なぜ自分だけ辛い思いをするのか
よろしくお願いいたします。
私の夫は現在職場の部下と不倫をしています。
二人がデートをしている所を写真で見ましたが、それはとても楽しそうでした。
夫は私とは離婚する気はなさそうですが、、
不倫相手の女性は、夫から愛され、大事にされ、優越感で満たされ、不倫が終わったとしても、のうのうとそれもいい思いでとして生きられるけど、
私は信じていた人に最大限の裏切りをされ、傷付けられ、不倫が終わったとしても、その事が忘れられず、辛い思いをし続ける事になります。
因果応報なんてあるのか?とさえおもってしまいます。
なぜ自分だけこのような思いをしなければいけないのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分で自分を貶めてはいけません
信頼していた人に裏切られることは、自分の体が割かれるように辛いです。
しかし、その辛さに過剰に意味づけして、自分で自分を貶めてはいけません。
「自分だけが」という思いは、自分自身を貶めて周囲から孤立させる危険な落とし穴です。
「自分だけが」と思い詰めると、心配して力になってくれようとする周囲の人の言動まで、「あなたに何が分かるのか」という怒りの気持ちが先走って、素直に聞けなくなってしまいます。
「自分だけが」と思い詰めると、この先、状況に変化があっても、それを良い方向に結び付けて行く知恵が働きません。
一呼吸おいて、「自分だけが」という思いをあえて外して観察すると、どうすれば良いか冷静に観察できるようになるのではないでしょうか。
不倫した事あるのですか?
のっけから失礼な物言いですみません。「実はあるんでしょ?」とかゲスな意味ではありません。「ないですよね?」で書いていますよ。
「相手は、夫に…それもいい思い出として」の部分は、あなたの妄想ではありませんか?
イヤ世間には、たくさんそういう話がありますものね。このhasunohaでも検索窓で「不倫」と入れてみて下さいよ。先日の分析で、堂々第一位だったそうですよ。
それはともかく、まず申し上げたいのは「貴女は相当動揺していますから、まずは落ち着きましょう」ということです。次に「不倫」という事象について、様々な視点から見てみて下さい。本当にありとあらゆるパターンの、どの立場の人からも相談が寄せられていますから。
そうすると、まずは「私だけ」ではないことに気づくでしょう。同時に「多くの人達が”わたしだけ!”と憤っている」ことに。
あなた方ご夫婦の事情は分かりませんが、「私だけ」というセリフには、「自分にはやましいことは全くない」という前提があるように感じます。それは如何でしょうか?
すべて物事は因と縁(原因と条件・環境)によって起こると定義しているのが仏教です。そして、物事は「1つの因と1つの縁」でできているように見えて、ずっと繋がっています。縁が因となり、因は縁となり…を繰り返すと。
ですので、今回に至った因と縁を、丹念に見直していっては如何でしょうか。
結婚を続けていくにせよ、ピリオドをうつにせよ、「経緯を理解している」側が物事を有利に進めていけるのは、当然ですから。