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娘の死、その後

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有り難し有り難し 16

3月に娘が亡くなってからお世話になっております。
2ヶ月数日後の先日私の祖母が亡くなりました。95歳でした。
生前、私共夫婦、長女、二女で入院先にお見舞いに行っておりました。
長女が亡くなってから祖母は、順番が違う、一人でかわいそうだと泣いていました。早く行ってやりたいとみるみる弱くなっていきました。
きっと長女の側に居てくれるんだと思います。
続けて悲しむわたしの姿を見て二女の気持ちが心配なので心配させないようにしたいのですが、空回りしているような気がします。
長女に手を合わせて落ち着かせていますが、手を合わせる際には念仏を唱えるのでしょうか?
長女に話しかけたり、近況を話したりしますが本来長女にしてあげることは何かと思いまして聞きたいと思います。

2013年5月29日 8:58

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

本音を語ること

ご愁傷様です。
二女さまのことを気遣って、じゅんち様ご自身が、心から長女様と祖母様お二人の死を悲しむことができないのではないか、と心配しております。もし可能であるならば、子どもさんを亡くした親の会などに参加されてみてはいかがでしょうか。ネットで調べましたら広島ですと下記のようなものがございました。このような会は合う合わないがありますので、あくまでご参考までに。
※新興宗教などの会ではないようです。念のため
http://www.geocities.jp/toshihico12/oyanokai.html
ご主人と一緒に行かれることも良いことですし、あえて別々に行かれることも良いことだと思います。

長女様に本来すべきことは「あなたがいなくて悲しい」など、心の一番奥にある、誰にも言えない本音を語ることでは無いでしょうか。仏教の教義的ご供養は僧侶のつとめなのですから、それ以外の毎日はどうぞご安心なさってください。

その後、お気持ちや時間に余裕があると感じられるようになりましたら、「お勤め」もされてみてください。お仏壇では、お戒名(法名)の上に南無(ナム:尊敬いたします、お慕いいたしますなどの意味を持つ仏教語)をつけて、南無○○童女などのようにお唱えすることが一般的だと思います。それぞれの御宗旨でお念仏やお題目、ご真言などを唱えることもとてもよいご供養になります。
また、私がおススメしているのは、お仏壇にあげたお水を、そのまま流しに流すのではなく木や植物に差しあげることです。これからの季節、青々とした葉が育ったらうれしいですね。

2013年5月29日 12:11
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おきもち

住職のかたわら、大道芸人PRINCOちゃんとして幼稚園保育園など各種施設、...

忘れない、思い出す

じゅんちさん、こんにちは。
ご息女、そしておばあさまのこと、お悔やみ申し上げます。
きっと長女さんのそばに居てくれているのでしょうね。

さて、“本来長女にしてあげることはなにか”とのご質問ですが・・・。
それは「忘れない、思い出す」ことです。

これからもさまざまな機会にふれ、じゅんちさんは記憶が蘇るかと思います。次女さんが成長したとき、テレビで学園もののドラマを見たとき、だれかの結婚式・披露宴の呼ばれたとき、お葬式に行ったとき。
「長女さんの場合」をイメージするかと。もしあのまま成長していたら・・・。
もちろん、おばあさまに関してもそうです。元気なままだったら・・・。

ふつうに“話しかけたり、近況を話したり”することも私がしてあげられることです、そして「忘れない、思い出す」ことも私にしか出来ないことです。

ポイントは「私にしか」出来ないところ。

お墓ってただの石です。お経本ってただの紙切れです。でも、そこに意味をもたせるのは、「私にしか」出来ないことです。それが人の願いや祈りというものです。具体的に言えば「忘れない、思い出す」でしょうか。
家族の誰かとその想いを共有することは出来ますが、それぞれに違う人間なのですから、まったく同じではありません。悲しみ方、人生が違うように・・。
話をしたり、ともに涙したり、心配かけないように気を遣ったり。家族は近くにいながらも、遠い存在かもしれません。

長女さんも、おばあさまも、遠くへと行ってしまいました。
じゅんちさんが「忘れない、思い出す」ことが、彼らのためになります。長女さんが生きていたという事実、おばあさまが成長を見守ってくれていたという事実、の証拠なのですから。
そしてまた、実感が伴わなくても、遠くへ行ってしまったけれども、近くに感じることが出来ている証拠でもある。そう思います。

もちろん、人の記憶は薄れていくものですし、急に蘇るものでもあります。個人差もあります。
この点については、おそれないでください。「忘れない、思い出す」は自然なものです。おそれるようでしたら、毎朝お写真を見て拝む、挨拶をするなど、されるのが宜しいかと存じます。

2013年5月29日 9:50
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おきもち

「~です」とは、「~だと、ぼくは思うのです」ということです。 回答は、書...

