ふつうの人に比べたら、一人で行動するのに抵抗はない方だと思うのですが、
それでも時々、虚しさや寂しさを感じることがあります。
10年近く前の職場で親しくなった人とは、
今も友人関係にありますが、一緒に遊びに行けるのはその人たちだけです。
最近は、もういい歳なので時間ないぞ、人生考えろと心配されていて、
ありがたいことではあるのですが、その人たちと会うのもしんどくなってきました。
今更、新しい人間関係を築くのは難しいし、その為に何かするのもしんどいです。
コンカツも、結婚してやっていける自信がないし、したいとは思えません。
趣味は本やゲームで、オタク趣味寄りで、
おなじような趣味の方とそういう話がしたい、という気持ちはあるのですが、
いろいろと面倒だなぁと思うことの方が多くて、いいや、と諦めております。
これを話したくてしかたない! みたいな情熱もないです。
人と関わることを避けてしまうのは、
自分の精神が未熟なせいだからなのでは、と思います。
自分が誰かにとって価値のある人間になれるわけがないと
思う気持ちや、傷つきたくないとか、ひとを大切に思えないとか。
もっとひとりでも楽しく生きられるか、
人と関わることを面倒臭がらず、怖がらず、向き合えるように
変わるにはどうしたらいいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
とらのすさん、こんにちは。
人に囲まれて生活することはしんどいことですね。
でも、人に囲まれているからこそ楽しさもあります。
「類は友を呼ぶ」と昔からいわれるように、人には波長の合う人がまわりに集る傾向があります。
明るい人のまわりには、明るいを求める人が集まり、そのための材料が自然に集まります。
その逆に、暗い気持ちでいると、明るい人や材料はなかなか寄りつこうとしなくなってきます。
心で思うことは、いつしか口で表現するようになり、自然に身体が行動や態度に表すようになります。
言い換えれば、「しんどい」「面倒くさい」が心の中を占めていれば、その心が言葉のニュアンスに現れ、しんどそうに行動したり、面倒くさそうな態度を取るようになります。
さて、そうなったときに、身の回りに集まる人はどんな人でしょうか?
そう、やはりどこかで「面倒くさいところまでは関わりたくない」「これ以上はしんどい」といった、当たり障りのない人しか集まらなくなります。
心の中の面倒くさいがもっとエスカレートすれば、結果として誰も集まらなくなってしまうのです。
あなたが楽しく過ごしたいなら、あなたが楽しいを求めている必要があります。
面倒だと思っているときには、どんなことをするにも苦痛が伴いますよね。
でも、痛いからといって「まあいいか」を続けていては、いつまで経ってもそこから抜け出すことは出来ません。
何か小さなことでいいのです。
あなたが楽しいことを探して下さい。
遊びでも、仕事でも、生活の中のほんの些細なことでいいのです。
どんな小さな楽しみでも、どんな小さな喜びでもいいのです。
心の中の笑顔は、必ず口をついて外に出てきます。
心の中の笑顔は、必ずあなたの行動に知らず知らずのうちに現れてきます。
放っておいても、あなたのまわりは、あなたの変化を敏感に感じ取ります。
あなたがほんの少し変われば、あなたのまわりも少しずつゆっくりと変わってきます。
そうすればいつの間にか、無理をしないで自然に関われる仲間が、あなたのまわりにあふれていることでしょう。
だって、あなたのまわりの世界は、あなたを中心に回っているのですから。
とらのすさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺 觀音寺 中村太釈です。
とらのすさんが人と関わるのが苦手と思っているのは、「自分が価値のない人間ではないか」という恐れがあるように思います。そこから、自分は価値がないから誰かと付き合っても意味がない、人と付き合っても面倒だ、1人でいた方がマシだと負のスパイラルに入ってしまいました。
とらのすさんがスパイラルの底をのぞき込むと、底なし沼がある。落ちてしまうと戻ってこられなくなると分かっているけれど、現状のままでは嫌だと、どこかで感じています。
だから、1人で行動する時に虚しさや寂しさを感じるのです。
とらのすさんは、価値のある人です。
こうしてhasunohaで質問をして誰かと縁をつなごうとしているのですから。
とらのすさんにとって都合が悪いことを言われるのが嫌で人付き合いにウンザリしているのでしょう。とらのすさんの趣味は本やゲームで、オタク趣味寄りで、 おなじような趣味の方とそういう話がしたいと思うなら、そうしたらいいと思います。
その先を考えてしまうから、面倒くさいになってしまいます。
いいじゃないですか、その場限りでも。気の合う人を探してみてください。きっといるはずですから。
生活するのに、食べていくのに支障なぃんやったら、別に無理せんでもえぇし、頑張らんでもえぇんちゃう?
それで生活してけるんやったら、ある意味めっちゃ羨ましいわ。
ボクなんか、夢は? て聞かれたら、「1キロ四方に人間のおらんとこに住みたい」て即答でけるもん。けど、そんなん無理やん。いろんな人がいて、ボクがおんねんもん。
それなしやったら、ボクていう存在さえわからへんようになる。他人がいてるから、ボクがいてるんやな。
仮に、1キロ四方に人間のおらんとこに住んだとしても、たぶん1か月ももたんと思うわ。FacebookとかTwitterとかで他人との最低限の繋がりなかったら耐えられへんとも思う。
可能なんやったら、一切の繋がり断ち切ってみたらどうですか? それで一定期間、耐えられたら、ある意味すごいと思うし、それがホンマにあなたに合ってる生き方なんかもしれませんね。
合掌
回答ありがとうございます。
楽しいこと、したいことでワクワクするってこともそういえば最近ないなあと気づきました。
まずはそこからとりかかってみます。
ちゃんと質問に目を通して頂けているのか疑問の回答もありますが。
贅沢な悩みにきこえたのかもしれませんが。
ひとりで平気になれるならそうなりたい、なれないから質問したのです。
変わりたいと望むことも傲慢ですか。