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父が他界してからの心の穴

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 私は3歳のころ母方のおばあちゃんの家に約一年間預けられて育てられました。そこでおばのやさしさとおじの厳しさに触れながら優しい子に育ったつもりです。しかしその後両親の家に戻り、両親に全く懐いてなかったせいもあってか、何事も兄優先でほめられたことなど一度もありません。何をやっても私には関心がなく愛されていないと確信したのも小学生のころでした。その後小学生中学生と人を悲しませる悪いことをしていましました。おばあちゃんの涙を見てしまったときから体の中に電撃が走ったような気持ちになり、このままではいけないと改心したのは中学生の時です。
 高校になると部活動で誰にも負けたくなかったのでひたすら努力しました。勉強でもそれは同じです。しかしここで父親が登場します。私の努力をすべて無駄というかのような態度、言動をとってきたように感じました。父は敵。将来はお金をたくさん稼いでこいつを苦しめて、父が死ぬときは一番苦しい死を与えてやろう。愛されて育った兄が憎い。愛さなかった両親が憎い。死ぬ気で頑張って見返してやろうと努力をしてきました。
 長くなりなりましたが本題です。大学一年の夏に父が急性心筋梗塞で他界しました。葬式で、父の亡骸をみてまた体の中に電撃が走ったような感覚に陥りました。父は、母は、私を愛していた。私が子供だっただけで何もわかってなかった。なのにわかったようなふりをしていただけのただのガキだったんだ。父が死んだのは私に対するストレスだ。なんてことをしてしまったんだ。罪の意識に苛まれたまま夏休みが過ぎ、ある決断をします。残った母を幸せにしてあげよう。そのためならどんな苦しいことでも頑張ると。
 今まで私がとってきた態度のせいで母と兄からは邪魔者扱いされる日々です。すべて受け入れているのですが私の思いが通じなくてつらいです。
 最近は何をしても楽しめません。母を幸せにする気持ちと父に対する罪を背負って生きていく覚悟は固まっているのですが、果たして本当に正しいのかもわかりません。どうやって生きていけばいいのですか。何をしても申し訳ないという気持ちしか湧いてきません。自分の幸せのために頑張ったことがないので自分の幸せを望むなど考えられません。いつも人と比較して負けないためか、相手を倒すためにしか努力をしたことがありません。こんな私でも自分の幸せを願っていいのでしょうか。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

敵を作らない方法

お父様への供養として、今後敵を作らない生き方をされてはいかがでしょうか。
あなたには最初から自分と相手を過度に隔てる図式があるのではないでしょうか。
テニスやバレー、バトミントンのような、内外や敵味方を分け隔てるボーダーラインがある。
その線引きをしない。
そうすれば、相手が只の相手になって、もっとラクになれますよ。
少なくともあらゆる相手が敵ではなくなる。
倒す必要すらない。
戦いという図式、敵味方を隔てるラインばかり敷かなくてよいのですよ、生きるということは。
たとえば私は敵ですかね?
では、何故、何時、敵になるのですかね?
誰が いつ どこで 相手を 敵にするんですか?
いつ、あなたはあなたの家族が敵になったのだと思いますか?
この問いに真剣に答えて頂くことが供養になります。。
もし、私を含め、誰かがあなたの敵になるとしたら、あなたにとって都合の悪いことや、形勢が不利になるようなことをされる事によって、あなたの中に❝敵❞が瞬時に生みだされるんです。
敵(が生まれるの)は相手の中じゃない。
あなたの内側に生まれてしまう事を今日ここで体感してください。
私もあなたの親族も元々「敵」じゃないんですよ。
今、あなたはここに反省と、謝罪、懺悔の気持ちをあらわになされました。
その気持ちがあれば必ず、救われましょう。
我を出さずに、親族に誠実に向けるべきです。
時間はかかりましょう。
謝るといっても相手がその❝謝りの玉❞をうけとってくれないことがほとんどです。
そこで、また相手を敵にしてはいけません。
謝る気持ちがアツくて相手が受け取ってくれないことも今後しばらくあろうと思います。
相手が受けとめてくれる温度というものがあります。
それはあなたが決める事ではありません。
相手が謝罪を受け入れてくれるようになるまでは、日ぐすりとでもいいましょうか、時間がかかる事であろうと思います。
人間は自分が、自分を生きる事で精一杯です。
誰もがそうなのです。
あなたにとって一番必要なのは、自分の弱さをトコトン認める勇気です。
そうすると本当にもう一歩を踏み出せるのです。
敵を作るばかりの人生、さぞかしで疲れたでしょう。
完全敗北を認め、自分の中の握っているものを手放すことです。
ゼロになれば失うものが無くなり、すべてが恵みとなり、自ずから幸せになれます。

