主人の怒り癖がひどく、実母から離婚を勧められる
主人と1歳半の娘がいます。
転勤族ですが、今はわたしの実家の側に住んでいます。
わたしは実家、近くに住む妹夫婦を含め家族が大好きです。
主人もみんなで賑やかに過ごすのが好きで、しょっちゅうみんなで過ごしています。
将来はわたしの実家と同居しようと結婚前から提案してくれて、お互いにそのつもりでいます。
主人は普段は優しく、子供も可愛がり、仕事も順調なのですが、些細なことで不機嫌になり、本格的に怒り出すと2日ほど手に負えません。
有る事無い事暴言を吐いて、わたしを追い詰めようとします。
頻度は1、2ヶ月に一度です。
実家が近くにあり、昔から実母に何でも話してきた習慣で、そのような状態になると実母にも話してしまうのですが、母は完全に主人のことが嫌いになり、表面的には仲良くしているものの、わたしの結婚を悲観して、時々感情的になり離婚を勧めてきます。
主人の怒りは、ほっておくしか解決方法がありません。
自分の気に入らないことは受け入れられないので、話し合いなど出来る人ではありません。
怒りが収まればいつものように仲良く過ごせるのですが、一生このままでいいのかと思い悩みます。
母にわたしの結婚を否定され、あんなに大切に育てたのに、と後悔されるのも辛くて仕方ありません。
それでも娘のことを想うと、わたしが我慢していけばいいのかと悩みます。
今の状況に何か改善方法はあるのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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些細な、ではなくない?
今晩は。愛し合って一緒になった2人が、それでも他人なのだと思い知らされるのは、なかなか辛い事ですね。でも、お互い「こんな面があるなんて!」と思いつつ、歩み寄っていくよりない、相手が誰であれ、その基本的な方針は変わりません。
実は生物としては、価値観の真逆な人に惹かれるそうです。それは子どもを生き延びさせるため、なるべく遺伝子のバリエーションを増やすためだろうと言われています。
ですので、お互いの「当然」は相当離れたところにある、と知らねばなりません。実際のところ、私も結婚10年辺りまでは、妻の「常識」が全く分からずに、かなり衝突しました。私からすれば「あ然」という感じですが先方にとっては疑う余地なし、敢えて言うまでもないことだったので、「こう思ってたんだ」ということが分かってきた現在は、多少は無駄な衝突が減ったかな、というところです。
なので、あなたが「些細な」と評価していることで、彼からみると「許せねえ!」ということがあるはずです。
ポイントは、「どちらが正しい」という戦いにしないことです。「あなたがそう考えているのは分かったわ。でも私はこう思うの。」まででおしまい。よく「夫婦の価値観を合わせて」という論調がありますけれど、それは必要ないと思います。子どもを自分の味方にする必要もなし。「知ってるけど同意しない」距離感で良いのです。
彼の引っかかりどころが分かると、コントロール・誘導し易くなりますよ。
怒りは「押し殺している気持ち」から生まれる
くるみ様
こんにちは。拝見させていただきました。
ご主人の怒りが収まらないとのこと。怒ることも問題なのですが、それよりも文面に気になったのが暴言と追い詰めるという部分ですね。これは相当心に不安がある状態なのではないかと思いました。こういう場合、「そこさえ治してくれたら良い人なのに」という考え方をする人もいますが私は逆で強烈な怒りで感情を爆発させているからこそ優しくできるのだと思います。ご主人の家族との関係はどうでしょうか。厳しい価値観を押しつけられて育っていないでしょうか。ご主人もみんなの過ごすのが好きと書かれていますが、失礼な言い方ですが本当にそうなんでしょうか。本当は我慢している所があるのではないですか。ともかく感情を押し殺して生きているのがご主人だと思います。認めて欲しいなのか愛されたかったなのか。ともかく不安の中で生きているのがご主人ですから、冷静な時に聞いてあげるのが良いかもしれませんね。アドバイスはなしでただただ聞くことです。
もうひとつはお母様との関係ですね。良好だとは思うのですが「あんなに大切に育てたのに」という押しつけがましさが気になります。失礼な事言ってますすみません。母親との関係がどうであったのかを見つめ直す事も大切だと思います。自信がないという事は信じてもらえなかったとか、親の価値観に左右されて生きてきたとか、親の期待に添うように生きてきたなど、くるみさん自身も押さえている気持ちがあるのではないかなと思います。
そういった押さえた気持ちの蓄積が子供にも伝わります。それが連鎖していきますので、ご主人だけではなくこれをきっかけとして家族全体を見つめ直す機会なのかなと思いました。今が駄目だと言っているわけではなくよりよく過ごすためにということです。
応援しております。
合掌