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孤独と劣等感でとても辛いです。

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私は暴力的な父の元に生まれて、兄弟と共に殴られて育ってきました。父は働かずに祖母の貯金で生活費をまかない、また風俗で遊んだり、それに加えて兄にも何百万の借金をしていました。いろいろな問題があったせいで幼い頃から私の家庭はギスギスしていて家族はみんな仲が良くありませんでした。
また私は中学校で虐めを受け、その虐めと家庭環境から薬を飲み自殺を図ったのですが、結果死ねずにうつ病と診断されました。
私はその結果、中学校に通うのを辞め、また家庭でも孤立していました。
私はそれから高校へ進学せずにずっと好きだったバンドをやるために3年間フリーターをやるのですが、病気のせいか音楽がだんだんと苦痛になってストレスで精神科に入院しました。
精神科を退院して私はすぐバンドを辞めました。そして通信制高校に通い始めました、今年で2年生です。
私には何年も交友があった音楽好きの地元の親友がいるのですが、彼らは昨年大学に進学したあたりからどんどん疎遠になっていき、それぞれのバンドや大学の友達と毎日楽しく過ごしているらしく、学校も音楽活動も充実しているようです。
その音楽仲間と地元の友達で最近、久しぶりに集まって飲み会をしたのですが、彼らは音楽活動の話をずっとしていて、自分の夢や大学生活を楽しそうに語っていました。私は悲しくてずっと黙っていました。また、話題が恋愛に置き換わり、そしてその11人のなかで交際経験が無いのは自分だけでした。そしてそれを言った途端に憐れみと嘲笑の目で見られました。私は誰とも付き合ったことがありませんし女性の友達すらいません。悔しいし悲しかったです。私は飲み会でずっと黙っていました。
たしかに私は友達が好きなのですが、彼らといるとこのように私は劣等感で押しつぶされそうになります。彼らは私と違って学校の生活を楽しみ、友達と遊び、恋愛を経験し、音楽活動もがんばっています。私は彼らといると自分が惨めで仕方なくなります、だからバンドを辞めたあたりから私は彼らと距離を置くことにしました。
だから私はほとんどの日を一人で過ごしています。誰とも会話しない日がほとんどですし、上に書いたように家庭環境が崩壊しているので家でも会話はありません。音楽も辞めたので生きがいが何もありません。
最近、自分の不甲斐なさや劣等感や孤独感で頭がおかしくなりそうなくらい辛いです、どうしたら良いでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

是非、仏さまを心のよりどころに

亀山純史と申します。どんな人をも、仏さまは見捨てません。是非、仏さまを心のよりどころにしてもらいたいです。私の宗派(浄土真宗)でいえば、ご本尊の阿弥陀如来は、智慧(光明無量)と慈悲(寿命無量)を円かに備えた仏さまで、すべての命あるものをを摂めとって捨てないという願いのはたらきの通りにはたらいている仏さまです。このような仏さま、どこにいるのかと言えば、私たちの生き方(人生に対する価値観)が明らかにされてくる世界、言い換えれば、縁起という仏教の教えに基づいて私たちの前に示された絶対的な世界に存在する仏さまです。ですから、科学で説明される世界(相対的な世界)においては、仏さまを見つけることはできません。それはちょうど、陸上で魚を探すようなものです。魚を探すには海や川の中に入らなければいけません。私は質問者の桔梗さんに、「自信を持って」「自信を持てるもの探そう」などとは言えません。それは、私も仏さまを抜きにしたら、本当に自分に自信を持てるだろうか、と思ってしまうからです。私が今こうして生きていれるのも、絶対的な世界(仏さまの世界)からの仏さまを心のよりどころにしているからだと思います。
少しでも心が癒されることを願っております。

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おきもち

hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...
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いつもと違う人に話してみる

桔梗様

お父さまからの暴力、学校でのいじめから、そのうち大好きだった音楽までも辛くなってしまったとのこと。
読んでいて、ほんとうに辛いお気持ちが伝わってきました。

それでも現在 通信制高校二年とのことで将来にむけて歩みだされています。

かつての友人たちと時を経てまわりの環境がかわってしまうのは、仕様がないこととはいえ寂しいですよね。

今はどなたとも話す人がいないとのこと。
それが一番、辛さを持続させてしまっているのかもしれません。

かつてお世話になった精神科の先生や、このハスノハのお坊さんがやっておられる座禅会や法話会にでてみて、月に一度でもお話しできると少しは楽になるのではないでしょうか。

世の中にはいろいろな人もいて、同じように悩み苦しんでいる人もいます。
その人たちの話を聞き、そして自分も話せるようになれば、悩みがなくなることはないかもしれませんが孤独ではなくなるかもしれません。

ここで質問することも勇気のいることだったと思います。
しかしそれができたのですから、次は先生やお坊さんや同じように悩んでいる人とお話しできたらいいですね。

右のバナーにある深川の陽岳寺さんやなごみ庵の浦上さんは、私も友人としていろいろ相談したり悩みを聞いてもらったりしています。
ぜひ一度、どこかに足を運ばれて、今度はご自分の話をしてみてください。
ご縁がありましたら、私も聞きたいと思います。
応援しています。

