真言を唱える速さ
真言は早く唱えるのでしょうか?
逆にゆっくりと唱えるものでしょうか?
不動明王に毎日千反の不動真言を唱えています。
正確に唱えようとするととんでもない時間がかかり、50分くらいを目指すと所々音が抜けてしまいます。
お坊さんは聞き取れないくらいものすごい早さで唱えていますが、ゆっくり、早く、どちらが良いというのはあるのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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真言は正確にマイペースで
真言を唱えるのは何のためでしょうか?
修行の時には一日に数回は1080回の真言を数珠でカウントしながらお唱えしますが、早く済ませたい気分の時や、ゆっくりマイペースで丁寧にお唱えできる時もあります。自分の修行のために真言を唱えるのですから、早く雑に済ませたりすると、後で自己嫌悪したりもしますね。修行の度に真言を1080回数珠で数えながら唱えることを散念誦といいますが、1080回お唱えして千回唱えたとするのは、つい雑にお唱えするかもしれないので、80回は多めにお唱えするのだとも言われます。遍路の時には三回お唱えする人が多く、少し丁寧な人は七回、もっと丁寧な人は二十一回、目的を持って修行する行者は千回お唱えする、と考えたらいいのかな?
私は真言宗ですから護摩行や勤行の時は真言を必ずお唱えしますが、丁寧にゆっくりと心掛けています。
しかし護摩の時に修行のように二時間以上時間をかけてお参りくださった信者さんを座ったままお付き合いいただけませんから、見合ったように真言の回数も調整して護摩を焚いています。
私は散念誦している時が最も深く三昧境に入ることが出来ます。ゆっく散念誦を味わって下さい。高野山で四度加行中に詠んだ短歌です。
散念誦こころ急げば疲れたり
味わいながら楽々と誦む
散念誦しずかに繰れば黄金の
かすみ広がる不可思議の空
質問者からのお礼
お教えいただきありがとうございます。
早口で唱えないといけないという勝手な思い込みで、それが目的化していました。
「念誦を味わう」とは目から鱗のお言葉です。
いくら時間がかかろうが、ゆっくり噛み締めて唱えてみようと思います。
ありがとうございます。