お経や真言
我が家は浄土真宗なのですが、最近お笑い芸人さんが般若心経について書いた本を読んで、般若心経に興味を持ち写経とかも、余計な事を考えないように、心を落ち着かせて集中するのには良さそうだな、、と思っていたのですが、
恥ずかしながら仏教のルール(?)を全然理解しておらず、浄土真宗では般若心経は唱えないと知ったのがほんのつい最近でした。普通に曽祖母の仏壇の前で般若心経を音読していた事もあったので、しまった!!と思いました。浄土真宗では何のお経がベストでしょうか?曽祖母のために読みたいなと思うのです。
色々仏教についてネットで調べているうちに真言(マントラ)というものも知り、これについても素人が唱えるのはやめましょうとか、出来れば唱えた方がいいとかネットの情報が錯綜していて、理解するのが難しかったです。
例えば我が家で言えば、御守本尊の一覧を見ると、私と父は阿弥陀如来様で一緒なのですが、母だけ不動明王様だったり、
そうなると、我が家は浄土真宗で私と父は御守本尊が阿弥陀如来様だから、真言も阿弥陀如来様の真言のみしか言わない方がいいのかな。
とか、でもブレない強い気持ちを持ちたいので、不動明王様の真言を唱えてみたい気持ちがあるのですが、それを私がすると良くないことなのか、、など、ネットの情報だと何が正しいのか分からなく、
本当に何も分かっていない自分が恥ずかしいのですが、こちらに質問させて頂きました。
それからせっかくお経や真言を唱えるにあたり、何か作法というか、これだけは、、というルールがあれば教えて頂きたいです。
あるサイトで○○の真言を唱える時は手をこのようにしましょう。とか祈り方まで書いてあったのですが、、ただ手を合わせる形じゃいけないものなのかな?と気になったので。
もっと仏教について色々知りたいです。
このサイトで色々読ませて頂けるのが楽しいです。
宜しくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
仏縁に感謝です
こんにちは。再びご縁を頂戴致しました。
まずもって仏教に興味関心を持っていただきましたこと、大変嬉しく思います。有難うございます。
さて、もちろんここhasunohaのような手軽なインターネットサービスを利用していただくことも良いのですが、こういう時のためにこそ「お寺」がございます。
ご自宅の宗派が浄土真宗とのことですので、是非ともお世話になっているお寺さんに色々とご質問いただけましたらと思います。
その上で、になりますが、少しばかりご質問に回答させていただきます。
仏教のルールと申しましょうか、大切なことは
仏教の教義を覚えよう!
正しい作法をみにつけて恥をかかないようにしよう!
知らない知識を身に付けて賢くなろう!
有難い仏様からご利益をいただく術を身に付けよう!
私の願いを仏様のパワーで叶えてもらおう!
というのではなく、仏教に「私」を教えていただくということでございます。
どうして私は悩み苦しむのかな?
私の悩み苦しみの原因は何かな?
あれが良い、これが悪いと色んなものに振り回されてしまう私って一体どんな存在なのかな?
どうして私は満足できないのかな?
過去にとらわれ、未来を夢見て、今という地に足が付かないのはなぜかな?
と、「私」というのはどういう存在で、だからこそどういう「場」を願い生きていけばよいのか、ということを教えていただくのが仏教です。
ここまで読んでいただければお分かりになるかもしれませんが、では読経は何のためなのか?
浄土真宗では
仏説無量寿経
仏説観無量寿経
仏説阿弥陀経
を用います。
それを曽祖母のために読みたいと願う私。
「曾祖母のため」というのはどういうことか?曾祖母のために「良いこと」をして私に(家族に)良いことがあってほしいと願う「私」がいないか?そこまでは思わなくても、「悪いこと」は起きないでほしいと願う「私」はいないか?
「曾祖母のため」は誰のため?
そんなことを教えていただくために読経する(=お経の教えに「私」の在り方を聞く)のかもしれません。
故人を思う私が、故人に思われているのです。故人が私に仏縁を届けてくださっているのですね。
仏教は「真実の鏡」です。
見たくもない私の「ありのまま」の姿が「あらいざらい」映されます。
どこまでも自分の都合しか考えない「私」を仏教に習いましょう。
すべては仏さまの言葉です
ご自宅の宗旨が浄土真宗ということなので、上記吉武僧正様のお話を参照なさりながら聞いてください。
お不動様の前で真言を唱えたくなったら迷わずお唱えください。それが仏さまのお導きなのです。般若心経を唱えるのも構いません。すべては仏さまの言葉に通じます。
浄土真宗の方で、四国八十八ヶ所を周って先達になってる方もいます。ご実家の菩提寺さまに失礼にならないなら、ご自身の信仰でいろいろなさるのは構いません。同じ仏教ですから、仏さまは見守ってくださいます。
手は合掌でいいです。真言宗ではいろんな印を結びますが、もしご縁があれば教えてもらえることもあるでしょう。師僧が居て教えてもらうのはいいですが、素人が勝手に真似をして間違った印相を結ぶとかえっていいことはありません。
故人の供養は浄土真宗の菩提寺で、自身の信仰は外さない限りは自由にというぐらいの気持ちで勉強なさってください。
質問者からのお礼
曽祖母のためには、、曽祖母だけではないですが、純粋にご先祖様へお経をあげる事はご先祖様にとって良いことだというのを何かの文章で見たので、大好きな曽祖母にお経をあげてみようかな?と思ったから書いたまででした。
決して賢くなろうとか、御利益をどうにかしたいとか、そう思って質問したわけではなかったのですが、、確かに真言の部分では、ブレない気持ちになれるならと思い、お不動様のお力を借りたいという気持ちはありましたが、そもそも真言を唱えても良いものか真言とはどういうものなのかも無知だったので、素人ながら、お話しを聞いて見たいなと思って聞いたまででした。
自分を見つめる「私」を知るためというのは理解できます。
私の文章が拙いせいで色々誤解を生んでしまったのかも知れません。残念です。
柴谷様
回答有難うございました。
私がお聞きしたかった事全て分かりやすく教えて頂き感謝します。
「自分の信仰は外さない限りは自由にというくらいの気持ちで」ということで少し色々と考え過ぎだったかもしれません。こちらで聴かせて頂いたこともしっかり頭に入れつつ、いつも行かせて頂いているお寺さんでもお話しを聴いてみたいとおもいます。ありがとうございました。
色々お気遣い頂きありがとうございました。