hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

異性と付き合うことへの疑問

回答数回答 5
有り難し有り難し 11

異性と付き合うことについて考えてしまいます。

現代は恋愛ののち、結婚という流れが一般的になっておりますが、
異性と付き合う決断は好きと感じた人と付き合うことが正しいのでしょうか?

ある人を好きだと判断したという事は、他のある人を好きでは無いと判断したことの裏返しであり、
そこに差別が生じていると感じてしまい苦しく感じるのです。

基本的に人は誰でも素晴らしい個性を持っていると思っており、
付き合うために自分の視点で相手を判断してしまって良いのかどうかわからなくなります。
反対に、嫌いと思う人もいません。

また、付き合っている人を大事にするという事は、
付き合っていない人に対して贔屓をしている事に感じてしまい違和感を感じます。
綺麗事かも知れませんが、誰に対しても他人を大事にしたい気持ちがあります。
皆が幸せであれば良いと思っています。

最近、一生独身であれば平等ではないかという結論に至ったのですが、
それは本当に正しい答えなのかと疑う心もまだ持っています。
ただ、付き合っていたり、結婚している人を見ると幸せそうだなとは感じます。

過去に異性から告白されたこともあったのですが、
上記のような事を考えてしまい全て断ってきました。

何か考えをお聞かせ頂ければと思います。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 5件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

恋愛

貴方が本当に好きになれる人が現われると変わると思いますよ(^<^)。
今は、そのように理性的にものを観ているご様子ですから、恋の感情よりも理の方が勝るのでしょう。机上の恋愛論は、リアルの恋愛の始まりではありません。
別に誰か一人を好きになる事は、差別でもエコ贔屓でもないです。
友情こそは、最も永続する心情です。
ただし根底にある本質が単に「人の心を求める欲」「人から注目されていたい気持ち」「人から良く思われたい欲」であるというならば、それは沢山の人に愛想を振り撒く八方美人とさして変わらぬものでござろう。
「小欲の人は、へつらい枉げて人の心を求むることがないゆえに、安楽である。」(遺教)
人からいい存在であろうとよそおう事自体、すでに他者におもねている自分可愛がりな姿かもしれません。
ご自身の今の命の暖かさを感じてください。
恋愛論よりも、生命論。
生命論より、なまの生命の中に、答えがあるはずです。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

その考えは仏様しか持てません

仏様は全てのいのちを等しく見ることができます。
その等しくは、親が子を思う気持ちであり、更に「一人っこ」を見るような境地だと説かれます。
その境地を「一子地」と言います。

しかし、私たちはそうではありません。
他人の子と我が子は全く違います。
悲しい事ですが、人間の知恵の限界なのです。

だからと言って悲観することはありません。
「好きな人」「嫌いな人」と縦分けするのが私ですが、そんな私を見捨てられない仏様がおられます。
仏様のお慈悲を聞いて、自らを許してあげましょう。
許されて聞くのが仏法です。

{{count}}
有り難し
おきもち

始めまして、釈心誓と申します。 浄土真宗本願寺派の僧侶です。 若輩浅学の身でありますが、多くの方のお支えの中で日々精進しております。 仏教には、「私が知らないことを仏様から聞かせて頂く」という大切な側面があります。 聞かせて頂くのは、仏様の智慧であります。 今まで仏様のご縁が遠いと感じておられた方が、少しでも仏法に触れるご縁になれば幸いです。

付き合う付き合わないはそれぞれ

おそらくご質問の内容に正解は無いとおもいます。

人を好きになる。お付き合いする。子供ができる・・・

貴方の今ある命は、貴方のお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃん・・ いのちのリレーがあって今の貴方がある。

いのちのリレー、お付き合いする事に正解・不正解はないと思います。仏教では運命論は解きません。全て「縁起」、人とのご縁によって変わります。

多くのことを実践し、成功したり、失敗したりして、沢山の経験を積貴方の答えを導き出して下さい。

すいません。 先の投稿は操作ミスです。ご了承下さい。

{{count}}
有り難し
おきもち

大本山總持寺安居ののち、松岩寺副住職となる。テレビ朝日系お坊さんバラエティー番組ぶっちゃけ寺出演経験。著書:最高のお葬式・最高のご供養(ベストブック社)地元紙・業界誌に執筆・投稿・取材等。ファイナンシャルプランナー・終活カウンセラー上級・お墓ディレクター2級などを保有。「どんな供養の悩みも解決出来る僧侶」を目指し気仙沼を中心に活動中 松岩寺公式ページ https://bk3027o.wixsite.com/kesennuma

世の中、白黒の二択ではないですよ

お付き合いする、しないは、自分で考えて決める事ではなく、相手がいて初めて成立するのではないでしょうか。
自分も、相手もお互いに魅力をかんじ、お付き合いする。というだけです。

そこに差別はないでしょう。誰に対しても慈悲の心で接していればいいのです。

世の中を好きと嫌いの二択で考えるからそうなるのです。10人いれば、10人それぞれの人に対する思いに多少の違いはあるでしょう。好き嫌いというわけではなく、一人一人性格や個性があり、例えば、この人は柔らかい感じだなあとか、この人は芯があるなあとか、これは世間一般でいう差別ではないでしょう。みんな素敵なひとでしょう。少しずつ受け取る側に感じ方の差があるというだけです。

そして結婚に至るのも、相手がいてその相手とのご縁によるもので、本能的にひかれるかどうかでしょう。
頭で損得考え、選ぼうとすることこそ、何か違和感を感じます。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

付き合う付き合わない

{{count}}
有り難し
おきもち

大本山總持寺安居ののち、松岩寺副住職となる。テレビ朝日系お坊さんバラエティー番組ぶっちゃけ寺出演経験。著書:最高のお葬式・最高のご供養(ベストブック社)地元紙・業界誌に執筆・投稿・取材等。ファイナンシャルプランナー・終活カウンセラー上級・お墓ディレクター2級などを保有。「どんな供養の悩みも解決出来る僧侶」を目指し気仙沼を中心に活動中 松岩寺公式ページ https://bk3027o.wixsite.com/kesennuma

質問者からのお礼

早速ご回答いただきありがとうございます。
頂いたご意見を元にまた自身でも考えてみようと思います。

・人間の知恵の限界があること
・仏様のお慈悲を聞いて自らを許す
・慈悲の心で接する
・正解・不正解は無い
・理性ではなく本能的にひかれるかどうか
・八方美人、いい存在であろうとよそおっているのではないか

今のところ感じている解として次のようになりそうです。
人間としてこの世に生きる限りは、ご縁を尊び、本能に従い人間らしく生きる。

私自身も、この問いを考え始めない方が良かったのかもしれないと思う事があります。
重い話になりそうで友人に相談したこともありませんでした。
視野を広げていきたいと思います。
もっと自分の心の声に気を配ってみます。
ありがとうございます。

煩悩スッキリコラムまとめ