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記憶を消したい

回答数回答 4
有り難し有り難し 45

何十年も前に受けた性暴力の記憶が今もよみがえって苦しいです。
私の身体は不浄だという思いにとらわれます。
もう人生も半分以上過ぎているはず。このままこの記憶に苦しめられるのは辛いです。
記憶を消したい。

2015年6月12日 18:44

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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

体は、蓮の花のように、いつでも生まれ変わって咲いている。

記憶から自由になれる禅の修行がありますのでご安心ください。
以下の事を参考に、記憶から自由になりましょう。
まず記憶というものは、忘れている時は記憶といってもまるで心身には機能していないものなのです。
どんな記憶も、今の現実を生きている中で、思い出してさえいなければ、影すらないし、どこにもない。影響すらないことをまず知っておきましょう。
記憶を3つに分けます。
①自然にふわっと出てきてしまう記憶(フラッシュバック)
②その記憶が自動再生され継続してしまう状態(記憶のリプレイ)
➂その記憶を嫌がったり、悪く考えたりしてしまう(記憶へのジャッジ)
人が記憶に苦しめられるのは②③の時です。
つまり①の時は、苦しみは生じていないのです。これは本当です。よーく見抜いてください。
坐禅や瞑想をするとこれが理論ではなく、本当にそうだと実感できるようになります。
今後①が生じた時こそ、あなたの人生が生まれ変わる瞬間です。
①の時、嫌がらずに冷静に、目と耳を使って、3つの物事、対象物に意識を注ぐだけでいいのです。
目の前の事実に意識を注いで、記憶②③の世界や想念=シンキング・マインドに旅立たないようにするためです。
例 台所なら1冷蔵庫 2ゴミ箱 3キッチンペーパー … と、事実に眼を向けるのです。
それだけで①は消滅します。
ここで、あなたは記憶に勝利します。
自分が不浄であると思っている姿も実はあなたの②③のなせる業です。
①が無くなるということは、②③もなくなるのです。
貴女は何も汚れていません。
手だって洗えば綺麗になります。髪の毛だっていとつでも生え変わってます。皮膚も体の組織も科学的にもいつでも刻々と古い細胞は死滅しています。20年前のあなたもとっくに消滅していて、あなたはもうすでに今の新しい貴女なのです。
今も新しくいつでも瞬間的に体の全てが細胞レベルで生まれ変わっているということが、確かな真実です。
思いを通して物事をみることは、事実を枉げてみることです。
記憶は、消す必要はありません。
出てきた時にだけ、①を相手にしなければ貴女は救われるのです。
数回、実践してみて、自分が記憶から自由になった事に確信を持ってほしいです。
今、あなたは生まれ変わりました。もう、どこも汚れてなんかいません。
今から、いつでも新しい今を、もう、新しく生きる生き方を選択しましょう!

2015年6月13日 12:37
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有り難し
おきもち

丹下覚元(たんげかくげん)
お悩み相談 ❝あなたの悩みという荷物をおろしてみませんか?❞ 「お寺で...

今のあなたが大切です。

鬼子母神という神様を知っていますか?
鬼子母神が仏教の神様になるまでのエピソードとしてこんな話があります。

鬼子母神には500人とも1000人ともいわれる子供がいて、その子らに乳を飲ませるために人間の子供をさらって食べていました。
困った人々がお釈迦様に相談に行くと、お釈迦様は鬼子母神が一番可愛がっていた末っ子を神通力で隠してしまいました。
可愛がっていた末っ子がいなくなって慌てた鬼子母神は、ありとあらゆるところを探しましたがどうしても見つかりません。
困った鬼子母神は半狂乱になりながらお釈迦様のところに行きました。
「我が子がいなくなって困っています。」
それを聞いたお釈迦様は、
「1000人もの子供がいながらその中のたった一人がいなくなっただけでそれほど悲しむのなら、1人しか子供のいない親の悲しみはどれほどか。」
と鬼子母神をいさめました。
それを聞いた鬼子母神はこれまでの自分を悔い改めて仏法に帰依し
「これからはすべての子供を護ります。」
と誓い、今では仏法の守護神として名を連ねています。

さて、鬼子母神は今でも悪鬼でしょうか?

