私はどんな人間でどうしたらいいのでしょう
自分が好きになれません。自信がありません。そもそも私はどういう人間なのでしょうか。他人から見て「可哀想な人」なのか「実は自己愛が強く自分を正当化するために歪んでいる」のか。自分がこの先どうすればいいのか、どうしたいかもわかりません。
両親が嫌いでした。夫婦間も親子間も仲が悪く母は心を病んでいました。父は話が通じません。「相談」というものが出来た試しがありません。もう諦めて蓋をするしかありませんでした。慎重にしないとまた発狂されるのでもう何も言うつもりはありません。
数年前、夢がありました。初めて自分が心から楽しいと夢中になれたことでした。一人暮らしも始めて貧しくても満ち足りてました。でも失敗しました。熱意が消えてしまいました。自分が怠け者だから冷めてしまったのかもしれません。希望でしたがもう消え失せました。
今1つだけ願うことは、誰かにただ抱き締めて欲しいです。でもこんなロクでもない男は迷惑なだけです。恋人にも父親にも相応しくないです。そもそも今は人が怖いです。旧知の仲でも目も合わせられません。
今は無職なので仕事につこうと思っています。お金が必要だからです。少なくとも両親への借金を返す必要があります。生活保護だとか誰かの迷惑をかけないためにお金が必要です。多少の物欲はありますが多分子供のオモチャのように束の間満たされるだけです。後ろ向きな目的で働く必要があります。
自分はどんな人間でしょうか。やはり女々しくプライドが高く被害妄想の激しい小心者でしょうか。私は人から肯定されるだけの価値がありますか?自分を大切にし過ぎて恥をかきたくないのか自分を過度に否定して他の人もどう接せばいいのかわからないのか。
人の目を気にせず好きに生きることも、誰かのために人と関わることも出来そうにありません。自分では自分のことがわかりません。ここまで纏まらない考えを最低限書き出してみましたが、矛盾しているか客観視することも困難です。
いざ人と話すとおどけて自虐的な冗談にしてしまうか真面目にどう話せばいいかわからず結局話せなかったりするのでここに書きました。率直なご意見をお願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そのままで生きていいんです
昔、ある僧が雲門和尚という禅僧に質問しました。
「仏とはなんですか」
すると雲門はこう答えました。
「クソだ」
さあ、あなたはどう思いましたか?
クソ=汚い物。と普通は考えます。
ならば、仏=汚い物。なのか?
そうではありません。
クソ=汚いと考えるのは、人間様が勝手に自分のものさしてそう言ってるだけ。
つまりは先入観。
人間はそれを「汚い物」として見るけれど、クソ自身は、自分のことを汚いだなんて思っていない。
クソはクソ、綺麗も汚いもないのだ。
ただそこに存在しているだけなのだ。
あなたも、自分自身をつまらない先入観のメガネをかけて見ちゃダメだよ。
いのちの輝きは、皆おんなじ。
あなたという存在が尊い、仏なんです。
だからあなたはそのままでいいんです。
そのまま生きていいんです。
大事なのは、どう生きるか。
悪いことをせず、善いことをして生きる。
仏教があなたに求めることは、ただそれだけです。
自分で気付いている
あなたは自分で自分をよく反省し、気付いておられます。
あなたご自身以上にあなたを知っている人はいません。
あなたが自分で自分をこうではないかと予想しているような側面が、あるのだと思います。
ただし、心は瞬間瞬間に変化します。
瞬間ごとに違う性格になることもできるのです。
「蜘蛛の糸」というお話で、主人公は極悪人ですが、しかし蜘蛛を助けたことがあったのです。
極悪人でも、時には善いこともできる。
そのように、瞬間瞬間ごとに新しい可能性があるはずです。
一つ捕捉するとしたら、あなたは自分の弱さをよくご存じです。
だから、きっとあなたは、他人の弱さを受け止める優しさがあるのではないでしょうか。
もし、目の前に、あなたに似た性格の人がいたら、あなたはその人をバカにしたりしないでしょう。
世の中、あなたが気にしているほどは、あなたに攻撃的ではないでしょう。
あなたの弱さを理解してくれる人もいるはずです。