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丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

罪を引き受けていく それと同時に 自分を慈しんでいく

まささん

幼少期から今まで
本当に長い間色々あって
悩まされてきましたね。
辛かったと思います。

父を傷つけ、母を傷つけ、兄を傷つけてきた
父に対しては取り返しのつかないことをしてしまったと
罪の意識に苛まされている

罪を担い、引き受けていくしかないと思います。

“今まで私がとってきた態度のせいで母と兄からは邪魔者扱いされる日々です。すべて受け入れているのですが私の思いが通じなくてつらいです。”

とのことですが
すべて受け入れられないのだと思います。

すべてを受け入れられずに、自分の思いが立ってしまう
結局自分中心でしかないと気づくことが
受け入れることなのだと思います。

お釈迦さまの言葉に以下のようなものがあります。

「大王、衆生の狂惑におよそ四種あり。一つには貪狂、二つには薬狂、三つには呪狂、四つには本業縁狂なり。大王、我が弟子の中にこの四狂あり。多く悪を作るといえども、我ついにこの人戒を犯せりと記せず。この人の所作、三悪に至らず。もし還りて心を得ば、また犯と言わず。」『教行信証』

私訳 苦悩する人よ。人が罪を犯す理由に四つある。一つは欲に駆られること、二つには自分を見失うこと、三つには悪意に自分を奪われること、四つには過去からの業縁がはたらくこと。
苦悩する人よ。多くの人がこの四つで罪を犯してしまうが、私は罪を犯した人間を悪人だと断罪しない。
申し訳なかったと深く頭が下がったならば。罪を犯したとは言わないのだ

まささんは
なぜ父、母、兄を傷つけてしまったのでしょうか

あなたは幼少期から
愛されてこなかった
何事も兄優先だった
努力しても無駄だと否定されてきた

その過去からの業縁が
まささんに憎しみを持たせ
人を傷つけさせてしまったのだと思います。

まず犯した罪を引き受けていく
それと同時に
人を傷つけざるをえなかった自分を慈しんでいく

この二つが成り立つ時
幸せを求めて歩んでいけると私は思います。

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見返りを期待しない孝行こそが、親へ届く真の孝行です。

亀山純史と申します。
「親孝行したいときには親はなし」という諺があるように、親の気持ちがわかるような年になったら、もうその時には親はいないことが多いのです。決して、あなただけが自分のことを親不孝者とは見てはいないのです。そしてお父さんがいなくなった今、どう亡きお父さんのために生きていくことがいいのかを、あなたは、あなた自身に問うべきでしょう。すでにこの世を去ってしまった故人に対して、直接何かをすることはもうできません。お父さんはあなたにどのように生きてもらいたいと思っていたのでしょうか。それを考えてみましょう。
さて、今まで自分がとってきた態度のせいで母と兄から邪魔者扱いされる日々。自分としては全てを受け入れているのに、その私の思いが通じなくてつらいとのことですが、「これだけやっているのに。」「こんなに思っているのに。」という感情、それは自分中心の見方の現れなのです。でも、それは人として、ごく自然な感情です。私もいだいてしまう感情です。人は良い行いをすれば、他人から認められたいと思います。他人から感謝の言葉がほしいものなのです。しかし、それでは真の親孝行ではありません。真の親孝行とは、そういった見返りを求めてはいけないのです。そして、見返りを求めない行為は、必ずや相手の心に響くものだと思っています。
でも、実際にはそううまくはいかないものです。こちらが良かれを想ってやったことが、相手の意に反したことであったりと。そのようなときに、「すみませんでした。」の一言が自然と口から出てくるようになりたいものですが、それも言えたり言えなかったり。わかってはいるけれども、どうしてもそうできずにいる私です。ですので、私は、このような自己本位な私を智恵と慈悲の心で包み込んでくださっている仏様を、心のよりどころにして生きているのです。

質問者のまささんの問いは、まさにこの私に問いかけられた問でもありました。ありがとうございました。

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hasunohaを訪れてくれた皆さん、こんにちは。私は浄土真宗本願寺派の僧...

