すみません、自分の気持ちを軽くしたくて質問させていただきます。宜しくお願いします。
私と主人の間には子供が居ません。
年齢的にすでに厳しく、
授かったとて育てる自信も全くないし、
主人の母から
「あなた達が楽しく幸せに暮らしてくれたらそれで良い」と、
温かい言葉をいただいたのをいい事に
“出来無いのは二人でのんびり暮らしなさいって事なんだ”…と、
開き直り、自分への言い訳にしてました。
が、毎月一定の時期になるとモヤモヤとして堪りません。
もう、子供は望まないと決めたはず。
やりたい事も有るし金銭的にも厳しい。
でも、諦めきれない自分がいて、
けど、子供をこの年齢で作る気力・体力・心の余裕も無く…。
そして、それらが有ったとしても先ず子供が全然出来ずなので…。
出来ない事への苛立ちから卑屈になってみたり…。
何より辛いのは、優しい言葉をかけてくれた義母に…
孫を会わせられない事がとても辛く、
好きな人の子供が欲しかったな…と。
ここまで一通り考えて、また、
子供は諦めたはず…の思考に戻る。
の、繰り返しで…
いい加減ウジウジウジウジと考えるのが嫌で
この気持ちを終わらせたいんです。
どうすればスッキリするんでしょうか…
ダラダラ長くてすみませんでした。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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たとえばご主人に、あなたの相談内容を理解してもらったうえで、つまり、子供はあきらめたと二人で合意したうえでしかし時々未練に思うので愚痴ってしまうけど、気にせず聞いてねと前おきしたうえで、
ご主人に聞いてもらってはどうでしょうか。
追記
なるほど、ご主人が、責められているように思う可能性が気になるんですね。
世の中には、誰のせいでもない、誰も悪くないけどうまくいかないことがありますね。
なのに、自分を責めたり、他人を責めたりしたくなるものですよね。
自然な感情を許しあい、励ましあえるご夫婦でいられるように、お祈り申し上げます。
えいかんさん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺 觀音寺 中村太釈です。
えいかんさんは、子どもを望まないと決めたけれど、あきらめきれずグルグルと考え込んでおられるのですね。体力的にも精神的にも経済的にも子どもを望むことは現実的ではないけれど、もし子どもがいたらと考えてしまうのですね。
えいかんさんにとって幸せとは何でしょうか。
子どもを授かることでしょうか。ご主人と慎ましく暮らしていくことでしょうか。
ここをはっきりしない限り堂々巡りをしてしまうばかりです。
もう一度ご主人とともに考えてください。えいかんさんにとって幸せとは何ですか。
▼願誉浄史様
ご回答ありがとうございます。
そういった状態になることができればいいのだと思います・・
ただ、主人を傷つけるのではと思い(感情が抑えられず当たってしまうかも知れないことも含め)、
言えないでいます。
主人はただの愚痴とわかってたとしても、
きっと自分が責められているような感じに陥ってしまうのではないかと思うと
このことに触れる勇気がありません・・
ですが、頂いたお言葉のような夫婦関係になれればいいな…なりたいです。
▼中村太釈様
はじめまして。ご回答ありがとうございます。
私にとって・・「子どもを授かること」も、「主人と慎ましく暮らしていくこと」も、
どちらも幸せなんだと思います。
子どもといっても誰の子でも(適切じゃない言葉でしたらすみません)というわけではなく
“主人との子”でなければだめで、
そう考えると主人が居ることが、主人と居ることが大前提なんですね。
お言葉をいただいてから、考えて気付いた?認識した?ような…気がします
一緒にいれることが大事で、それ以上望んではいけない、あきらめつけなきゃ・・
▼願誉浄史様
追記の温かいお言葉ありがとうございます。
本来臆病な性格なので覚悟が要るというか…すぐには無理でも、打ち明けて、主人と共に話し合ってみたいと思います。
本当にありがとうございました。