死ぬことを考えない方法
ライブ後の耳鳴り持ちになりました。
何階も質問すみません。
毎日聴いている機械音や電車の音、ヘッドセットでの会話で耳を悪くしていると思うと虚しくて無気力になります。
転職どうしたらいいのか、生き方に答えが出ません。自立したいのに。
聴力が悪くなっても生きていけますか?
聴力低下や病気を気にせずに生きていたら、ある日いきなりが怖いです。
どうしたら、恐怖心を克服して明るく生きれますか。
どうしたら、自分を安心させることができますか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私達は儚い存在ですが
拝読させて頂きました。耳の障がいを抱えて大変おつらい状況かと思います。本当にそのつらさは当事者でなければ分かり得ないかとは思います。が、しかしあなたのそのつらいお気持ちを考えますとこれからのご自分の人生についてなかなか展望が見えずにお悩みなさっていらっしゃることでしょうね。
あなたのお気持ちをお察し申し上げます。
私はあなたのその耳の障がいが少しずつ回復なさることを心からお祈りさせて頂きます。どうか少しずつ回復しあなたのそのつらい思いがいくばくかでも晴れて参ります様にと願います。
そして心を休めて癒して頂き、心落ち着かれます様にと思います。
生きていくこととはとても苦しい思いを致します。病いにあうこと、老いていくこと、そして死にゆくこと、その生きる苦しみを私達は受け入れていくことが必要です。
なぜ自分だけがこんな目にあわなくてはならないのかともお考えなさることもあるでしょう。どうしてこんな苦しい思いをしなければならないのかと怒りや恨みに思うこともあるでしょう。
しかしそれも含めて私達は与えられた生命であり、人生です。
なかなか難しいですが、少しずつでも私達はその法則や摂理を受け入れていくことがやはり大切です。
そして受け入れていくことが自分自身の苦しみから解放されれいく道筋です。
それはあなたがこれから生きていく中でも生命を全うなさった後であっても同様です。
受け入れていくことで私達は再度自分を見つめなおす機会を得られます。
また己れの存在の儚さや小ささや与えられた有難さを感じることもできるのです。
今すぐどうこうではありません。生きていく中で少しずつ少しずつ理解して受け入れていくことです。
そして私達は多くのものに見守られて生きていられるのです。
目の前の現実は変わらないかもしれません。つらい思いは簡単に消えるものではないでしょう。
それでもあなたには今の現実を踏まえて心健やかに生きて頂きたいと切に願います。
私達一人一人は至らない儚い存在です。それでも共に助け合い認めあいながらもしっかりと生きていきたいと切に願います。
あなたの未来がこれからしっかりと開かれ、そして苦しみをも乗り越えていき心健やかに成長して頂きます様にと心よりお祈りさせて頂きます。