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忘れられる恐怖とどう向き合えばいいのでしょうか?

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数年前のことです。
父方の実家に(十年ぶりくらい)里帰り旅行をし、ご厄介になった夜でした。
実家にはもう90を超えた父の実母がおり、体も弱く痴呆もかなり進行していました。
それでも寝たきりではなく、ゆっくりと歩くこともできるほどでしたが。

親族の宴会も終わり、居間にて私は横になりながらうつらうつらとしていました。

そこに、祖母がゆっくりと顔を出し、まだ居間で飲んでいた父と話を始めました。

内容はあまり覚えていません。

ただ、夢半分の頭ながらも次の会話がずっと頭に残っています。

~なにか兄弟たちのことを話していた気がします~

父「俺のことはまだわかんべ?」
祖母「ん?あ~・・・」
父「○○よ、△兄ちゃん□□と☆☆・・・で、俺の。」
祖母「あ~・・・ん~・・・○○?・・・・・・ん~○○?」
父「だから末っ子の○○だぁ・・・。息子忘れちまうだ?」
祖母「んん~~こう・・・□□(長女:実家住まい)と△はわかるんけだども」

父「・・・(昔の思い出や自分の昔の特徴などを聞かせている)」

祖母「ん・・・わかんべ・・・・」

確かに父の家系は大家族で兄弟姉妹は多かったです。
しかし私は、半分眠りながらも父の冷静を装う口調から滲み出る必死さ、悲しさを感じ、横になりながらも自然と目から涙が溢れてしまいました。
年とはいえ自分の母親に存在を忘れられてしまった父の深い悲しみが流れ込んでくるようでした。

1年程経った日、祖母は他界されました。
お葬式には私は行けませんでした。(予定的にではなく、心の方が)
葬式で悲しむ父を見たくなかったのかもしれません。

あの夜の会話は私自身が受けた言葉のように今も胸に刺さっています。
私も母や父の記憶からいつか消えてしまうのでしょうか?

大切な家族や人から忘れられる恐怖とどう向き合うべきなのでしょうか?


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

全ては無常です

拝受

自分がこの世に存在した事をずっと覚えていて欲しいと願うのは誰しも同じですね。
しかしこの世の本質は無常であるがゆえどんな高度な記録媒体をもってしても何時しか消えてしまいます。

忘れ去られる恐怖は
死の恐怖と近い所から現れます
ですからなかなか逃れがたいものではありますが、恐れは人生を間違った方向に導きます。

認知症の高齢者の方と関わると、今日こうして楽しく交わした会話も次にお会いするときには忘れ去られているんだろうと考えます。そうすると記憶に残って欲しいと願うよりも今この瞬間をお互いが楽しく過ごすことに全力を注ぐことが最も大事なのかなと

人間という生き物は記憶力がずば抜けて優れた生き物です。さらに特化した想像力故に自分が直面していない恐怖も感じる厄介な生き物
しかし本質的に瞬間瞬間を生きている他の生き物となにも違いはありません。
先取り不安は心の毒です。
もっと集中して今を楽しく生きましょう

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有り難し
おきもち

山形のそれは小さなお寺の住職です。 私は子供の頃いじめられ、社会からドロ...
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質問者からのお礼

ご返答遅くなり申し訳ありません。
今を楽しみ瞬間を積み重ねるのが大事と・・・おっしゃる通りだと思います。

しかしそれでも受け入れるのは難しく、まだまだ時間も掛かりそうです。
ゆっくりと向き合えるよう変わっていこうと思います。

「心構え・生きる智慧」問答一覧

ヘルパーに酸素マスクを外され、、、

母は老人施設で老衰で亡くなりました。最後は点滴も出来ない体になり、息も上がっていたので酸素もチューブで鼻から入れてもらっていました。亡くなった当日面会に行っていたのですが目も開ける事なく、問いかけにも微動だにせず、腕も指も動かない状態でした。途中看護師が「口も開いているのでマスクに替えますね」と鼻のチューブをマスクに替えて退室。暫くしてヘルパーがオムツ交換に来たので退室し、終わったのでと声をかけに来てくれてから再度部屋に戻ったところ、鬼の形相(に見えました)で亡くなっていました。その時は亡くなったという現実で頭がいっぱいで気が回らなかったのですが、酸素マスクが外されベッドに置いてあったということが2日後に気付きました。 葬儀を終えてから施設の方へ挨拶へ行き、その際にマスクが外されていた事も話しました。ヘルパーからは何の報告も上がっていなかったので私たちの話で初めて知ったとの事でした。 マスクがあれば看取れたかもしれない。マスクが外されていたので苦しいまま息を引き取ったのかもしれない。それが悔しくて残念でなりません。ただ、マスクがついていたとしても、命の限りは決まっていたでしょうから、施設やヘルパー個人を責める気は無かったのですが、施設からビデオで確認した所オムツ交換をすると言って来たヘルパーと実際にオムツ交換をしたヘルパーは違うヘルパーである。オムツ交換をしたヘルパーに聞いた所顔には触っていない。オムツ交換をした時にマスクがずれたかもしれない。退室時にマスクの確認はしなかった。と曖昧、ウソばかりであろう報告を受けました。 こちらとしては特に報告をして欲しいと言っていなかったので、逆に気持ちを逆撫でされる報告を受け苛立ちや悔しさ、腹立たしさばかりが込み上げてきています。 施設の言い訳、ウソを聞く度にモヤモヤが増して行きます。事を大きくしたく無いと思っていましたがウソをつかれると言い返したくなってしまいます。この気持ちは時が解決してくれるのでしょうか。気の持ち方を教えて頂きたくお話しさせて頂きました。どうぞよろしくお願いいたします。

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