どうしても合わない人間っていますか
以前の職場で、後輩なんですがどうしても余り好きになれない女の子がいました。なぜかその子を見てるとイラッとして、親しみがもてませんでした。
余り接触はなかったのですが、向こうも余り自分が好かれていないと察知していたのか、自分が私にいじめられていると噂を流していたみたいなんです。私の顔の表情や態度に何気に気持ちが出ていて、誤解をさせてたのかもしれません。
その子は、仕事もそつなくこなす悪い子ではなかったと思うのですが、なぜかその子の言動や容姿、深みのなさが嫌いで余り関わりませんでした。
今でもその子のことを思い出すとイラッとする半面、自分の人間的な器の狭さを後悔します。
これから新しい職場で働くに当たって、そういう人に出会った時、どういう対処をして、どういう心の処理をすればよいか教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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相手を知るということ
ご相談拝見しました。
「どうしても合わない人」っていますよね。
「馬が合わない」とは上手く言ったもので、
なんとなく好みや考え方が合わない。付き合いにくい。反りが合わない。そういう感じで正に馬が騎手を振り落とすように私たちもそういう相手は遠ざけてしまうものです。
しかし遠ざけたくともそういう人と出会ってしまうのもまた事実。仏教では「怨憎会苦(おんぞうえく)」って言いますね。
「怨み憎しむ人と出会う苦しみ」ですから「馬が合わない」よりもっと強い感じでしょうか。
さて、私も思い起こせば学生時代、サラリーマン時代とそういう「合わない人」がいたものです。
しかし今になって思うとその原因はその相手の事をよく知らないことだと思うんです。嫌いだな、苦手だなと思う人でも関わり合うちに、ここが苦手だなここが嫌だな、ここは素敵だなと知ることが出来ます。
そうすると好きとはいかないまでも、まあ上手く付き合っていける気がいたします。その相手とも、相手を嫌う自分ともです。
結局、最後まで合わなかったなあと思う人って実はそれほど関わっていない人だったなあと思います。
無知とはおそろしいもので、やはり相手の事を知るところから全ては始まるのではないでしょうか?
とここまではキレイ事で
問題はそういう相手の事は知りたいとも思わないって事なんですよね(爆
でもそれって悲しいことです。合わない人に知らず知らずのうちに嫌な態度をとっていたら、相手も嫌がるように、自分もそれをされたら不快なものです。
そこは上手くやるのが大人の付き合いってなもんでしょう。雑な回答に聞こえるかもしれませんがそいうものだと思います。
支え、支えられているのが私たち。好き嫌いに関わらずです。
どうせなら皆で上手くやっていきましょう。
それでも、どうしてもダメならなるべく避けるのみ。相手を不快にさせる必要はありません。そして不快になってしまう自分は認めてあげ、さらには上手く付き合っている自分を褒めることもよいかもしれませんね。
どうぞ善処ください。
質問者からのお礼
私もよくよく考えてみれば、今までに合わないと感じた人は、その人のことを余り知らなかったり、知ろうとしなかったことが思い出されます。[好き嫌いにかかわらず、支え支えられているのが私たち]というお言葉、深く胸につきささりました。そうですね、私は嫌いな人に支えられている部分があったのかもしれません。これからは、人のいい所を見て、誰かの支えになっている人になりたいと思います。ありがとうございました。