友人に絶縁されました
旧知の友人たちと言い争いの末、一方的に絶縁を申し渡されました。
私も彼らとの関係に疲れ果ててしまい、今は未練も何も感じることができません。
ですが、ショックです。
言い争いがひと段落したあと、話し合う余地もなく、メールで
「縁を切ったほうがよさそうですね。さよなら」
でした。
話し合おう、と言い出せばよかったのかもしれませんが
もう疲れ果てて、そういう気持ちになれませんでした。
私は、彼らに言われたことに取り乱して
自分の気持ちを守ることしか考えられないまま、
自分の主張と感情を叩き付けてしまいました。
そのことに自己嫌悪も感じています。
また、
自分は彼らの、全然受け入れられない意見を何度も聞かされながら
そういう意見もあるのだと、穏やかに考えようとしてきたのに、
彼らは一回の口論だけで、私を見限ってしまった、と
恨む気持ちにもなっています。
私がそんな努力をしたことは彼らは知らないこと。
筋違いだと思いますが、止められません。
つらいです。
「信じられない、ひどい奴ら」という気持ちと
「俺は感情を爆発させて、人を傷つけてしまう人間なんだ」という気持ちで
潰れてしまいそうです。
他の人に対しても、怯えた気持ちになっています。
「あいつらは馬鹿なんだ」とでも考えて自分を慰められればとも思います
ですがもちろん、どちらかが絶対に悪いということはないだろうし、
長年の友人に否定感情をもつのも難しいです。
相手を貶めることなく、自分をも蔑まない、
できれば自分を肯定して前に進めるような考え方を知りたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
新しい出会いが待っています。
友人同士、喧嘩をすることはあります。
気心が知れた友達といいますね。
ある意味、なにを言っても許される。
友達だから、親友だら、お互いに許せることがあると思います。
なぜ、あなたが友人たちと喧嘩になったのか、知る由もありませんが、
結果として友人たちから絶縁されたわけです。
根本的な話ですが、ほんとに友人だったのでしょうか?
時として、口論になることもあります。
そうした場合、お互いにとことん問題点を抽出して、
お互いに邂逅を図る、つまり仲直りを図るのが友人ではないでしょうか?
逆にいえば、修復を図るまでもない関係と友人たちが判断したんです。
それを受け止めるしかないですよ。
後悔しても仕方がありません。いまさら時を遡ることはできないのだから、
だけど、これだけは言えます。
長年の友人に一方的な絶縁を突きつけるような友人はいらない。
あなたに対して失礼だと思います。
「お前のこんなところが嫌いだ。」「お前のこんなところは許せない。」
互いに議論を尽くす、悪いと思うことは直していく。
結果として関係が是正できれば友人のまま、
溝が深ければ、お互いに合意の上発展的に解消する。
これが仁義だと思います。
こうしたプロセスを経ないで、一歩的に絶縁した人達に未練をのことこはないでしよう。
後悔はいりません。今回のことを将来に生かす。反省すべきは反省し、
新しい、素晴らしい友人関係を是非構築してください。
なぜかって、本当にあなたが友人に助言や精神的支援が欲しいときに、
彼らは、支援をしてくれませんよ。
肝胆照らす仲という言葉がありなす。
本音と本音のぶつかり合い、という言葉です。
過去は過去で振り返らない。新しい未来に向かって、
新しい第一歩を歩みだしてください。
ご活躍を祈念しています。
本当にいいのですか?
拝読させて頂きました。大変ショックでしょうね。友達か絶縁はさすがにおつらいでしょうからね。
どうなのでしょうか。言い合いになり皆さん感情的になってしまい、それぞれの言い分は本当に正しいのでしょうか?相手の意見をしっかりと聞いて尊重なさる気持ちは皆さんなかったのでしょうか?
もしも皆さんその様な思いやりの気持ちがないのであればそれぞれに間違いを犯している様に思います。
つまり喧嘩両成敗です。
先ずは己れの未熟さをしっかりと反省なさってください。
長い人生で些細なことで腹を立てて本当によいのかどうか冷静に考えてみてくださいね。
そして心から謝罪なさってください。
人の一生で出会えるご縁は限られています。
どうかこれからのご縁を大切になさってください。
あなたもご友人の皆さんもこれから共にお互いを尊重しあい豊かな人生を歩んで頂きます様心よりお祈りさせて頂きます。
質問者からのお礼
一向寺さま、浄光寺さま
ほんとうにありがとうございました。
お二人のお言葉を読み、自分の気持ちを整理し、彼の気持ちにも、歪んだ形でなく、思いを馳せることができました。
友人との言い争いの原因は、私の亡くなった家族の弔い方に関するものでした。
彼は以前、霊と話せるといい、故人がこうしてほしいと云っている、と私に伝えました。
ですが、彼のいう弔い方は、私の人生観、死生観では受け入れがたいもので、
彼が私に伝える故人のことばにも、違和感を覚えました。
霊というものも、私には信じるとも信じないとも、解らないものでもありました。
けれど、友人との関係が悪化すること、彼の気持ちを傷つけることを怖れて、そう言うことを避けてしまいました。
「そういう考え方もあるんだね」と調子を合わせてしまい、それで済むと思っていたのです。
ですが先日、再び同じことを言われ迫られて、
つい感情的に自分の気持ち、私はその方法は取れないこと、彼の霊感というものへの疑いを、強く主張してしまいました。
彼は、私の態度に、裏切られたと感じたと思います。
いきなり怒涛のように反論されたら、恐ろしくもあったでしょう。
彼は「故人は否定されたと感じている」と言い、
「故人に対するあなたの言い方は、故人を貶めるもの」とか、私がわかりにくい話し方をする、など
私の故人への態度、私の振舞いの問題も指摘しはじめました。
私は、一点では食い違っていても、主張しあい、互いの違いを認めあえば、友人関係はつづけられると思っていました。
ですが、そこで心が折れてしまいました。
正直、またあの脅迫的な主張を受けることになるかもしれないと思うと、少なくとも今は、私から復縁したいとは思えません。
ですが、彼にいい顔をしておきながらほんとうは疑っていたこと、
勝手に追いつめられた気持ちになって、感情的、利己的な言い方をしてしまったこと、
きちんと反省し、改めたいと思います。
私は真の意味で彼を信頼できていなかった、
対等に意見を交わせる人として、尊敬できていなかったのかもしれません。
そのことが招いた結末のように思います。
長年つづいた付き合いを失ってしまったことは、かなしいですが、
これからは表面的な対立を恐れず、友人と誠実な関係を築いてゆけるように、
そういう人間になれるように、精一杯精進します。
本当にありがとうございました。