自分の笑った顔が大嫌いです。
自分の笑った顔が大嫌いです。
自分の写真を見ても気持ち悪い顔だと思ってしまいます。
ただでさえ丸い鼻はますます潰れてるし、くちびるは変なかたちにめくれ上がって、歯並びも悪いです。
周りの人はいい笑顔だと言ってくれますが、本心だとは思えず。つい変な意味に捉えてしまいます。
でも、これからも自分の顔と付き合っていかなくてはいけません。
どうしたら、自分の笑顔と向き合っていけるでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
笑った顔は誰のものでしょうか。
ポニーテールのリボンさん、ご質問ありがとうございます。
ご自分の笑った顔がお嫌いだということですが、
その笑った顔を、あなたはどのように見られているのでしょうか?
鏡で見られて、そう思っておられるのでしょうか?
いい笑顔だと言ってくださる方がご覧になっている笑顔を、あなた自身で見たことがありますか?
悲しいかな、人間は、自分の顔を自分で見ることはできません。
普通は鏡で見て、自分の顔はこういうものだと思っています。
でも、「いい笑顔だ」と誰かが言ってくださる、そのときの顔は、あなた自身がご覧になっているわけではありませんね。
今の私の顔はこのようだ。
「いい笑顔だ」と言ってくださる人は、本心を隠していっているのだ。
そういうことは、実はあなたがイメージとして作り上げているものではありませんか?
そして、自分の作り上げたイメージで、悩み苦しんでおられる。
イメージは実体ではありませんね。
そういうものにいたずらにとらわれない。
そんなことをお心に留めていただけば、有り難いと存じます。
顔は訓練できる。和顔の布施は美醜を超える。
私が学生時代に就活面接の研修を受けたとき、私は笑顔を心がけ歯を見せながら座っていたのですが、講師から「ずっと口を開けてるとバカっぽく見える」と指導されました。
このような小さなこと1つとっても、顔というものは訓練で印象を変えられるのだと学びました。
また、顔は筋肉の集まりなので、顔ヨガなどの体操でも変わります。
ところで、あなたはまだお若い。90歳の老婆に比べればずっと美しい。
しかし、世間の「醜い(コラコラ)」老婆の方々でも、その笑顔を見たときに、悪い印象はありません。
ですから、美醜に関わらず、笑顔は良いもんです。
仏教では和顔愛語(わげんあいご)と言われ、ニコニコ顔や優しい言葉は、布施(他人へのサービスの修行)であり、人から喜ばれるものだと思われます。
嫌いでも、笑顔は修行。
大切になさってください。