子は善知識

お嬢さんが亡くなって間もなく、お祖母さまが亡くなられたのですね。
書かれた内容から、お祖母さまは高齢であっても頭はしっかりしておられたようですね。
自分より年少の者が亡くなることを「逆縁」と申しますが、孫を亡くしたお祖母さまの悲しみも、また深いものだったと思います。
まさしく、自ら孫のもとへ往くことを選ばれたのだと感じました。

長女さんに、何をしてあげればいいのか、とのお尋ね。
南無阿弥陀仏のお念仏にしても、南無妙法蓮華経のお題目にしても、あるいはアーメンであっても、じゅんちさんの中に確固たる信心が無ければ、何を口にしてもご自身の心に響かないのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

今回は、詠み人知らずの古歌をお伝えいたします。
「夢の世に あだに儚き身を知れと 教えて帰る 子は善知識」

「先に亡くなった我が子は、私に大切なことを教えてくれた善知識(先生)であったのだ」という意味です。

「亡くなった方に何かをしてあげたい」というのは、人として当然の思いです。
しかし実際には、何をしてあげることも出来ないのだ、とも思います。
その「何かをしてあげたい」という思いを通して、自らが大切なことに気づかされること。それが、「大切な方の死を無駄にしない」ということだと私は考えています。

とは言っても、まだ悲しみから間も無いのですから、どうぞ焦らないで下さい。

2013年5月30日 1:50
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おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...

「身近・大切な人の死・悲しみ・喪失」問答一覧

父親の死と子供の心のケア

初めまして。つい一週間ほど前に父親の葬儀を終えました。私は遠方に嫁いだため、最期会うことができませんでしたが一ヶ月ほど前に入院していた父の所へ会いに行っており、その時最後かもしれないと意識はしていたつもりです。が、生前とても可愛がってもらい気にかけてもらっていたし私も父が色々あっても大好きだったので最期会えなかったのを申し訳ないと思ってしまいます。頭の中では、受け入れなくてはならないと分かっているのにもう自分が死ぬまで父に会えないという事実がなかなか受け入れられません。また、今まではあまり深く考えなかった自分の死というのも強く意識してしまい怖さを感じます。時間が流れれば、全て受け入れられる事だとは思いますが、頭の中が色んな感情でゴチャゴチャしてしまい混乱しています。こんな事では優しくて時には厳しかった父に怒られてしまいそうです。 ただ、こんな感情の今の私を支えてくれる家族は勿論います。主人と子供たちは優しく、理解してくれて助けてくれ支えとなってくれています。その中で中学生の長女が初めての身近な死を経験し私以上に悲しみを感じていたようで、体調を崩したり精神的にもやや不安定になっています。私は自分の感情を優先していた事に気付きハッとしました。娘へのケアも考えなくてはいけないと、今になって感じています。娘は祖父の死によって、いつかは親の死が訪れる恐怖もやはり感じているようです。どのように話をしてあげればいいでしょうか? 私自身も、今はまだ辛いし娘と同じように先の事に恐怖も感じています。私も娘も今を乗り越えるために是非ともアドバイスをお願いします。

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母の突然死 後悔ばかり

母が突然死しました。起こしに行くとすでに冷たく死後5〜6時間が経過している状態でした。 元から精神的な病気がちで寝ている事が多く同居している家族も気づかなかったそうです。その顔は本当に眠っているようにいつもの寝ている姿勢のまま綺麗でした。 近所に嫁ぎ妊娠中に急遽体調不良になり入院し出産してからはたまに顔を見せに行っていました。 その度に喜びいつもなら自分の体調の事ばかり話す母が私や子供の事ばかり気遣ってくれ喧嘩もする事なく平和に過ごしていました。 最後に、孫の体調の心配やまた遊びに来てねと電話で話し3日後亡くなり全く気持ちが整理できません。まだ孫は3か月。 第一発見者は私でした。いつもならわざわざ寝室に入り身体をゆすったりしないのですが何故かその日は体が動き母を発見しました。色んな偶然が重なりの発見でした。 母はあの世で幸せに暮らせますか? 中々子育てや家事や自分の体調に追われて会いに行けなかったから寂しい中で死なせてしまい悲しんでいないでしょうか? また私は母に呼ばれて 遺体を発見したのでしょうか? 母にまた会えますか? 夢に母がよく出てきてくれますが未練があるのでしょうか? 質問ばかりで申し訳ありません。