確かにしたことは悪いことかもしれません。
一度したことは取り返しがつかないのかもしれません。
罪は罪として認めなければいけないことは確かです。

ですが、子供を食べていた時の鬼子母神と、改心してすべての子供を護ると誓った鬼子母神は同じ人各なのでしょうか?

いいえ。
同じ姿形をしていても、心が変われば「全くの別人」です。

たとえ、生まれてこのかた貞操を守り続けている人がいたとしても、その人の心が不浄ならば、その身体も不浄なものになってしまいます。

その逆もまたしかり、心が清らかであれば身体もまた清らかです。

あなたの過去は存じませんが、あなたが性的暴力を受けた側ならば尚のこと、あなたには何の落ち度もありません。

あなたが不安を感じながら誰かに接すると、その相手にも不安が伝染してしまいますよ。

あなたに愛する人がいるならば、純粋に思いを向けてあげて下さい。

あなたは決して不浄ではありませんよ。

2015年6月13日 21:15
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有り難し
おきもち

日蓮宗。倉敷市受法寺住職・岡山市妙立寺兼務住職 1965年生。坊主歴35...

「不垢不浄」

真魚月様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

まず、仏教においては、心身ともに、「浄であり、不浄であり、浄であって不浄でもある、浄でもなく不浄でもない」というものであると説くこととなります。また、例えば、般若心経では、「不垢不浄」とも説かれています。

ただ、このことだけでは、仏教はなんといい加減な教えかと、不定主義に捉えられかねない恐れが出て参ります。そのため、仏教をしっかりと学ぶことで、その誤解も払拭させていかなければならないこととなります。

とにかく、少し先どって簡単に結論を述べさせて頂くならば、それらは、「浄」、「不浄」とも、実体としてあるものではないということを示すための方便としての教説となってございます。

真魚月様の身体も心も、もちろん、実体として存在しているものではありません。かと言って、何も無いわけではありません。現に真魚月様のお身体、お心は今まだまさにございます。ございますが、そのありようは「縁」によるものとして成り立っております。もう少し詳しく申しますと、モノ・コトは、全て因縁(原因と条件)により成り立っている「縁起」なるものということになります。

「縁」によるものである以上は、善き縁、あるいは善き因によることにより、善き赴きへと向かわせることもできるものである次第でございます。

残念ながら性暴力という悪い因縁により、今現在も真魚月様はそのトラウマに苦しまれている結果になられてしまわれておりますが、しかし、それも実体として、永久永遠に変わらない何かとして成り立っているものではありません。

つまり、逆に善き因縁をしっかりと調えていければ、その結果はこれからいくらでも変えてやることだってできるということでございます。

その最善の因縁とは何になるのかと申しますと、やはり、仏教的にはもちろん、仏教を学び修していくこととなる次第ですが、とにかく様々な苦しみにも必ずその因縁があるため、その因縁を見極めて、しっかりとより善くこれからの因縁を変えてやることができていければ、しかるべくに苦しみも無くすことができるということになる次第でございます。

どうか、その苦しみを乗り越えていくための智慧を仏教から少しずつでも学び修して頂けましたら幸いに存じております。

川口英俊 合掌

2015年7月7日 7:52
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有り難し
おきもち

川口 英俊
「僧侶は、悩む人に正しいくすりを調剤できる薬剤師であれ」 http:...

身体は不浄です。

仏教では、身体は不浄であると気付くことが修行の一つです。
ですから、身体が不浄だと思えるのは、仏教的には才能の一つと言えます。
残念ながら、記憶を消すのは難しいでしょう。
もはや、その記憶もあなたの身体の一部なのですから。
あきらめてください。「明らめる」ことは不幸ではありません。明るくなるコツです。

2015年6月12日 19:32
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有り難し
おきもち

浄土宗教師。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための...