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おきもち

平松理薫(釈理薫)
真宗大谷派(東本願寺)僧侶 東京品川 日夜山正徳寺 住職 主な活動...
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「孤独と向き合う」問答一覧

孤独の力に負けてしまいます

何度かご相談させていただいております。寂しさ、孤独については3回目くらいのご相談になります。 私は孤独を感じるとネガティブスイッチがオンになり、自分が可哀想な理由を思い出の中から引っ張ってきたり(過去に傷ついた出来事など)、涙が止まらなくなったりして、目の前の事に集中できなくなります。幸い、誰にも迷惑かけない程度に自分の心の中にネガティブは収まっているのですが、自分にとって大変迷惑で、今年はこうなってしまう自分を卒業したいです。 現在、恋人はおらず、友達はいますが、この状態になった時にすぐ電話をかけられる人はいません。友達はみんな違う街に住んでいるので、なかなか会えません。時々電話はします。できれば、自分で自分の感情を落ち着かせたいです。 また、今どうしても頑張らないと行けないことがあるので、地元のコミュニティに参加するなど余裕はありません。もちろん、余裕ができたら参加していきたいとは思っています。 前より自分を客観視できるようになって、ネガティブスイッチが入った時、このまま行くと自分を可哀想だと思い始めて、記憶を漁り出すな、と認識できるようになりました。ここまではうまく行っているのですが、寂しい気持ちを処理できずにどんよりして、集中力が落ちたり、眠れなくなったりします。眠れない時は次の日にも響いて、ネガティブを持ち越すこともあります。 寂しい気持ちはどこにやってあげたらいいでしょうか。ネガティブな感情との向き合い方のヒントをいただけると幸いです。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 4
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将来親が死ぬことと自分が孤独になること

中年ですが親の死が怖くてたまりません。 先日祖母を亡くして以来恐怖が強くなり、夜眠れず、朝から突然涙が溢れます。 私はひとりっ子で同居しています。 日頃から絆を感じる友達はおらず、新しい仲間を作りたいと思い行動してもうまくいかず、一人きりです。 親とは他の仲の良い家庭と違って行動は昔から常に別々ですが、今思うと私の人生は親が全てだったと感じます。 本当に何もかもお世話になっていて、たくさん反発しましたが精神的にも常に助けられて来ました。 そのことに気づかないくらい当たり前になっていて、それくらい当たり前のように救われて来ました。 こう書いていてまた涙が溢れます。 若い頃に社会不適応と診断されたことのある自分は職場でも孤立しているため、一般的な大人のようにフルタイムで働くことがとても厳しいです。 でもなんとか自分のものになるようにと、今の職場で新しい勉強に取り組んでいる最中ですが、なぜか身が入らず、メンタル的にも不安定で、将来が怖くて怖くて仕方ありません。 今親は健康で、家事は家族全員で分担し、うまくやっています。 でも当然ですがこの日常はいつか終わります。 だれもが通る道だしそれが世の常だ。って分かっていても、どうしようもなく怖くて、毎日が本当に本当につらいです。 恐怖が心から消える瞬間がほとんどありません。 どうすれば、今目の前なことに集中して、心を穏やかにできるでしょうか。 また、こんな自分が今後孤立して孤独にならない方法はないでしょうか。

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なぜかいつも一人

子供の頃からふとはぐれてしまったり、輪に入れずに一人になってしまうことが多く、ここのところはやっぱり週末も誰かと過ごすというよりは一人で出かけたりということばかり。 誰かとつるむことがそれだけで良いことかといえばそうではないだろうし一人でいる時にはないトラブルや悩みもあろうかとは思います。 他人で自分の穴を埋めようとしてはいけないとは思います。 外国人の友達はよくできていた頃があって、それでも彼らは帰国して物理的距離に反して会いに行けば大丈夫なのですが親兄弟には言われぬ日々の暮らしでの喜び悲しみを共有する相手がいなくて、それは少しつらいです。同時に、一人いればそれはふと虚しさに襲われて、一人でいない時もやっぱり虚しさに襲われて、でも何かを誤魔化す、紛らわすツールとして誰かと一緒にいたいというわけではないとは思ってます。 虚しさ、これが人をして私から遠ざける何かなのかもしれないです。 飲み屋だスナックに行って人恋しさを紛らしている自分がなにを求めているのかもわからないです。コロナ禍の時に父親が極度の警戒心から出歩かないでくれと言っていた時期には達観した気になって私なら孤独感に苛まれまいと平気を貫いてきたかにみえたのですがつらいのは果たして孤独感なのか、自分の声が誰にも届くことない感覚、あ、それも孤独感なのか。 これとても数十年したらみんないないんだろうなとかやっぱり独りになるんじゃなかろうかと、要らぬ心配なのでしょうがまた虚しくなり。 結局は他人は変えられないし自分だって思うようには操縦できないし、世界は自分のためにあるわけではないし思い通りにいかなさを納得するとか泣き出したいこんな気持ちを飼い慣らすかする術をどうにか身につけたいです。

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