頑張れる私になりたい
私は今大学4年生です。
自分と自分の今までの人生に自信がありません。自信を持ちたいと思うのですが、こんな自分に自信を持っていいわけないだろうとも思っています。毎日ふとしたときにそのことに悲しくなって泣いています。
幼い頃自分は優秀な方で委員長など人前に立つことも多く、先生や近所の人など周りの大人から、すごいね、いい子だね、と褒められることが多くありました。
しかしその反面、母親は母親の求める基準に達さないと褒めてはくれませんでした。達しても次の目標を目指させられました。どれだけ頑張ったとしても結果が出ていなければ意味がないらしく、当時の私はそれに多少の不満を持つことはあっても当たり前だと思っていました。
しかし今、就活もあって自分の人生を振り返ってみた時に、自分の人生に自信が持てなくなっていました。
なにかあったことに対して、それが成功してたことなら、それくらい出来て当然だっただろう、むしろ出来ていなかったら自分はなんなんだ、と思い、それが失敗してたことならどんなささいなことでも、これくらいのこともできないなんて、自分はなんて駄目で無価値なものなんだろうと思います。
これからなにか頑張ろうと思っても、結果が出なければ意味がないし自分に結果が出せるとは思わない、と思ってしまうからなかなか頑張る気も起きません。(そんな自分も嫌なのですが…)
こう思う遠因が、私が幼い頃に離婚して唯一の親だった母がなかなか自分を認めてくれなかったことにあるような気はします。ただ、1人で私を育ててくれた母にそんなことを思うことが申し訳ないです。
たぶん私は初対面の人が思うより自分は優秀なんだと思います。しかし、自分のことをよく知ってくれてる人が思うより優秀ではないと思います。そもそも自分が優秀だと思いたいだけで、本当は人がいう優秀が10だとしたら私の中の優秀は1しかなくて、自分で1を10だと思い込んでいるだけなのかもしれないとも思います。
ネットで自分に自信がない人は○○だからそんな自分を受け入れて自分を認められるようになりましょう!と書いてありますが、だからと言って、はいそうですね、自分を認められるようになります!とはなれません。自分で認められる自分が自分の中にないのですから。
自分の気持ちを楽してあげて、自信を持って頑張れる私になりたいです。
アドバイスをいただきたいです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
良い結果なるのも悪い結果になるもの縁ですね。
せす様
はじめまして、ご質問を拝読しました。幼い頃の体験や親御さんの教育方針など影響で優秀でなくてはいけないと思っておられるのですね。そしてその影響で頑張れない苦しみがあるのですね。
優秀とは、どうなれば優秀なんでしょうか、優秀の基準が難しいですよね。
お金もちになればいいのか、誰もがしる会社に就職しエリートコースを歩めば良いのか。
はたまた、結婚をして子供やご主人の世話をして生活するのが優秀なんでしょうか。
優秀=幸せならいいのですが、優秀にこだわるあまり自分を苦しめては何のための優秀なのかよくわからなくなりませんか。
優秀であろうがなからうが、自分は自分ですから、他人が褒めてくれなければ、自分で好きな様に褒めてやればいいです。他人(親)が褒めてくれる基準なんか気にしないでいいです。
だれでも、他人と比べて落ち込む事や大きな壁に当たり挫折する事が多少なりもとあるとおもいます。
そんなときは、希望する結果でないかもしれませんが、それまでの頑張りを自分で褒めてやってもいいと思います。甘やかしてはいけませんけどね。
なので、結果が出なかったら嫌だから努力しないではなく、結果は後からついてくるのだと思って気軽に頑張ってみてはどうでしょうか。
良い結果になるのか悪い結果になるのかも縁です。
最後に自分で認める基準は本当にせすさんの基準でしょうか。他人に基準に惑わされない様にしてくださいね。
あせらないで羽ばたいてくださいね
拝読させて頂きました。なるほど、ご自分のことをだいぶ卑下なさっていらっしゃるようにも感じました。あなたの意識の中でお母様からの評価が全ての基準になっていらっしゃるのですよね。
あなたはこれから社会に出て荒波にもまれていくことでしょう。その中ではどこまでが優秀でどこまでが劣等であるという基準とは一概にはいえません。安易に勝組負組とか世の中は言っておりますが、うわべだけの空論です。
これから未来に向かっていかれる中であなたにはご自分の目指す夢や目標を目指して頂きたいと思います。お母様からの評価ではなくて自分にとっての夢や目標です。
自分の人生の幸せや充実感は自分で作り精進なさって、自分で感じるものです。
評価の基準はこれから様々になって参りますので、安易に流されずに自分を見失なわないでくださいね。一歩ずつ前進していく中でおのずと自信もついてきます。
どうかあせらないでこれからの人生をじっくりと楽しみながら歩む道を見つけて歩んでくださいね。
あなたのこれからの未来が新しい価値観の中で羽ばたいていかれますようにと心より応援しておりますね!
経験を積み挫折を繰り返しながら、自分の資質を熟成させること
せすさん、拝読致しました。
貴方が将来に抱える切実な思いが、文章を通してよく伝わりました。客観的に考察されており、自己分析もしっかり出来ているようです。この投稿からも、洞察力などの能力に秀でておられる様子が伺われます。
恐らく貴方が仰る「なにかあったことに対して、それが成功してたことなら、それくらい出来て当然だっただろう…」という件は、ご自分で分析される通り、家庭環境の影響が大きいのかもしれませんね。お母さんからすればご自分の経験も踏まえて、貴方に内面的な強さを伝えたかったのでしょう。幼い貴方はお母さんを悲しませないよう自分なりに努力し、或いは背伸びして応えようとしたのではないでしょうか。
同じ子を持つ親の立場から言えば…貴方がいたから、お母さんは頑張れた。それは間違いの無いこと。貴方への厳しさは、ともすれば崩れ落ちそうになる自分への「ガンバレ!」ではなかったか。
そして今では、大学卒業を間近に控えた大人の貴方が誇らしく、夢のように眩しいと思うのです。
遠い学生時代の自分に照らし合わせて答えるなら…学生の頃の仲間たちの中で、これから進む道に確固たる自信を持って卒業を迎えた人が何人いたことでしょう。むしろキャンパスから社会へと飛び出した後、社会の荒波に揉まれながら構築されていくケースが多いのでは。学生の間に蓄えた知識や人間関係を食料として、期待と不安とともに未知の世界へと漕ぎ出すのです。
自分の能力を10と勘違いするのも、1と評価するのも結構。1や10が問題ではなく、1でも10でも、それを先に進ませることが大切なのです。
10に胡坐をかいて、麻酔の眠りに落ちてしまわない。
1を卑下して、自分の可能性を小さくパッケージングしてしまわない。
「昔の私はこうだった。」は、何の意味も成しません。謙虚でこそあれ、自分を卑下する必要はないのです。学び舎から実践の場へと飛び込んでいかれる自分に、過小評価も過大評価も必要ありません。
今、貴方が持っている資質を、社会に出て経験を積み、周囲の評価を得ながら、或いは挫折を繰り返しながら熟成させることが大切なのだと私は思います。