家族とあまり話したくない
閲覧ありがとうございます。
突然ですが私は、家族に外であった出来事を話すのが嫌です。(ちなみに実家暮らしなので家族とは毎日顔を合わせます。)
例えば家に帰ってきて「今日〇〇があったんだよね。」などと家族に報告する、これに必要性を感じないのです。
外での出来事を、なぜいちいち話さなければならないのでしょうか。私の心が荒んでいるからでしょうか。
今日、母に「帰ってきたら普通は何があったかとか話すでしょう。無愛想ね。可愛くないわ。」と言われました。
親の言う通りに動けばそれは親にとっては可愛い子供でしょう。
しかし、子供はあなたの操り人形ではありません。
昔は素直で可愛い子供だったと自分でも思います。
親の言うことをよく聞く、という意味での。
生きていくうちに色々な経験(主に家族との考え方の相違)をして、こんな偏屈に育ってしまいました。
家族に外であった出来事を話すのが嫌、というのは変なことでしょうか。
間違った考えなのでしょうか。
もはや何が正解で何が間違いなのかわからなくなってしまいました。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
家族との一期一会
外国人の多くの人は、例えば仕事に行く時などでも「行ってきます、愛してるよ」って言います。
映画とかでもよくそういうシーンを見ますよね。
あれは、もちろんお国柄もあるでしょうが、ある方は【もしその日そのまま亡くなったとして、「愛してるよ」が最後の言葉であるため】と話しました。
また、茶道の千利休は、どんな人でも今目の前にいる相手に、これが最後のもてなしなるという想いで、茶を立てたと言います。
一期一会の言葉の由来です。
実際に「いってきます」「おやすみ」が最後の言葉になった例を、仕事柄たくさん見てきました。
人の命は儚く、またいつ死が訪れるかわからないなぁとそのたび思います。
話を戻しますが、報告の必要性に関しては必要不必要と意見は分かれると思います。
ですが、私もあなたも、いつ死によって家族との縁が切れるかわかりません。
これは正解や間違いとかではなく、真実です。
私は常にそれを念頭に置いて、家族となるべくたくさん会話をして、一緒に過ごす時間を作るようにしていています。
当たり前に毎日いる家族、時に鬱陶しく時に面倒くさい。
でも、そんな日常が失われた時に、心から有り難さを感じます。
回答とは少しずれますが、言葉を添えさせて頂きました。合掌。
別に変だとは思いません
私も、両親と暮らしてた時期、今日、なにがあったかなんて、詳しくは話しませんでしたよ。
20代のときの私はほぼ学生だったですが、大学のこと、サークルのこと、友人や恋人のことなど、いちいち話したりはしませんでした。
それに家帰ってからも、レポートだの試験勉強だの趣味だのやることあるじゃないですか。
別にあなたの感じ方全然変じゃないと思いますよ。
お母さんはさみしいのでしょう。
おそらく、別に「外で何があったか」を本気で聞きたいのではなく、
あなたとお話がしたいだけなのではないでしょうか。
他の話もしたくないほど家族のことが嫌いなら、
もう大人なのですから、親元を離れて、独立すべきですし、
もし、お話をしてもいい、と思う瞬間があるのなら、
たまには、親孝行だと思って、お話してあげてください。
何でもいいのです。読んだ本の話でも、テレビの話でも。
親にはわからない、自分の趣味の話でも。
娘が楽しそうにお話をしてくれるのを、
嫌がる親など、いないのではないでしょうか。
質問者からのお礼
ありがとうございます。
少し心が軽くなりました。
家族の有り難さをもう一度見直してみようと思います。
相手の気持ちになって物事を考えてみることを常に忘れずに生きていきたいです。