教えてください!
初めまして。
いきなりで申し訳ありません。先日、自分に対してあなたは気遣いは出来るのに、優しさは無いわね。と言われてしまいました。確かに自分自身損得で動いてしまうことが多いのですが、優しさが自分になかったのかと痛感してしまいました。
是非教えて頂きたいのですが、優しさとは何でしょうか。気遣いは優しさにはならないのでしょうか。
仕事でも自分はその人の為と思ってしてる事が優しさではなく気遣い(おせっかい)になっているのではないかと毎日考える日々です。
自分がよく分からず仕事がある日は毎日夜も悩んでしまって長くれれず夢にも出てきてしまう時があり、どうか解決したいです。
話にまとまりがなく申し訳無いですが、ご返事お待ちしてます。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
気にしない事です。
あなたが言われたことで、私が一番引っかかるのは、「あなたは気遣いは出来るのに、優しさは無いわね。」の部分です。
これはつまり、「優しさは無いわね。」->「私の求める優しさではないわね」->「私に優しくないわね」なんですね。
求めるだけで与えない人に多い言葉です。
私に言わせれば、「優しさが無いと言われた人がどれだけ傷つくか。あなたには優しさどころか気遣いもないですね」なんですけどね。
人の為は偽(にせ)物になりがち
りんりんさま
こんばんは。ご質問拝読しました。
日頃、お気遣いいただきながら、お仕事に精進していらっしゃることと思います。気遣いは出来るが優しさが無いと言われたこと、たいへん傷つかれたのではないでしょうか。
気遣いと優しさの区別はなかなか付けにくいですが、たとえば私は義母が癌を患ったことがあるのですが、その時に有効な療法や治療成績の良い病院を次々紹介してくださった方がありました。それはそれでたいへん有り難かったのですが、また違う方は、「お辛いでしょうね」と涙して共感くださいました。どちらの方もお心遣いをいただいたのには間違い有りません。
ただ、その時に優しさを感じたのは、涙してくださった方でありました。
これは私の考えですが、優しさとは、他の方々の気持ちに寄り添い、共感していくことなのかなと思います。人のために事を為すことの多い私たちですが、貴方のために、というその気持ちは「してあげた」という思い上がった手垢が付いてしまうことがあります。
人の為ではなく、りんりんさまが、こういうふうにされたら嬉しい!と思ったことから実行してみてください。できることからで良いと思います。