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婚約した彼の突然の死。生きる糧が欲しい。

先日、長年お付き合いをしていた彼が急性の病で亡くなってしまいました。 亡くなる前のデートで、「来年には籍を入れよう」とずっと待ち焦がれていた言葉をくれていました。 私たちは付き合いも長いですが、本当に仲良しで、喧嘩も少なく、レスもなく、本当に愛し合っていました。 まだ同棲はしていませんでしたので、やっと毎日一緒に暮らせると思っていた矢先、彼は倒れ、帰らぬ人に。 ご家族からお話を聞いた時には、信じられなくて。 何かの悪い夢か、嘘なんじゃないかと。 奇しくも、告別式は私たちの記念日でした。 十何年目の記念日が、お別れの日になってしまいました。 今、すごく会いたいです。 悲しいです。 この辛い今を生きる糧として、彼の赤ちゃんが欲しい。 何か奇跡が起きて赤ちゃんができないか…。 赤ちゃんにはその分、たっぷり愛情を注ぎたい。 赤ちゃんができているかは分かりません。 これは私の願いです。 次の生理が来るのも怖い。 来ないで欲しい。 私に生きる力を与えてくれる生命が宿ってくれないか、願ってしまいます。 本当に彼のいなくなってしまったこの世界に生きることが辛いです。 食事を取るのも悪に感じます。 彼はどんなに苦しかったか。 悔しかったか。 彼は死んでしまう前に、私へメッセージを最後の力で残してくれました。 そこには私への気持ちで溢れていました。 苦しい時に私を想ってくれたこと、本当に嬉しくて。本当に悲しくて。 なるべく早く彼の元に行きたいと願ってしまいます。 私は、彼のいないこの世界で何も頑張ることができません。 これまで生きてきて、早く死にたいと願うなんて初めてです。 自死はできない。 自死は彼も悲しませるし、私の家族も友人たちも悲しませてしまうから。 私も彼と同じ病で同じ苦しみを味わい、死にたいです。 本当にまだ彼のこと愛しています。大好きです。 私はこれから何を糧に生きれば良いのか。見つかるのでしょうか。 苦しいです。 まだまだ修行の足りない私にアドバイスをいただければ幸いです。

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大好きな祖父の死が受け入れられません

文才がなく、読み難い文章で申し訳ありませんが、御教授頂ければ幸いです。 小さい頃に両親が離婚をして、祖父母に育ててもらいました。私にとって祖父母は両親以上に親だと思っています。 一昨日、大好きな祖父が亡くなりました。 10年前に末期の前立腺がんと診断され、それから懸命の治療をしてきました。昨年に末期の糖尿病を患い、今度は食事制限が始まりました。 今年に入り、血栓が見つかり、脚がぶくぶくに浮腫んで歩くこともままならなくなった祖父。 先月、いつもの抗がん剤治療のため病院へ行ったら、酸素飽和度が低くなっているため治療が出来ず、そのまま入院。酸素投与をしながら様子を見ることに。 脚の浮腫もあり、入院中も寝たきりで家族とは祖父が帰宅したら家での介護は難しいかもしれないね、と話していた矢先、祖父の容態が急変。 その時一命は取り留めたものの、間質性肺炎を患い「いつ何が起こるかわからない状態」と医師に告げられました。 入院中出来る限りお見舞いに行き、ときには病院へ泊り込み。個室だったため24時間家族の誰かしら祖父の近くにいる状態が続きました。 ある夜、祖父が私のことを呼んだので「何をしてほしい?」と聞いたら「苦しい、痛い、もうおしまい」と祖父が言いました。私はそれを聞いて祖父に隠れて泣きました。私が少しでも長く祖父の傍にいたいという気持ちは祖父にとって苦痛でしかないのだろうかと思い、とても辛かったです。 祖父の最期は家族全員で見守りました。呼吸が浅くなり、そして止まり、心臓が少しずつペースを落としていきました。 死ぬ間際まで耳は聴こえると聞いていたので、ひたすら「じじ、じじ、大好きだよ」と祖父の頭を撫でながら耳元で伝えました。 祖父はどんな気持ちで旅立ったのでしょうか? すごく苦しくて痛くて辛かったんでしょうか? 私の最後の言葉は届いていたのでしょうか? 祖父母の家から徒歩数分のところに住んでいるのに、入院する前になんでもっと会いに行かなかったんだろうととても後悔しています。 医師に言われて、私なりに覚悟をしていたのですが、今も祖父の死を受け入れられません。 入院中脚をさすってあげたり、お口の中を拭ったりしかしてあげられませんでした。もっと沢山お話をすれば良かった。ひ孫を見せたかった。 辛くて悲しくてどうしようもありません。立ち直れません。会いたいです。

