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輪廻転生から解脱

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某SNSで「あまり徳を積みすぎても、輪廻転生から解脱する」というのを見掛けました。

なので、例ですが、適度にずる休み等をして徳の調整をしようと。

興味深いなぁと思ったのですが、徳を積みすぎると本当に解脱するのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

積み過ぎることができないのが徳

ごまもちさん、初めまして。

拙いながら回答させていただきます。

その「あまり徳を積みすぎても……」というくだりのSNSでバズりましたネタ、私もTwitterで拝見しました。

ネタとしては面白いですが、仏教観点から言えばいささか間違いというか誤解があります。

そもそも解脱の語源は複数ありますが、梵語でヴィムクティ「開放する」「放棄する」という意味があり、その延長として「脱出」の意味として「輪廻からの離脱」を解脱と一般に言われます。

ですが、そもそも「解脱」はインドにおいて生まれた教えであり、仏教の以外の宗教にも「解脱」という考えがあります。
しかも少しややこしいことに、それぞれの宗教によって「解脱」の考え方が異なります。

仏教においても「解脱」に至ることを目的としておりますが、慧解脱や倶解脱、心解脱や身解脱など様々な解脱が説かれています。

また、六道輪廻(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)は大乗仏教においても日本社会においてもお馴染みですが、そもそも輪廻転生の考え方はインド社会におけるカースト制(身分階級固定)差別の中に生まれたものでそれを基盤としてそれを肯定しているとして最近では輪廻そのものを否定する学者、学派、グループもあります。

話を戻して、日本に伝わる仏教の各宗派の大半は大乗仏教です。
大乗仏教における「解脱」とは、煩悩による繋縛から解き放たれて、全ての執着を離れることで、迷いの苦悩の世界から悟りの涅槃の境地へと至ることであります。

簡潔に言えば「無明、迷い多き状態を脱して、正しい智慧を得ている」ことです。

その状態においてはそもそも徳を積むことにも、積んだ徳の多少にも執着していないはずなので、徳を積み過ぎることを心配する必要はないのです。

また、適度にずる休みをしようがしまいが、さほど積める徳に差はありません。
積んでるつもりでも積めていないのが徳であります。

もちろん、一人の人間として日々を生きる上では時に息抜きやサボり、ずる休みも必要かとは思いますが、徳の調整のために適度にずる休みをする必要は全くありません。

気にせず徳を積んでください。

合掌(^人^)

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慈蔵房(氵門亠广)
未だ愚迷凡夫の身ではありますが、皆様の一助になるようなお答えができれば幸い...
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積み「過ぎる」と思ってる限り解脱しないのでは

仏教の修行のゴールは、輪廻転生から解脱することです。
だから、輪廻転生から解脱することは最高にすばらしいので、徳を積み「過ぎる」という発想にはなりません。
輪廻転生から解脱したくない人にとっては、積み「過ぎる」という考え方になるかもしれません。
そのような考え方の人には、輪廻転生への執着、煩悩がたっぷりあるでしょうから、輪廻転生からうっかり解脱してしまうような心配はないと思います。
どうぞ遠慮なく徳を積んでください。
徳を積みまくるぞと思ってもなかなか積めないのが人間です。
私は、徳を積み過ぎるような人になりたいくらいです。

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質問者からのお礼

積んでるつもりで積めてないのが徳。
積みすぎようと思っても積めないのが徳。
とても面白いと思いました。

私も徳を自分のペースで積んでいきたいと思います。

ありがとうございました!

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