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スマホ依存症ですかね⁇

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最近、スマホ依存症気味でSNSを暇があるとすぐ見てしまいます。

前にこのサイトでSNSは羨ましくなるだけなので、見ない方が良いと言っていました。
しかし、どうしても見てしまいます。

微笑ましくみれるツイートもあれば、羨ましくて嫉妬をしてしまうツイートもあります。
いわゆるリア充ツイートをみると、自分が惨めな感じがしてしまいます。

楽しそうな写真などを見ていると、自分はこんな事出来なかったなと思いました。

なぜ見てしまうのか考えたら、やはりその人のツイートには魅力があるからだと思いました。
見ていて楽しいですが、胸が苦しくなる時もあります。

自分もリア充になりたいです。
友達沢山欲しいです。
傷付き苦しんだ過去も糧になりますか⁇
明るい学校生活を送れなかったので、、
まだ学生ですが、、、
そんなに焦らなくても良いですかね⁇
何か微妙な感じの質問ですみません。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

偽リア充 と 真のリア充

SNSでリア充アピールしている人たちは本当はリア充ではなくリア充ぶっているだけだと思いませんか。
直接その人たちと会ってみればいいのですよ。
その人の行動とSNSでのアピールは別物。
❝魅せて❞いるだけです。
脚色・編集された自分アピール。
24時間の中のたった一秒。
24時間そんなキャピキャピなわけないでしょうに。
そういうウソを見抜けると良いと思いますよ。
そもそも自撮りとか、それらしい文章載せているのも❝狙って❞いる訳ですし。
よくよく考えてみると気持ち悪いと思いませんか。
友達が沢山いると言っても沢山いればみんなUSOつきになります。
みんなにイイ顔しなきゃいけないからです。
ウソfacebookのアピールに騙されなければいいのですよ。
むしろ、そうしなきゃいけない彼ら彼女らを憐れむのが仏教的スタンスです。
作品めいた写真や顔にはその人の意図・狙いがあると知っておくと良いでしょう。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

SNSはお仕事です

SNSは仕事でやるものです。私生活なんか載せるもんではありませんし、お友達とやるもんでもありません。仕事でやれば微笑ましい投稿も羨ましい投稿もだいたいが「あの人も大変だなぁ…」に変わります。楽しそうな写真を見ても「上手く撮ってるなぁ」と感じます。

なぜ見ているのか考えたら、お付き合いのためだとはっきり分かります。でも最近、広告や面白ニュースみたいなのが多くてウンザリしてるんですよねぇ…たぶん表示しない方法があるのでしょうけど、それを調べるほどの労力をかける気ないし…

何学部の学生さんか存じ上げませんが、大きい本屋さんの経営コーナーでマーケティングの本を読んでみると良いです。SNSのあるべき姿(活用の仕方)について考えさせられるものがあるでしょう。

それから、お釈迦さまは友達100人作りましょうとは言っていません。「善い修行仲間と共にいられることは最上の喜びです。でも、悪友と交わるくらいなら1人でいた方がよっぽど良いです。」と説かれています。それが真のリア充たる仏陀の考え方です。

人は痛みを知っているから、他人に優しくも厳しくもなれます。傷付き苦しんだ過去も糧になります。でもそれ以上に、本当に引きずって苦しむべきことなのか、先入観をポイッチョして見直してみるといいかもしれません。案外に世の中の常識も聖人の言葉に逆らっていたりするものですから。

追記
必要以上にむさぼる心、怒りの心、怠けの心、おごりたかぶったり見下したりする心、いちいち疑う心、この5つの心を助長するのが悪友です。まぁ、さっきはああいう風に書いちゃいましたけど、だからってこれに引っかかる人をいちいち遠ざけていたら世捨て人になっちゃいます。切るか付き合うかの極論ではなく、ほどほどの距離を保ってうまい具合にやっていきましょう。
元々、友達は多ければ良いというものでは無いのですよという所をお伝えしたくて書いていますし。

ありがとうございます!仏陀(お釈迦さま)は舟の船頭さんとケンカして頂き物のご飯を投げ捨てるくらいにはロックなお方でしたが、私は禅の風狂なお坊さんの影響を受けています。一休さんみたいなイメージです。風狂のエピソードはとても面白いですよ。お釈迦さまのエピソードも面白いですけど、ユーモアは遠慮して隠されてる感じがします。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouTuber「仏教・お寺ch 大慈」。 【現代日本仏教最大の課題のひとつはコミュニケーション不足】をミッションに10年以上、インターネット上で情報発信をしています。 YouTubeでは仏教の教えや読経だけでなく、お寺の真相やお坊さんの生活が分かる動画を配信しています。(リンクは↓のURL)

質問者からのお礼

丹下覚元様へ
お返事ありがとうごさいました‼︎
私にはまだ上辺だけのアピールが見抜けませんでした。
友達が多いといっても幸せではないのですね。。
私はどうやら今の自分は幸せになれないと
思い込んでしまっていたようです。
足るを知るという事を忘れていました。。

作品めいた写真や顔には意図や狙いがあるのですね。。気をつけます。
教えていただいてありがとうごさいました‼︎‼︎

大慈様へ
お返事ありがとうごさいました‼︎
SNSは仕事で使うものなのですね。
勉強になりました。SNSについて本を読んで本来の姿を知るのもいい勉強になりそうですね‼︎

正直、今の友達が善友なのか悪友なのか分かりません。悪友とはどんな人間を言うのですかね⁇

お坊さんはユーモアを交えて回答なさいますね‼︎きっと仏陀という人もユーモアがあるお方だったのですね‼︎

苦しみにとらわれていないかも見直ししてみます。

追記
悪友がどういう人間か理解出来ました‼︎
確かに、いちいち当てはまる人を遠ざけていては、本当に一人になってしまいますよね。
いい具合の距離感で付き合えば良いという事ですね‼︎‼︎
お釈迦さまも友達は2人は居れば十分だ。と
確か言ってましたもんね‼︎
理解できましたよ!

お釈迦さまもケンカなさるのですね。
驚きです‼︎
一休さんもかなりロックなイメージがありますが、、。
風狂やお釈迦さまのエピソード、興味持ちました‼︎

仏教は真面目なイメージがあるから隠されてしまうのですかね⁇
ユーモアがあるほうが説法も楽しく聴けますよね‼︎^_^

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