

人間の罪は深い貪り、怒り、愚かさ(三毒)によります。それは、身体の行い、口の行い、心の行い(三業)から生まれ起きたものです。

<三毒>
貪(とん)「貪り」
淫欲、財欲、食欲、名誉欲等

瞋(じん)「怒り」
自分を見失い怒りにまかせた状態

痴(ち)「愚かさ」
以上の三つがあり今の貴方の「愚痴」は三番目の「痴」にあります!
心が欲望におかされ道理のない状態は、己の身と口と心から生じたものであるとされ生きる上では要らぬ心、邪心であり迷いの世界へと繋がりますとありますがこれは仏道を志す上での教えであり誰もが備わっている心で全ての人に強制するものではありません。

ここで大事な心構えは悪業を無くす事なんですがそれには善行を持って己の功徳とし少しづつ消滅して行くのです。
しかし生きる上で辛く苦しい時誰もが愚痴の一つや二つ言います!
言うなと言うのではないのです。言って良いのです!その後が大事なんです!
どうか自分を追い込むのではなく追い込んだ後に何をすべきかを考え行動すると心も軽く成ります。
考え込まず!塞ぎ込まず!只、前を向き少しの勇気と善行で一歩踏み出して下さい。

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有り難し
おきもち

質問者からのお礼

回答ありがとうございます。
確かに後悔で考え込んでしまうだけで、なにも行動を取っていませんでした。
頂いた回答を参考にさせていただきます。
本当にありがとうございました。

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