ママ友&その子供への対応について
5年生女子の母親です。
数年前にPTAの仕事をしましたが、そこで不仲になった人がいます。
こちらも悪いという自覚もありますが、しりぬぐいをさせられたり、人前で嫌なことを言われたりしました。
以降、数年無視されております。
それを前後して、その人の子どもがよく遊びに来るようになりました。同じクラスだったのですが、わが子が誘ったわけではないそうです。
その子も挨拶が出来ず、一言も発しないので、家人も「気味が悪い」といい、対応は私がしました。他の子どもたちにしているように、おやつを用意したりしました。
半年前にクラス替えがあり、その後1度来たきり、遊びに来なくなりました。その時は横柄な態度で、家に上げるのを断りました。
それからは母親だけでなく、その子どもも、学校であっても、出先でも無視します。
私の器がちいさいのだと承知していますが、その親子のあまりにも失礼なふるまいに、腹の納め方がわかりません。
以前は無視されても、こちらから挨拶をしていましたが、最近はバカらしくて止めております。
それも大人げないと思ってしまい、嫌な気持ちになります。
お坊さん、私はどういう態度で、どういう心持で接すればいいでしょうか?
みっともない悩みですが、数年心に引っかかっております。
周りの人には相談できません。
どうぞよろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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しつけ、似てるかな
読ませていただいて、なるほど何年も心に引っかかっているのだなぁと思いました。なかなか辛いですね。
「暫くは挨拶していたが、バカらしくなりやめた」とのこと、お気持ちは分かります。けれど、これってしつけに似ているなぁと思いました。私の学びです。
しつけというのは、相手に何か変化を願って起こす行動ですが、結果が出るより前に「しつけ」自体はできているのです。つまり、貴女が相手に挨拶した時点で、貴女のするべき「しつけ」…大人相手なので、本当は違う言葉なのでしょうが…は済んでおります。貴女が「知っている人とあったら、こういう行動をすべし」、それができているなら、その時点でしつけはオッケーです。
一般的には馴染みにくい考えかも知れませんが、仏教ではこれを「布施行」と呼びます。相手がどうなるか?ではなく自分がどうしたか?布施行というのは、「自分のためにする」ものです。
子供のしつけも同じですが、何度言っても相手が変わるかどうかは相手次第。一度で変わるかも知れないし、1000回以上かかるかも知れない。1001回目かも知れない。
この事を知ると、貴女が挨拶してきた事は、決してバカらしくない事に気づけるはずです。ここにいるお坊さん方も、きっと同じ評価をしてくださると思いますよ。
この知恵を、どうかご自身の子育てに活かしていただきたいと祈念いたします。
人のふり見て我がふり直せ
拝読させて頂きました。人が生きていくことはそのような人とのわざわいがたびたびありますね。
あなたもとてもいやな思いをなさったことかと思います。おそらくその方の姿勢に問題があったことでしょう。そして大なり小なりあなたにも原因はなかったわけではないと思います。
人とは愚かなものです。自分のことは棚に上げて正しい心や行いをいつの間にか忘れてしまいます。
仏教では無明と言いますが、ものごとをわからない愚かさのことです。
私たちはやはり我が身のそのような愚かさを振り返ることが大切なことかと思います。
人のふり見て我がふり直せ、です。自分も人の悪いところを真似て怒りや感情にまかせてお互いをそしる無視することは何ら益なきことです。
あなたには正しい心や行いを信じて生きて頂きますようにとお願い申し上げます。
質問者からのお礼
佐藤 和尚様・Azuma和尚様
早速のご回答ありがとうございました。
佐藤和尚のご回答を読みながら思ったのですが、私にとっては、挨拶は当たり前、まして子どもがお世話になったり、お願い事をしたら、自分から頭を下げるべき、という思い込みがありました。
が、今はそれぞれの家庭でそれぞれの「しつけ」があるのだと思います。
あちらは「挨拶」はしなくてもいい家なのかもしれないと思いました。
相手は変わってくれなくてもいいです。
仏さまとわが子が見ていますので、「布施行」は続けたいと思います。
Azuma和尚
もっと自分に集中することが大事でした。
女性だけかもしれませんが、人付き合いは正しいか正しくないか、だけでなく、過不足なく気遣いをしなければならず、その判断が難しいです。いつも失礼ではないか、やりすぎではないかと悩んでしまいます。
彼女に惑わされることなく、自分が相手に対して礼儀正しくふるまうことが大事、と気づくことができました。
ありがとうございました。