「身近・大切な人の死・亡くした後悔」問答一覧

なぜこうなったのでしょうか

以前、海外に住んでいました。 2、3年に一度くらいしか日本に帰ってくることが出来なかったのですが、ある年、久しぶりに帰ってきて、大好きなおばあちゃんの家に行く約束をしました。約束の日の何日か前に、おばあちゃんと住んでいたおばさんから電話があり、何が食べたいかなど聞かれました。電話の最後に、今おばあちゃんが隣にいるから話す?と聞かれたのですが、会った時に話すからいいよと電話を切りました。おばあちゃんはその2日後に亡くなりました。数年ぶりに会えるはずだった日の、ほんの2日前でした。おばあちゃんとは本当に仲が良かったです。本当に可愛がってくれました。大好きなおばあちゃんだったのに…なぜあの時電話で話さなかったのか。後悔で苦しみました。海外に戻った時、仕事の後にお酒をがぶ飲みして、大声で泣いて、床を転げ回るほど感情をぶちまけました。 おばあちゃんの死から1ヶ月くらいした時に、おばあちゃんが夢に出てきて、おばあちゃんを抱きしめた夢を見ました。夢の途中でも実際に自分が泣いていたのがわかりました。その日から、なんとなく後悔から立ち直り始めました。 数年前、家の事情で日本に旦那と来ました。今年の初めには子供もでき、心配していた両親に初孫を見せることができました。そんな中、父親が亡くなりました。何年も前に胃癌で胃を全摘していたのですが、腸閉塞になり、入院をして経過観察の後、手術をしたのですが、翌日、突然亡くなりました。本当に突然。入院するまで本当に元気だったのに…コロナでろくに面会も出来ず、孫には入院してから一度も会えずでした。 私はというと…父が心配で実家に戻っていたのに、手術が決まった前日に母と喧嘩をして、自分が住む家に帰ってしまっていたのです。帰る前に、父の顔だけでも見に行こうかなと、本当にその時に思ったのに、『また次に来たら会えるからいいや』と、帰ったのです。最後に会える機会を、話を出来る機会を、また、自分から捨てたのです。 私は父が大好きでした。父は素晴らしい人でした。人並みの失敗もあっただろうけど、家族を一番に大切にした、本当に素晴らしい人でした。 おばあちゃんの時も、父の時も、私は最後に話せる、会える機会を無駄にしました。なぜ?父の死から半年が経ちますが、未だに突然苦しくなって涙が止まりません。夢にも出てきてくれない。どうしたら、これを乗り越えられるのでしょうか

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会ってない父が死に色々考えてしまいます

3年ほど会っていなかった父が亡くなりました。いい父親というわけではありませんでしたが彼なりに子供思いの父でした。 最後に会った時は私の離婚騒動で、再構築するにあたり迷惑をかけたお詫びに行った時です。 そのあとは2、3ヶ月に1回父から「大丈夫か?優しくしてもらってるか?」などの電話が来て少し話す程度でした。 神奈川と埼玉、遠いいけど会えない距離じゃない、いつでも会える、と思い次は会おう来年は会いに行こう、などとずるずる時間が立ってしまい会えずじまいでした。 祖母が入院して、世話をしながら1人で耐えられずお酒に逃げた父を思うととても申し訳なく辛くなります。安らかな死ではなかったです。 いつも私を思っていてくれたのに、私は自分の生活で父のことなんてあまり考えてはいませんでした。 あの時あっていれば、電話していれば、ずっと考えてしまいます。時間が経てば幸せな記憶と一緒にたまに笑顔を思い出し安らげる日が来るとは思いますが、今は後悔ばかりです。 いい娘ではなかったし迷惑や心配をかけっぱなしでした。 声が聞きたいし顔が見たい。 いつか記憶の顔が朧げになるのが怖い。 親不孝ばかりした私を嫌いになってしまわないか。いつか会えるのか不安でたまりません。

