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学校に行くのが怖いです

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有り難し有り難し 29

昔からずっといじめられていて、学校に行くのが怖いです。
また対人恐怖症で、人の集まりなどもとても苦痛です。
学校に行くのが毎日嫌で仕方なくてつらいです。どうしたらいいのか分かりません。
自殺も考えています。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたにメッセージが届いています。

以下、以前hasunohaにご質問くださった方からあなたへのお便りです。
「こんにちは、私は今大学生です。私は学校に行けない人間でした。
学校で先生に怒鳴られその場で気絶してしまいトラウマとなって行けなくなってしまったのです。
その時はなぜこんなに辛いのに生きなくてはならないのか、なぜ誰も助けてくれないのか、毎日辛くて親にもあたってしまいました。
沢山本を読み人にも相談しました。 先日、私が大学に行けるきっかけとなったのが、hasunohaを通してお寺でお話を聞いてもらい、お話しを聞く事でした。
そこで私が聞いた話は、物事はただの事実として存在していて、そこに自分流の考えを付け加えるから苦しくなるというものでした。
例えば雪掻きをしていると寒くて震えます。しかし寒いという事実そのものは私を傷つけません。これは悪い、苦しいと自分の思い込みですべてを苦しいもののままにさせているだけだったのです。
私はこれを知り大学に行って確かめてみたくなりました。先生と話す時の心臓の動悸は凄いものでした。しかし、動悸は動悸。素敵な女性と話して緊張する時も、嫌いな先生と話す時の動悸も同じなのです。
動悸は凄かったですが、別にそれは体の反応・状態であって私を苦しめるものではなくなりました。私が事前に想像して自分を苦しめていた事も、何一つ起こりませんでした。一番私を苦しめていたのは私の考えであったということが良く分かり、 人と話せない、物事が上手くやれない、全て物事の方を悪いものとしてきるのは自分だったのです。周りの言う事は関係ありません。 それからは物事に良し悪しの解釈をせず、楽な生き方をしています。 必ず解決策は存在します。私の場合は本を読む事、特に人に話を聞いてもらう事はとても効果的です。 辛い、死にたいなどの悩みは人に話しづらく、聞いてももらえないのではないかと心配で辛くなります。 しかしどんな深刻な悩みでも必ず聞いてくれる人はいます。そういう場所があります。同情も敬遠もされません、ただ聞いて解決策を教えてくれます。必ず楽な気持ちになる事ができます。 どうか人に助けを求めて下さい、そして聞いてくれる人を探して下さい、それはお寺でも、そういった電話でも、何でも良いのです。 繰り返しますが必ず楽な気持ちになる事ができます。 あなたが生き生きと笑って過ごせる事を祈っています。」

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

対人恐怖症の診断あり?

対人恐怖症というのは、医療機関で診断を受けたのでしょうか?
だとしたら、自殺願望についても、医療機関に相談してみてください。
とりあえず、精神的にまいっているときは、無理をしないほうがいいと思います。
学校は、休学とかは無理なのでしょうか?
例えば、腰を痛めている人に重い荷物を持たせる人はいません。
風邪で高熱の人にマラソンをさせる人はいません。
しかし、精神が弱っている人には、外見でそれがわからないから、無理をさせる人が多くいます。
とにかく、医療機関に相談してみてはどうでしょうか?
心は変化します。今の状態が永遠に続くわけではありません。
今は、この1秒、1時間、1日を生きのびることが重要です。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

質問者からのお礼

コメントありがとうございます。
医療機関で診断を受けております。
躊躇って話せなかったのですが、自殺願望について話してみようと思います。
休学はまだ分からないので確認してみます。

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