自分のことを嫌っている人への対処法
私はとても境遇が似ていて気が合うと思っていた10年来の友達がいましたが、いつからか歯車が狂い、揉め事が増えるようになりました。
その度に話し合ってきましたが、私にも相手にも壁ができてしまい、修復不可能な亀裂が入ってしまい、顔を合わせたら無視をされるようになりました。
私はその態度に納得がいかず、こちらから連絡を取り話し合いましたが、もう何を言ってもお互いが卑屈に捉え、話が噛み合わず、絶縁するとまで話が進み一度は終わりました。
しかし、これからも同じ土地に住み、子供の行事や町内の行事などで会うこともあるので、それはいけないと思い私から再度連絡を取りましたが、やはり話が噛み合わず、お互いにマイナスに受け取るだけで正直、この人とはもう無理だなと疲れてしまいました。
全く考えが合わないし、無理して関係を保つ必要もないのかなと。
去るものは追わずと言いますが、このまま距離をおいて絶縁へ向かっても良いのでしょうか。
また、前に無視された事もあり、今後顔を合わせた時はどのようにしたら良いのかわかりません。
アドバイスお願いします。
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先ずは冷静に考えて
拝読させて頂きました。そういうことはありますね。長年付き合ってきた人でも生き方やものの考え方や捉え方、細かいことではお金の使い方やもののやりとりや頂きものやお返しもののあり方等々あげればきりがない程に違いは出てきます。
子供の育て方についても大きく違いは出てきますよね。
それはそれぞれやむを得ないことです。
環境も経済的にも重きを置いていることも違いがあることがやはり普通ですからね。
ですからそれはお互い違いがあることを尊重して認めあい、線引きすること割り切ることかと思います。
どんなことでも自分を基準にものごと言ってしまい押し付けてしまうと感情的にぶつかるだけです。
それは決して解決にはなりません、かえって関係を悪化させてお互いが成長できなくなります。大人も子供もそれは同じです。私達は他者を認めあいお互いを尊重しあうことで成長するのですから。
あなたも先ずはご自分のお考えは先ずは脇に置いて相手の方の意見は意見として尊重してお付き合いなさって頂ければと思います。
ある程度時間が経つとなんであんなことでもめていたのか?と不思議に思う時もくるものです。
あなたが周りの皆様とこれからも仲良く共に認めあいながら充実した毎日を過ごし頂きます様にと心からお祈りさせて頂きますね。
人間には「相性」がありますから
これ以上積極的に、「もう絶縁します」などのアクションを起こす必要はないと思います。
子供会、町内会等、地域の行事では、必要最低限の関係を持てばよいと思います。
社交上のおつきあいに留め、以前のような深い友人関係には戻らないというのは、決して悪いことではないと思います。
今までも関係改善の努力は相当なさってきたようですので、それでよいのではないでしょうか?