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僕の名前について。

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僕は高校1年生の時に読んだ白石一文様の「僕のなかの壊れていない部分」に孤高な自尊心を見出し、その自尊心と対峙してきました。それこそ、父親と向き合えなかった起きている時間分、16×365×5≒30000時間分ずっと。
僕はその自尊心を、他の何よりも重要な価値基準と置きました。その価値基準は一般に考えられる道徳的価値観をも完全に超越してしまいます。僕は2億円を出してでも良縁を買うべきだと思うし、文字通り、命を賭してでも殺意に愛そうとしました。それが前回の質問の真意であり真理です。「僕」は「ユング分析家」の「才能」を持つ、他の大人の誰よりも幸福な「天才」で、それが「運命」、「事象」だと信じております。
僕は名前を変えようと思います。そう僕が思うことが「僕」の「主体性」は完全に否定され、「僕」が「事象」として「現れている」だけの「運命」ではあるのですが。

僕は名前を両親から戴いた文字を取り、「晨」としますが、いささか苗字に悩みます。僕は「蓮水」という苗字がよろしいかと思います。
聖章様はどうお感じになられるでしょうか。「蓮水晨」という名前は「僕」という「事象」の体を為すと思われますでしょうか?

僕は聖章様との良縁を他の何よりも大切なものだと感じます。恐らくいつになるかは分かりませんが、聖章様の下で仏道を歩み、己の為すべき使命を全うしたい、そう考え、岡山に出向くと思います。聖章様と仏教について議論を重ねることが、何よりも「仏教」という「事象」を「肯定」できる「使命」があるのだと信じるからです。僕は岡山大学で心理学を学び、京都大学で「ユング心理学」を大成し、善人と寄り添えることとなりましょう。それが僕の運命です。
宗教は何かと敷居が高いです。僕はそのユング心理学と仏教を同じ「事象」だと考え、それを同列に語られるようにすることが、僕の「使命」で「運命」なのだと心から思いました。「思い」の力は「現実」とする力になり得るのです。
差し支えなければ聖章様の個人的な連絡を教えていただきたいと存じます。

合掌


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お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

主体性

名前を変えるのは個人の自由ですから構いませんが、今回、名前を変えて何が変わるのでしょうか?
主体性とは自分の意思で行動すること。
事象とは出来事。
主体性が無ければ仏教徒として覚りにいたろうという意思も無くなり、ましてや、阿弥陀仏に頼り極楽浄土に行きたいという意思も無くなります。
ですから主体性を捨てる事は疑問です。

なお、蓮水は、蓮の水って何だろう?と思ってしまいます。極楽浄土の蓮の花が咲いている七宝池の水のことでしょうか?この水は八功徳水といい、飲み水として最適な水です。
このように私は思いました。

ユング心理学については全く学んでいないので、何とも言えませんが、あなたがやりたいことがあるなら、それを否定はしません。
お釈迦様はスーパーカウンセラーでしたから、心理学と仏教は共通する点があるだろう、とは思います。
ですが、仏教では主体性を否定はしていないと思います。「自分の心を馬車の馬を操るように、しっかり制御しなさい」とお釈迦様は説きましたから。
それに、あなたが何かをしたいと思うこと自体が主体性ですから。

また、お釈迦様は大学で学んでいません。
日常生活のなかで、あるいは仕事で、あるいは他の修行者や一般の人達との触れ合いのなかで、学んだのです。
ですから、あなたもそうあるべきではないかと思います。
もちろん、あなたが心理学や仏教を大学で学ぶことを否定はしません。

なお、私の連絡先は下記の通り。
携帯メールアドレス
enjoujimiyake@i.softbank.jp

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有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
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質問者からのお礼

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