質問者からのお礼

願誉浄史さま。
早々にありがとうございました。
記憶にとらわれ、この先も生きていくのかと絶望的な気持ちになっておりました。
それでもいいと認めることが自分を認めることだとしたら、私は生涯自分を認めることはできないのではないかと。
そもそも身体は不浄だと、あきらめてしまえたら、それはそれですごく気持ちが楽になるように思います。

丹下覚元さま。
ご回答ありがとうございます。
①と②と③はほぼ同時に来て、同じものだと思っていました。
不意にくるフラッシュバックと、憎しみと、絶望感。です。
①では苦しくない。とのこと、やってみたいと思います。
続けることで何か変わっていけたらそれでいいかと。
この身体をもってなんとか生き続けることができたとしたら、それで充分と思えます。

小原観慈さま。
ご回答ありがとうございます。
鬼子母神の話、存じておりました。心の持ちようとゆうことでしょうか。
この記憶が苦しいのは、加害者への嫌悪と恨みと消えない感触への絶望感があるからです。
どこに救いを求めても、この心の持ちようは変わることはありませんでした。
これからも変えられる確信は持てません。
ですが、どこの誰かもわからない私の吐き出しに、不浄ではないと言い切ってくださったことが、とてもありがたいことでした。
人と深く接することは恐怖でしかありません。そう見られないようにしていますが。いつか恐怖心なく人と関わることができるといいと思います。

「嫌なことばかり思い出す」問答一覧

昔を思い出してしまい不快な気分をどうしたらいいですか?

自分は車椅子です。当時、家業に席を置いてもらって、実家が仕事場で家と通院の往復、家と習いごとの往復しかほぼしない生活でした。 バスは、前もって連絡をしなくてはダメなど拒否に近いことをバス会社から言われたため、目の前にバス停があるのに利用できませんでした。 故に、外出には親の送り迎えが必須。 習いごとにいっても、こんなことがあり思い出して嫌な気分になるので、何か方法をとかきます。 某楽器店で、学生から社会人になるまでフルートを習っていました。しかし、社会人になったある日、声楽科ができ元々歌を習いたいと思っていたので、未だ親に管理されている私名義の通帳から 払ってならっていました。 待ち時間、どこの誰かも分からない老人に声を掛けられたので、話し始めたのですが、その老人が私に言いました。 贅沢だな。有り難く思わないといけないよ と。 私は黙ってしまいました。 ショックで。なので、フルートをやめてしまいました。 老人に、こういうものいいをされることは、過去にも違う場面であります。 でも、学生のときに習っていたピアノなどは、習わされていた感は正直ありましたが、フルートも声楽も楽しかったし、親の背中を間近でみて育ったからかはわかりませんが、裕福なことは有り難く思って生きてきました。 そもそも、私名義の通帳から出されて習い、たまたま出くわした老人に、そんなこと言われるのは何故なのか、理解できません。 筋合い無いと思うのです。 老人の言葉も、未成年の言葉も、成人の言葉も。言葉のナイフばかり刻まれており、生き苦しくてしかたありません。 どう、こころを鋼にすれば良いですか? 過去を忘れるには、どうしたらいいですか?