有り難し有り難し 12
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友人の死を乗り越える

以前、親友の死について質問をさせて頂きました。そこにあった彼女の死から学び自分らしく生きていくことが大切だというご解答がとても心に響き、前向きに生きてきたつもりです。 しかし、今になってまた彼女を失った悲しみが押し寄せてきて辛いです。 もう3年も経つのに、一時は気持ちが落ち着いていたのにおかしいでしょうか。 彼女の携帯は動いていないのですが、SNSのアカウントが残っているので最近は連日そこにメッセージを送っては涙しています。もちろん既読になることはないのですが、近況を報告したりすると少し気持ちが落ち着くと同時にもういないんだということを再認識して辛いです。 こんなことはやめたほうがいいのは分かっているのですが、どこかまだ受け入れられていないのかもしれません。 さらに、最近また子供を授かることができました。そのことを親友に報告したかったという気持ちが大きいような気がします。 赤ちゃんが部屋の中を見回してニコニコしているのを見るともしかして会いにきてるんじゃないかと思い嬉しいと同時に悲しくなってしまい、涙が出てしまいます。 夜中にお墓参りに行けば会えるんじゃないかなど馬鹿なことを考えて主人を困らせることもありました。子育ては楽しいし、普段の生活は明るく過ごせていると思います。ふとした時に気持ちが落ち込んでしまうのです。 何度も繰り返すこと辛い気持ちは乗り越えることができるのでしょうか。

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叔母の死が心に引っかかっています

今年の三月に、お一人様だった叔母がガンで亡くなりました。 彼女は海外生活が長かった為、自己主張が激しく、他人への接し方も物凄く厳しかった上に人の悪口ばかりを言う人だったので、周囲の人達から避けられていました。また、実姉である私の母とも会えば直ぐケンカになってしまう事が多かった為、彼女一人では出来ない身辺の世話は、長年私の役割になっていました。 (私が思春期に入る頃に別の病気で帰国してきた時は勉強面でこちらがお世話になることが多かったのですが、こっちもこっちで反抗期だったのでやはり喧嘩の繰り返し…。落ち着いて接し合う事が出来るようになったのは、私が大学生になって彼女への接し方を学んできた頃からだったと思います。 クリスマスにはお手製のディナーを振る舞ってくれたり、紫陽花の季節には一緒に遠出をしたりと、いい思い出もだんだん作れるようになっていました。) ですが、8年前にガンが発覚して (たまたま私が家を訪ねた時に物凄く体調を崩している姿を発見し、「このまま死にたい」という彼女を泊まり込みで1ヶ月掛けて説得して病院につれていきました) 以降、入院中はほぼ毎日病院に通い、退院しても診察の度に病院まで送り迎えをし…。彼女がだんだんと弱っていくさまを一番近くで見ていました。昨年春に余命宣告された時には涙が溢れて止まりませんでした。 病状が悪化してからも、彼女は先述の通り我が強かったので、在宅介護の方に説得されても頑なに意思を曲げず最期まで自宅にいる事を選びました。最期の日、意識のあるうちに「私の叔母さんでいてくれてありがとう。大好きよ」とお別れをしました。 そして、息を引き取ったあとは、彼女から生前言われていたとおりの手はずを整えて葬儀も終えました。 …なので、何もかもを完璧に終えたはずなんです。終えたはずなんですが、私だけがまだ、叔母の死を受け入れきれてない気がするんです。 叔母が好きそうな猫のグッズを見つけたり、よく一緒に行った場所へ行ったり、出かけるために車の運転席に座ったり…。そんな一瞬にさえも、叔母の存在を思い出してしまって、なんとも言えない気持ちになってしまうのです。 他の人はもう、彼女の死を受け入れて前へ進んでいるのに、このままでは私だけが取り残されてしまったままになってしまう様な気がして、不安でなりません。どうしたら、私も前向きになれるのでしょうか…

