自分のコントロール
初めまして。
私はいつか自分自身をコントロール出来なくなるのではと不安を感じています。
例えば、車を運転している時に橋の上でハンドルを切って川に落ちてみたい。
電車が通過する所に飛び込んでみたい。
など突発的に興味が湧いてしまいます。
私は自殺願望がある訳ではないのですが、自分が死んだらどうなるのだろうと純粋な興味はあります。
今はこのような突発的な興味が湧いても当然のように自分を止める事が出来ますが、
いつか好奇心が勝ってしまい実行してしまうのではと不安に思います。
解決できる方法があれば教えて頂きたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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同じ人がいてくれて嬉しいです
私も運転中にコンクリの壁に突っ込んでみたくなったり、通過の電車に飛び込んでみたくなることがあります。口に出さないだけで、そういう人はちょくちょくいるんじゃないでしょうかね。学生の時に「電車見てると飛び込みたくなるよねー」って言ったら皆んなにえらい気持ち悪がられたので、決して多数派ではないのでしょうけど。。。死にたいわけじゃないけど、なんか頭に浮かんじゃうんですよね。
さて、死への恐怖というのは大怪我をしたり身近な人の死に触れてはじめて、本能のスイッチが入るように怖くなるそうです。私は前述のようなことが頭をよぎりますが、包丁を使っている最中に自分や他人を刺すイメージをすると背筋がゾクッとして足がすくむような感覚があります。頭の表面のイメージより、こういった心の深い部分がしっかりしているうちは大丈夫だろうと思っています。現に今まで一回も死んだことありませんし。
私はお檀家さんに「お葬式は故人ができる最後の教育」とお話ししています。生命のことはどんなに本を読んでも、テレビや映画で感動しても本当の意味では学べません。生命を失うということを本当に実感できるのは、現実世界の死を目の当たりにした時以外には無いのです。死ぬと遺された人が悲しむと本当に分かるのは、近しい人が悲しんでいるのを目の当たりにし、共感した時以外に無いのです。昔の人はそれを地域社会で共有していたのですよね。
でも、最近は家族葬がブームでその機会がどんどん無くなっていってしまう…それ以前に喪失感を感じられるほど身近な人とのお付き合い自体が無くなり、人と人との繋がりが疎遠になってしまっている…だから自死『できる』人が増えているのだと思います。こんな社会は病んどるんです。これじゃいかんのです。
ちょっと愚痴になりました。
どうすれば解消できるか?頭をよぎること自体を無くすのは難しいでしょうが、それ自体はそんなに気にする必要もないでしょう。それとはまた別のベクトルの死への怖れや死別の実感を大切にして下さい。そのためには地域や知人、親族のお葬式に参列させていただきましょう。
そんなに早く死ななくて良いですよ
こてつさん、はじめまして文書を拝見しましたが、何か心配をお持ちですか。死んだらどうなるのかについては、人間に生まれさせて頂き、亡くなっていくのですが、お釈迦さまの四苦八苦の教えに死の苦しみと愛別離苦の2つの苦しみが関係しますが、本当に人間の命は明日が分からないのです。毎日当たり前に生きていると感じませんが、私は目の前で目にしましたが、元気に生きている時には、何も感じないまま過ごされていましたが、亡くなる前というのはやはりわかるのだと思いますが、最後に「ありがとう」と言って亡くなられましたが、これが日々変化する「諸行無常」という教えです。スーダンやアフリカの国だと本当に生きる事に精一杯です。日本では当たり前に感じますが、日々生きている事に感謝して、ありのままで、「おかげさま」「お互いさま」で、支えられているのだと感じて日々過ごして下さい。 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございました。