偽善者である自分は嘘つきですか回答受付中
よろしくお願いいたします。
わたしは「良い人」ではないという自覚があります。
嫌いな人がちょっと失敗しそうだったら助けないで黙って見て“困ればいい”と思ったり、見知らぬ人のマナーの悪さに舌打ちしてみたり(自分もマナーがいいわけではないのに)
自分よりも年下の誰かが活躍していたら“環境がいいせいだろう”なんて僻んでみたり…
意地の悪い人間なんだって事は自分がいちばんよく分かっています。
でも、友達や良くしてくれる人などの好きな人達には、そんな自分を知られたくなくて、なるべく親切に“良い人間であろう”“好かれる自分でいよう”と意識して振る舞います。
悲しんでいたら、どうにか優しくしたくて、元気になって欲しくて、でも無理はして欲しくなくて
精一杯言葉を選んで、無理に元気を引き出さないように接したり。
自分が疲れていてその気遣いができなさそうだったら距離を置いて、自分の薄汚さがバレないようにしてみたり。
また知り合い以外でも、たとえば道で荷物を持ったおばあさんが困っていたら助けたいと思います。
“自分だったらそういう時、ほっとかれたら悲しい”と勝手に共感して、それを無視すると、見ないようにしてる自分の意地悪さが目の前にドーンと横たわるような気がするからです。
街頭募金なんかを見ても「ここで募金する良いわたし」と自分で思いたくてほんの少額入れてみたり。
そんなふうに人に向ける優しさ、善性が全部自分のエゴと演技だと自分でわかっているから
人から感謝されると嘘をついて騙しているようで苦しいです。
誰かに好意を向けられても、それは「そう見せたかったわたし」の振る舞いであって、本当の自分ではないから、そばに居るとそれがバレて幻滅されそうで人と距離を置いてしまいます。
わたしはそんないい人じゃない、もっとクズなんだって、言ったところで謙遜にしか取られないし、わたしはそうしてずっと人を騙して、いつか手痛い罰を食らうのではないかと思っています。
心から“相手のため”“自分のことなどどうでもいい”という100%優しい人になりたいけど、どうやっても“自分がそう思われたい”が出てきて邪魔をします。
嘘つきでない優しさはどうすれば手に入りますか?
嫌いな人が失敗すればいいと思ってしまう 自分の辛い経験を、何度も何度も反芻しては思い返してしまう
お坊さんからの回答 1件
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そのままでいい
ご質問ありがとうございます。
そのままでいいですよ。
お釈迦様は言いました。「誰でも一番大切なのは自分です。自分を大切にするには自分の周りの人を大切にすることです。」
ことわざにもありますね。「情けは人の為ならず」
人を助けることは回りまわって自分の為になるということ。
偽善でもいいのです。
嘘をついていてもついていなくても優しさは同じなのです。
今まで通り人に親切でいてくださいね。
ただし、嫌いな人でも助けが必要な時は助けてあげましょうね。