有り難し有り難し 18
回答数回答 1

思い出しムカつきを抑えるには

重ね重ね失礼します。 今回相談したいのは過ぎた嫌なことを思い出してはムカつく心理のことです。 私の推しはTwitter上で活動をしていて、私もたまに推しの名前で検索をかけていました。 ある時推しの名前で検索をかけていたら、 「この人(推し)何言ってるのかわかんないけどこのツイートはムカつく」 「あんたに指図されることじゃないよね」 と言った内容のツイートを見てしまいました。 ツイートの内容は、「差し入れにばかりお金を使っていないで、自分の外見を磨いたり、教養を付けたり、健康的なものを食べなさい」とファンに向けたものでしたが、元々口調が強く、ファン以外には少しわかりづらい文面でした。(このツイートムカつくと書いた方はおそらくファンではないと思います) 私は入試対策や卒業制作がうまくいかずにイライラしており、推しも質問コーナーが荒れに荒れていたことに苦言を呈していた直後だったのでさらに気が滅入っていたし、その状態で該当ツイートを見てさらにイライラしていましたが、「まぁ万人が好くような人ではないし、ツイートの内容もファンしかわからないような内容だからな、誤解を与えてしまうのも仕方ない」と思うようにしていました。 しかし、時間が経ったのにたまに思い出してはイライラし始め、怒りで何も手につかなくなりました。 もちろん「何でこんな小さな事で怒る必要があるんだ、今までは赤の他人のちょっとした一言として流せたじゃないか」とは思っていますし、思い出しムカつきほど無駄なことはないと思ってもいます。 でも、思い出したくないのに勝手に出てきてはイライラしてしまうのです。 このことで私は「このまま別のイライラが入ってきたらどんどん嫌な人間になっていく」と思い、Twitterをやめました。でも、思い出しムカつきは治りません。 もう誰も悪くないのに一人で勝手にイライラしている状態から早く脱却したいです。

有り難し有り難し 8
回答数回答 1

この歳になっても思い出して悩んでしまいます

初めまして。このような相談をどこでして良いのか分からずこちらに来ました。よろしくお願いします。 もう40も過ぎ世間一般ではいい大人なのですが、幼少時に受けた傷にまだ悩まされています。傷というか大きな衝撃といった方がいいかもしれません。それがいくつもあります。原因は母(私が3歳ぐらいの時に離婚しています)言動や行動です。 その衝撃は全て私の存在理由を揺るがすものでした。その時の母には必要だったかもしれませんが、それが原因で幼少期から高校生ぐらいまで本当に毎日死にたいと思うほどでした。自分はこの世に意味がないと本気で思っていました。なので今だから分かるのですが、自分が原因で友人間に不仲を起こしたり、雰囲気を悪くしていたと思います。いじめも多少受けました。 それでも高校卒業後は視野が多少なりとも広くなりそういう気持ちもだいぶ収まったのですが、定期的に気持ちが不安定になり全てを否定したくなったりしましたが安定と不安定を繰り返しながら、なんとか結婚もしここまで来ました。 大人になれば歳を取ればこの感情に折り合いをつけつつ生きていけると思っていたのですが、最近そういう方向ではなくこの気持ちをぶちまけたい!!と強く思うようになってしまいました。何というか心の中が黒くドロドロした感じがするのです。気づくと幼少時に言われた母の言動がフラッシュバックしたりそれに号泣する小さな自分を思い出し涙が溢れたり。そしてまた死にたくなったり…を繰り返しています。 特に全ての原因の母、そして6歳離れた兄に敵意に似た感情が向いてしまいます。 兄は理由あって祖母に育てられたため一緒に住んだことがほぼなくお互いに兄妹という意識は非常に薄いです。なので兄は私がどういう風に育ったのか知りません。そういうところに腹立たしい感情があるような気がします。 あまり人に言えるようなことではなく、このことに関しては誰にも相談したことはなかったのですが限界が近そうです。全部言ってしまえたら楽だろうけど、多分聞いた母は謝るだろうけど謝罪して欲しい訳でもなく…もうどうしていいか分からなくなりました。このような気持ちをどうしたらいいのでしょうか?