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前に進む方法が知りたいです。

大好きだった父が亡くなってしまい、毎日後悔ばかりしています。 父は田舎から15歳で上京してずっと働いて 育ててくれました。 不器用なところもあり職場を転々としながらもずっと仕事詰めで家計を支えてくれました。 夜勤もあり拘束時間の長い仕事でした。 私は高校を卒業して浪人をしても、第一志望の大学に合格出来ず、私立は経済的に難しかったので進学しませんでした。 その後直接父には言っておりませんでしたが、 父が病気になってしまったことから、医学部に行きたいと思うようになり、社会人で働きながら受験をしておりました。 休みの日は図書館に通っておりましたが、働きながら勉強するのは想像以上に難しく、仕事から帰ってきた後勉強せず寝てしまったり、なかなか勉強時間の確保も出来ず結果が出せませんでした。 最近、父はようやく出勤する日が減り、少し休みが出来るようになっていましたが、最近、急に容体が悪くなり、救急車を呼んで治療をしてもらいましたが、そのまま亡くなってしまいました。 先生からは本当は夜勤の仕事をするのもよくないと言われていたのですが、家計のためにずっと頑張ってくれていました。 完治は出来ないと言われて長くないと分かっていたのに、家族に弱みを見せず働いてくれていて、最近は出勤日が減り、会社から辞めなさいと言われるまでずっといようかなと言っていたのをいいことに、(父は少し口うるさいところがありほぼ毎日母と口喧嘩していたので)家にずっと居られても嫌だな、父もそう言ってるしなんとか今の仕事は少し休みながらでも続けて欲しいなと思い、また、子供の自分が親の仕事のことに口出しするのは、と気が引けていたのですが、仕事をするにしてももっと楽な仕事をもっと早く探してあげるべきだった、もっと色んなところに旅行に連れて行ってやるべきだった。もう今更そんなことばかり考えてしまいます。 父が病気になっても自分のことしか考えず、 結果も出せず、本当にクズで最低だったと思います。 このままだらだらと時間を浪費するのだけはダメだと思っているのですが、ふとしたことで父を思い出すと泣いています。 前に進む方法が知りたいです。 宜しくお願いします。

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最後父親に会えなかった。

8月に父親が末期の癌になり、進行スピードが早く先日10月の末に他界しました。 知らさせたのは、第三者からで、知ったのは父親が亡くなって1ヶ月たってからの事でした。 姉からは一切の連絡もなく、死に目にも会えず、葬式にも、手を合わすことも出来ませんでした。 それには理由があり、兄弟とのトラブルでした。 親は、私の家から車で15分位の所に住んでいました。 母親は8年前位に難病になり、父親も持病を持っており、介護サービスを利用し、父親がみていましたが、私、夫婦は協力し、妻には申し訳ない気持ちでしたが気持ちよく受けていただき、今まで7、8年親に協力して見てきました。 それが8月父親の病気が発覚し、私の家に親を連れてきて面倒見る事にしましたが、それから何日か経ち、夫婦で時には喧嘩になる事もありました。 今後の事でどうしていけばいいのか考えている最中、今まで、見てこなかった、姉夫婦が出てきて、しまいには妻にも暴言をはいて、親を連れて行かれてしまいました。 姉との意見の食い違いで。 それからは、親にも会えず、親も洗脳されたかのように、私たちは悪者に、今まで私達が色々してきたのに。 結局連れて行かれて、1ヶ月半で父親も亡くなり、母親も今どうしているのかわかりません。 結局お金目当てで、そうなったと妻とも話しています。 旦那方の親はお金がなく、親が病気でもずーっと放置で家の中はゴミ屋敷で3ヶ月前に父親をなくしてます。それなのになんで私の親を連れて行き、面倒みれるのおかしくないって。 私は別に財産なんていりません。 ただ最後に別れだけは会いたかったし、死に目に会いたかった。 私の中では、小さい頃からの思い出が毎日頭にあり、もう会えませんが、父に感謝の気持ちだけでも伝えたいです。 父親の死がわかってから、仕事中も毎日憂鬱で、どうしたらいいかわかりません。 手を合わせる事も出来ず、父親の供養も出来ません。 今まで私達に色々してきてくれた父親に供養がしたくて、ありがとうと伝えたいです。 このまま、ずーっとこの思いのままでは辛いです。 私はどうしたらいいですか?

