hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

枕経

回答数回答 3
有り難し有り難し 71

曹洞宗のお坊さんしか出来ないって聞いたけど本当ですか?その家の宗派が違っても枕経だけは曹洞宗のお坊さんがするって聞いたけど本当ですか?どうしてか不思議です。

静かに死んでいきたいです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

「枕経」は今から死を迎える人への安心感。

人が没する時、これより死を迎えようとしている今この時に安心して死を迎えられるように挙げるのが「枕経」で一般的には死後に直ぐ行われるものと思われていますが時期としてはまだ息がある時消えかかる命を迎える時に行うのが本来ですが一般の方には殆ど不可能ですので死後になります。宗派、地域によりまたお寺様の考えにもよるものです。曹洞宗だけという事はありません。
静かに死んで行きたいとの事ですが私は死を覚悟して毎日を迎え常に死を受け止めながら生きてます。死ぬまでは死への心構えは昔子供の頃遠足へ行く前の晩のように心弾んで行こうと思います。楽しい時も辛い時も毎日を迎えられる事に又感謝し今日を只管生きる事が私の死に方の覚悟です。

{{count}}
有り難し
おきもち

臨終説法

私は浄土真宗ですが枕経(枕勤め)は行います。

しかし、やはり現代では亡くなってから伺いますね…。そういう意味では、亡くなられた本人を読経により成仏させるなんて意図ではけしてなく、残された者たちが死といういのちの事実を受け入れるための最初の儀式となっているのだと思います。

「静かに死んでいきたい」という意図では、浄土真宗では昔は臨終説法を行ったそうです。

臨終に際し、「ばあさんが死にたくないと暴れるからお寺さん説法しに来てくれ」なんて依頼でお呼ばれすることもあったとか。

そこでは「早く良くなろうね」「よくなったら~しようね」「きっとよくなる」なんて気休めの「優しい(残酷な)ウソ」は通用しないでしょう。本人が一番わかっていることでしょう。
やはり、「死を受け入れるための教え、いのちの事実」が語られ、本人は安らかに死を受け入れていかれたのだと思います。

もちろん現代における枕経は故人から残された我々が聞かされる「臨終説法」であるとも言えますが。

{{count}}
有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
このお坊さんを応援する

地域的では?

 こんばんは。いつも楽しみに見せて戴いております。
 「枕経は曹洞宗のみ」…私が学んだ限り(浄土宗)では、我々も枕経に行くことはありますよ?ただ「始めたのは曹洞宗」ということはあり得ると思いますが…。地域的な風習ではないかと勘案しますが、詳しくは曹洞宗のお坊さんが答えて下さるかも知れません。しばしお待ちを。
 枕経の中心的な目的は「没後作僧」つまり、亡くなった後で仏門にお入りいただくという趣旨と思いますが、これは宗派により多生の違いがあるかも知れません。

>静かに死んでいきたいです
 そうですか…千一夜物語みたいで楽しみなんですがね。私もその時は静かに。そう思います。

{{count}}
有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

ありがとうございます。

昨日曹洞宗のお坊さんに実際に会って聞いたんですが「ほんとかいや」と不思議でした。色々あるんだと思いました。

お返事ありがとうございます。

「仏教宗派について」問答一覧

僕に合っている宗派は?

今のところは実家は浄土真宗、自分は浄土宗の信者を自称していますが、なかなか僕の婚活がうまくいかない事を見かねた両親が近所の占い師に相談したら、高野山で祈祷してもらえと言われたためにこのお盆休みに高野山に参拝したところ、今まであんまり興味なかった浄土門以外の仏教も良いもんだなあという気になってしまいました。 そこで深く考えると、この現世を穢土とみなして、自分の考え・善行を自力と呼んで否定する法然上人以降の浄土教の教義に染まっているために、よく指摘される周りとの感覚のズレが生じてしまっているのではないかとも思えてきたのです。もっと今生きているこの世を肯定的に捉える教えでも良いんじゃないかと。 また、もし首尾よく結婚できたとしたら今回祈祷してもらった愛染明王さまも僕の中で特別な仏様になるでしょう。そうするとますます専修念仏とは遠ざかりますね……。 ただ、慣れ親しんできた顕教を捨てて密教100%の真言宗まで振り切る勇気はないので、新たに選ぶとしたら空也・源信流の浄土教を伝手として天台宗かなと思っています。僕が一番信仰しているのは善光寺如来で、善光寺は浄土宗と天台宗の共同管理でもあることなので。 ただ、天台宗は称名念仏ではなく観想念仏だと言われますがそれをやり切る自信はないし、朝題目と言われても某新興宗教団体へのアレルギーから南無妙法蓮華経と毎日唱えることには少し抵抗を感じます。こんな気持ちで天台宗に行くべきではないでしょうか? 天台真盛宗というのもあってそこは南無阿弥陀仏の念仏メインだそうですが、ここでも南無妙法蓮華経は唱えないといけないでしょうか?(明智光秀が好きなのでその点は西教寺も良いなと思います) なんだかとりとめもなくなってしまいましたが、早い話が来世の往生だけを期待する専修念仏の枠組内には居られず、現世でもいろんな菩薩・明王・天・神道の神々に頼んで幸せに生きたいけど主尊としては今まで通り阿弥陀さまに居てほしいし、さりとて職業を持つ在家の身なのであまり観想念仏のような難しい行を求められても困る……というわがままな悩みです。

有り難し有り難し 3
回答数回答 1

一生の信仰にする宗派を決めたい

私は、夫婦ともども地方都市より都心に出てきて居を構え、菩提寺も信徒としてお世話になっているお寺もありません。 夫の実家は新興宗教信者の曽祖父から独立してできた無宗教の一家で、私の実家も引っ越しの際に墓じまいをしてお寺との関わりがないような状況です。 私の父方と母方の祖父母は浄土真宗と日蓮宗の檀家だったと思いますが、信心深い祖父母の家にいることが多かった私は、仏壇に手を合わせ読経して育ち、結婚して家に入る時には婚家の信仰するお寺のお勤めをするものだと思っていました。 ところが、夫の家が無宗教と聞いて愕然とし、結婚後、数年は我慢してきたのですが…最近になって自分の信仰の場を持ちたいと強く思うようになりました。 上記のことから、これから先、一生の信仰として信徒になり、励めるお寺を探しています。 ところが、コロナ禍になってからというもの、門が開いていてもお掃除の方しかおられないお寺も多く、法話会や写経会が中止となっているところも多々あって、僧侶のお人柄などに触れる機会が少なくなっている気がします。 このような中で自分に合った信仰の場を探すにはどうしたら良いでしょうか。 なお、宗派は浄土真宗、日蓮宗だけに絞ろうとは考えておりません。 住まいの近くには曹洞宗や日蓮宗が多いようですが、隣の区あたりまで範囲を広げて探すつもりでおります。 また、コロナ禍で外出が難しかった折にさまざまな宗派の教義や勤行等調べてみたのですが、どれもとても素晴らしく感じ、なお迷いが深くなってしまい困っています…。

有り難し有り難し 16
回答数回答 1

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