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

心の中に残っている黒い塊を解消したい

いつも仏教のこと教えてくださってありがとうございます。 いつもは質問なのですが、今日は実は相談なんです。ずっと心の中にしまっておいたことがどうしても解消できなくて、ここでご相談させていただきたいと思いました。楽しい話題でなくて、長文ですみません。 私は前の職場で日本人の上司とその取り巻きの日本人集団のいじめに遭っていたのですが、普段のいじめはともかく、いまだにどうしても許せないことがあって心の中で黒い塊になっています。法律的には裁けないようなので彼らのことは野放しにするしかないのですが、彼らをどうこうしようというわけではなく(本当はしてやりたいけど)、自分の心の中の黒い塊を何とかしたいと思います。 それは、去年亡くなった父の死に目に会せてもらえなかったことです。 父は難病で近いうちに危篤状態になりそうだったので、私は以前から上司に近々忌引きでお休みすることになるということをお話して、急にお休みする場合はどうすればいいかなどきいていました。 その時は上司の携帯に電話すれば調整すると言われていたのですが、いざ父が危篤状態になって電話したらいつも通り次の日出勤するように言われました。そして私はその日は実家へ帰らないで次の日出勤してその足で帰ろうとしたのですが、次の日母から「お父さん、亡くなったよ.....だって息していないもの」と電話がありました。 普段からいつでも私をクビにできると言われていたので、今思えば職場も全部捨てていいから無理やり休んでしまえばよかったのだけれど、当時はできませんでした。 後でわかったことですが、その日なぜ私が出勤しなければいけなかったかというと単にその上司が朝遅く出勤したかったからというだけで私を休ませることは本当は問題なかったそうです。 事情があって私は将来日本を離れるので、幸せを大切に考えて嫌な人や思い出とサヨナラするのが一番だと思うけれど、父が亡くなった時彼らがいじめの首領の定年退職祝いの準備をしてげらげら笑っていたり、私の顔を見てお悔やみの逆でにやにやしていたのが許せなくて、恨みと怒りがどうしても消えません。 最後に、私がハスノハに入りたての頃お坊様方が成仏についてそれぞれ教えてくださった事、とても感謝しています。父は成仏している、生きている私達の心で成仏させる。お父さんは仏様になったんだ....と、本当に救いになりました。

有り難し有り難し 17
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思い出が僕を苦しめます

 学善様、Azuma様、昨日は僕の質問に答えてくださってありがとうございます。実は何らかのトラブルでアカウントに入れなくなってしまいまして、御礼をお送りすることができませんでした。    せっかく答えてくださったのに申し訳ございません。御回答を見て、自分の苦しみを捉えなおそうという気になり、気晴らしでもしようという気持ちも盛り上がってきました。ありがとうございます。  本題ですが、例の彼女とは長い付き合いでした。一緒に沢山の楽しい思い出を作りました。旅行をしたことも何度もありましたし、一緒に美味しいお店をたくさん開拓しました。  あの人は僕の顔を見るとすぐ笑顔になってくれました。一緒に手をつなぐだけで心が落ち着いたのを今でも思い出します。本当に楽しい日々でした。  僕のことを本当に大事にしてくれていたようにあの頃は感じていました。頭を撫でてくれる時が何よりも幸せでした。  しかし前の質問で述べたような経緯で別れることになりました。  その際、「あんたが勝手に付き合い始めたんだからこっちが勝手に他の人を好きになって別れて何が悪い」とまで言われて、とても悲しい気持ちになりました。  自分勝手な振る舞いに怒りを覚え、相手を憎む気持ちがあるのは確かです。いろんな人に相談しましたが、別れられてよかったという結論が導き出されます。確かにその通りだと思います。  もちろん自分にも落ち度はあると思いますから、お互いにとって「別れてよかった」のかもしれません。  しかし、上に述べたような楽しい思い出の数々が思い出されると、「別れられてよかった」で片づけきれないような悲しい気持ちになります。  思い出を忘れることができません。しかしそれが僕を苦しめます。いい思い出はいい思い出として残しておきたい気持ちもあるのですが、それは捨てるべきなのでしょうか。  どうかよろしくお願いします。  

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

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