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死期を早めてしまった罪

神経難病で体が動かなくなる病気の父親を見送りました。 長い闘病でしたが、泣き言も言わず黙って耐える強くて立派な父でした。 病気も末期になり誤嚥性肺炎で入院したのですが、 嚥下障害が進み、どろどろにした物しか口に入らなくなりました。 病院から許可された、缶コーヒーにトロミ剤を入れて飲むのが唯一の楽しみでした。 全身の機能が低下していると医者に告げられ、かなり悪くなっていることを感じた頃、そんな父親に何ができるか、と考えて、 大好きなインスタントコーヒーをポットに入れて、病室に持っていくことにしました。看護師長さんにはその許可を得て、父親も喜んで飲んでいたので、 私は愚かにも自分がいいことをしているような気になっていました。 その日も仕事が終わって、夕食介助をした後、持参した甘いインスタントコーヒーを飲ませました。 父親はその日は特に喜んで、「あぁ、コーヒーはやっぱり美味いなぁ」 と出なくなっていた声が急にはっきりして言いました。 よかったね、と私は満足して病室を後にしました。 次の日の昼に父親は腹痛を訴え、夜になって吐血しました。 結局そこから回復出来ずに、1か月後に他界しました。 胃カメラも入れられない状態だったので、ハッキリしたことはわからないままですが、胃潰瘍だったのではないかと思います。 私が愚かにもせっせと病室に運んだコーヒーが悪化の原因ではないかと亡くなってから気づきました。 末期ではありましたが、父親には生きることへの意欲が残っていました。 一日でも長く生きて欲しかったのに、愚かな私の行為で父親の死期を早めてしまいました。 許される罪ではありません。 しかし、父が息を引き取る時、残された母の面倒は見るから心配しないで、と約束したので、何としてもそれだけは守らねばなりません。 ただ、自責の念に苛まれ、毎日が非常に苦しいです。 償えるはずもありませんが、私はこの罪とどう向き合えばいいのでしょうか。

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母が亡くなって。

一度、個別相談の形でさせて頂いた事がありますが、今回はこちらに書かせて頂きます。 9月4日に母が亡くなりました。享年75才でした。 僕が生まれる前に離婚し、祖母(母の実母)と3人で暮らして来ましたが、 25年前に祖母が亡くなり、それからは母と二人で生きてきました。 母は、約20年前に身体障害者手帳の交付を受け、ここ数年は体調もすぐれず、 毎月、整形外科・内科・耳鼻咽喉科と通院をし薬も多く服用していました。 毎月病院に連れて行って母が体調不良を訴えても、「もうお年ですから」とあしらわれ、薬を服用しても良くならず母も随分つらい思いをしてきました。 亡くなった当日も、家にいたのですが、いつも通りの流れで朝食を済まし、 僕が会社へ行くときに「行ってくるわ」と言い、「気を付けてね」と返事を してくれました。それが最後でした。 それから数時間後、定期的に訪問してくれていた介護施設のケアマネージャーさんが、家のトイレで倒れているのを発見してくれましたが、その時にはもうすでに死後硬直が始まっていたそうで、連絡をもらって会社から駆け付けましたが、もう冷たくなっていました。死因は、虚血性心疾患の疑いとの事でした。 普段は仕事の悩みや疲れもあって、家では母との会話もあまりできず、また「ありがとう」とか「ごめんね」とか言うのもほぼ言えていませんでした。 こんな突然いなくなるなんて夢にも思っていなかったので、母が居なくなった今、激しい後悔と虚しさと情けなさで、49日が過ぎ亡くなって2ヶ月が経った今も、毎日涙が溢れ、家にいる時はほぼ仏間に居て、位牌や遺骨に話しかけます。 母にはたくさんの苦労をかけ、43年も一緒に居たのに、最期は会えずに声も掛けれず・・・。悲しいです、辛いです、母に会いたいです。 母は病院が嫌いで、また自分が寝たきりになれば僕が仕事に行けなくなるからと、しんどい体を頑張って動かしていました。 亡くなってから2回夢に出てきましたが、どちらもけがをしていたり苦しんでいる母でした。 今すぐ母と祖母のもとに行きたい気持ちと、母と祖母が育ててくれた自分を大切にしなければ、また母の供養をし、この家を守っていかなければと言う気持ちと、 二人の自分がいるような感覚の中にいます。 自分が亡くなったら母に会えるのでしょうか?会えるのであればその日まで頑張って生きたいです。

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