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父の死

回答頂けたらありがたいです。 先日、離れて暮らす74歳の父が4ヶ月間の闘病の末亡くなりました。白血病でした。 入院後すぐに医師から余命数週間から数ヶ月と家族だけに宣告され父に悟られないように平常心で接してきました。 父は「来年は~」と未来の話をしたりして私達家族は「そうだね!早く治さないとね」と苦しくて胸が張り裂けそうになりながら嘘をついて父を励ましていました。 変に優しくしたら悟られると思い4ヵ月の間お見舞いには行くものの、いつも通りの素っ気ない態度を取ったり、車で片道1時間半の病院だったのもあり毎日はお見舞いに行けず、でも毎日行っておけば良かったとか、もっとありがとうの言葉を伝えれば良かった、お父さん大好きだよって伝えれば良かった…と後から後悔が押し寄せてきて泣いてばかりいます。 息を引き取る前に「お父さんの娘で良かったよ、ありがとう」と伝える事は出来たのですが意思疎通も出来ない中で言っても…もっと会話が出来るときに何故言わなかったんだろうとグルグル考えては泣いての繰り返しです。 父が亡くなってからテレビを見て笑うのも、美味しいご飯を食べるのも普通の生活をしている事自体、申し訳ないような罪悪感があり辛いです。 父は私の気持ちを分かってくれているでしょうか? 生きてる時と変わらず見守ってくれているでしょうか? 本当に辛いです。

有り難し有り難し 33
回答数回答 1

祖母の死が自分のせいではないか。

今月祖母が亡くなりました。脳梗塞からの誤嚥性肺炎で、死因は急性呼吸狭窄症候群というものでした。 ここ一年は、胃ろう生活で口から食べることを一切許されない状態でした。 その状態を、不憫に思った私は、施設に往診に来てくれている主治医に、何とか口から食べさせたい旨を伝えて、なんとか、検査入院させてもらえました。結果は、やはり、難しいとのことでした。丁度、胃ろうの交換の時期に当たっていて、いつもはA病院でして貰っていた物を、今回は検査入院できる、B病院で、胃ろうの交換をすることになりました。 入院中は、意識もはっきりしていて、ハナセハしない物の、手は動かせたりしてました。しかし、胃ろうの交換の時、胃の内容物が、逆流してしまい、肺に入ってしまったと主治医からの説明がありました。極めて危ない状態であると言われました。交換から帰ってきた祖母は、とても、苦しそうな呼吸にかわっていて、私は大変なことをおばあちゃんにしてしまったと思いました。主治医は、簡単な処置だから付き添いも要らないですよ、と言われてたので、とても、納得出来ませんでした。そこから、六時間後には、もう、祖母の意識は薄れているようで、マスクタイプの人口呼吸器などを付けて貰いましたが、翌早朝、いきをひきとりました。 私が、口から食べさせたいなんて、思わなければ、相談しなければ、こんな結果にならなかったんじゃないか。おばあちゃんは、息が出来なくて、苦しみながら亡くなったんだと、母や、母のお姉さんに、申し訳ない、いろんなきもちがわっと来て、胸が苦しいです。 ネットとかで調べても、そもそも、胃ろうしてる時点で、延命治療なんだから、とか、胃ろう交換に、耐える体力がなくて、病気や老いの方が、何枚も上手なだけだったとか、でてくるのですが、いつもの、A病院で、いつも通り交換を、していたら、まだ、おばあちゃんは、生きてて、あんな苦しい死に方しなかったんじゃないかと、自分を責めてばかりです。 おばあちゃんは、今どう思っているのでしょうか。

有り難し有り難し 12
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