上手い我慢の仕方
私は我慢が下手な人間です。
具体的にどう我慢に失敗しているか自分なりに分析してみると
1.途中で辛くなってそれに耐え切れず力尽きる
2.自分で我慢のしすぎと気付かず我慢しすぎて疲れる
この2パターンが多いような気がします。抽象的な表現になってしまいますが大きな目標の間に立てる中間の小さな目標を立てるのが下手な気もします。
また、長期的な我慢以外にも日常の小さないら立ちも半分はコントロールできてない気もします。半分は「どうでもいい」と思うことでいら立ちを回避してはいるのですが。残りの半分も上手く割り切れたらよいのですが・・・。
何か良い方法がありましたらアドバイスお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
我慢の時点でアウトです♡
我慢って、身心に良くないですね。
そりゃー、無理ですよ。
引用いたしますが、
1.途中で辛くなってそれに耐え切れず力尽きる
2.自分で我慢のしすぎと気付かず我慢しすぎて疲れる
だ、そうですが、
まず、
1.途中で辛くなってそれに耐え切れず力尽きる
⇒途中で辛くなるというより、その瞬間(辛くなるあたり)から思いの上で取り扱いを起こしたんです。
それまでは平気だったはずでしょう?
取扱いをし始めた途端から減速したのだと、気づいてみましょう。
そこに大きなヒントがあるのです。
次に
2.自分で我慢のしすぎと気付かず我慢しすぎて疲れる
⇒これも最初から我慢していたというより、自分の決め事を持ち込んでいるのですね。
最後の締めくくりの評価時点で、ダメ出しをして爆発しているだけです。
最初から、エゴの上、マイルールの上、自我の上で取り扱っているからいけないのです。
例えば、私は今、回答をしながら子供たちがものすごく騒がしいです。
通常の成人男性なら「うるさい!!!」といって子供を頭ごなしに黙らせて、ワイフから「サイテー」と冷視線をうけるでしょう。
ですが、私は静かです。
我慢してません。
はじめっからそういう姿勢は持っていません。
たしかに空間的距離も上手にとってます。
精神的距離も上手にとっているとも言えます。
ですが、一番の妙術は、取扱いをしないということだけなのです。
ただ、それをこの心身にさせているだけ。
優劣も、勝敗も、目的も、あるべきよう も ありゃしません。
だから、我慢が生まれません。
我慢を続けなきゃなんてことが発生しないのです。
我慢という状態は誰でも続きません。
はじめの一歩を誤れば、とんでもない所に行きます。
最初から、我慢しよう、というスタンスが実は大間違いなのです。
私の知る限り、仏教には我慢はありません。
わたくししない、取り扱いを起こさないというだけです。
忍辱といっても、これから我慢するのではなく、あなたがこの文字を全部読み流して、キレイさっぱりサラリと流していることです。我慢もへったくれもなかったでしょ?♡ワカッテチョーダイ(^<^)
質問者からのお礼
安穏寺 丹下様
ご回答ありがとうございました。イラつくでもなく絶えるでもなく取り扱いを起こさない。そういった考えもあるのですね。しかしながら理解力の低い私としては「取り扱いを起こさない」というのがどういった感じのものなのか今ひとつピンと来なかったのもまた事実です。
俗世間でいうところの「シカト」であったり「無関心」みたいな感じなのでしょうか。そういった漠然としたものしかイメージができませんでした。全てにおいて無関心で機械のように過ごせたらそれはさぞかしイラ立ちもせず楽だろうなとは思いましたが。
追記
最近テレビでお坊さんが厳しい修行をしている映像を見ましたがあれは「我慢」ではないのでしょうか。辛くて逃げ出したいことでも目標があるから逃げ出さない姿は「我慢」のようにも見えましたが「我慢」のように見える別の何か、さしずめ「我慢もどき」なのでしょうか。