私は小さい時に家族と友達から盗みを働きました… 自分の欲望に勝てず行った事です。でも許されない事です。自分の行いはもちろん取り返しもつかない事です。 今ではすごく後悔しています。友達とは疎遠になり謝罪も出来ません…… 過去に帰れるなら…その時に戻ってやり直したい気持ちです。でももちろんそれも出来ません。 こんな罪を犯した私は地獄に行くのだろうと思ってます。でも地獄に行くのが怖い。死も怖い。寝る時になると死が怖くて寝れなくなり、死んだら地獄行きだと思うとさらに怖くて眠れなくなります。 とうしようもない不安や恐怖に襲われてしまいます。
初めてこのサイトで質問をする中学生です。 私は幼い頃、意味もなく虫を殺してしまったことがあります。また、人からお借りしたものを無くしてしまったこともあります。そのことを深く後悔し、捕まえた虫は逃し、精一杯人に親切にするように心がけていますが、今も毎日歩くたびに、手を洗うたびに、息をするたびに、たくさんの微生物を殺し、食事のたびにたくさんの動物の命をいただいて生きています。人に悲しい思いをさせてしまうこともあります。 最近、こんな自分が世界一の悪人であるように思え、命を脅かされることもなく幸せに暮らしていることが心苦しくて仕方なくなりました。すると、死後に罰を受けないはずが無いと思い、何をしていても死の恐怖が頭から離れなくなってしまいました。今この瞬間も生き物を殺してしまっているのだと思うと、心臓がバクバクして、辛くてたまらなくなります。それでも、罰を受けたく無い、死にたくないと思ってしまいます。幸せを実感するたびに、申し訳なさと、死の恐怖で頭がいっぱいになります。自分勝手なことだとわかっていますが、死後もずっと今のように家族や友達と笑い合って、今のように平穏で幸せな暮らしをしたいと思ってしまいます。死によって今の幸せに終わりが来るのが怖いです。 私はやはり地獄へ行くのでしょうか。死んだら、もう二度と大切な人たちと暮らせないのでしょうか。めちゃくちゃな文章でごめんなさい。回答をいただけると幸いです。
お世話になっております。 久しぶりに相談します。 突然ですが死にたいです。 でも怖くて踏み出せません。 人間の生理的なものなので「死にたくない」と思うのは仕方のないこととわかっていますが 『今この曲がり角で刃物を持っている人に遭遇したら刺されるな』とか 『地震でマンションの上の階が落ちてきたらつぶされて死ぬな』とか 『通勤ですれ違ってる人に何かをしてしまって恨まれて殺されてしまうな』とか 常にありもしない妄想で不安になって死ぬのが怖いです。 これを死恐怖症と呼ぶらしいのですが、この症状なのかなと最近思っております。 なぜ死にたいかというと人生に疲れたというか。 私の様子を聞くと、きっと多くの人が「え、そんなことで!」と驚かれるのでしょうが もう、しんどいんで若いうちに人生終わらせたいです。 プライドが高いせいか、思うように人生が進まず『なぜ?』と 劣等感にさいなまれることが多くしんどいです。 知り合いに『今の状態がメリットがあるから無意識にそのように生きている。 そのメリットを享受しているのにデメリットを嘆くのはおかしい』と指摘され、 なんだかもう難しいことは考えたくないし、 死んで困ることはないのでもう生きてる意味もないかなと漠然に考えてます。 そんな時に『死にたくない』を乗り越えれればいつでも死ねるなとふと思いまして。 死ぬための方法はネットを漁ればいくらでも出てきますが、 死を克服するための方法はほとんど出てきません。 死を受け入れる、もしくはその恐怖を克服する方法は何かありませんか? 教えていただけますと幸いです。
初めてご相談させていただきます。 私は死にまつわる物事に異常な恐怖を感じます。 例えばお葬式、葬儀場、霊柩車、火葬場、お墓などです。 始まりは小学生の頃、親戚が亡くなり初めて遺体を見ました。今でも忘れられないのですが、母親から幽霊の話をその時に聞かされて恐怖で逃げ出したい気持ちになりました。その後、成人してから父型の祖父が亡くなった時に初めて火葬場に行きましたが、とてつもなく怖くて出棺後を見届ける事ができませんでした。その後祖母も亡くなった時も怖くて立ち会わず恐怖に苦しみました。 私はどちらかと言うと母方の祖父母の方で育てられました。その2人もこの10年で亡くなりました。その際は最期まで見届けて、骨上げにも立ち会う事ができました。 しかし、その後異常な行動が始まりました。死にまつわる物事に異常なまでの反応をします。 例えば葬儀場の近くはなるべく通らない。 喪服を着てる人を見かけたら、その人が歩いていた所はジャンプしてまたぐ。 電車で見かけたら車両を変える。 霊柩車が通った道は遠回りしてでも避ける。 葬儀に参列した際はその時着用していた下着やシャツなど全て処分する。 カーナビなどで、〇〇苑【葬儀場や火葬場】と言う言葉を見つけると異常なまでに恐怖を感じる。その日、何時間も気にな楽しめない。 霊柩車を1日に何台も見つけてしまう。 小さい頃、霊や悪霊が悪さすると母親から刷り込まれ今だに目に見えない不思議な物を信じて恐怖にかられています。 霊が私に何かするんじゃ無いか?不幸を連れてくるのでは無いか、呪われるのでは無いかと、毎日恐怖にビクビクしてとても生きづらいです。お墓の近くを通ったりした際はすぐに洗車に行きます。 コロナが始まってから余計にこの強迫概念にかられとても苦しいです。 僧侶の皆様にこの様な質問は失礼に当たるのでは無いかと何年も悩みましたが、勇気を出してお伺いします。 どうかこの強迫概念が少しでも楽になる助言をいただけましたら幸いです。 よろしくお願い致します。
不毛な考えに頭が支配され、何をしていても鬱々とした気分になってしまいます。 「マインドアップロード等の技術開発が進んでおり、近い将来、人間が不老不死になるかもしれないこと」を数ヶ月前に知りました。素晴らしい技術と思いました。 一方で、平等であった死すら、経済格差等によって、死ぬ人と死なない人に分かれてしまうことに恐怖を感じました。この技術が確立した際に、家族、特に私の子どもが、私自身が正社員として働かなかったために、お金が足らず周りが不老不死になる中で、死んでいかなくてはいけない状況が頭にこびりつき、毎日苦しいです。 仕事が原因で精神疾患になってしまったこともあり、いまは退職してしまいましたが、上記のことが毎日頭をよぎり、激しく退職を後悔しています。退職の際には、家族からフルタイムで働くことはもうやめた方が良いと言われ、自分自身もフルタイムで働くと子どもに寂しい思いをさせてしまい、さらには私の心に余裕がなくなってギスギスした家庭になるのではと思い、パートや派遣として働いていきたいと思っての決断でした。 前置きが長くなりましたが質問内容としては、 どうしたらこの考え(不老不死の技術が確立した際に自分たちだけ死んでしまうのではないか)を取り去り、過去の決断を受け入れることができるのか、アドバイスをいただけるとありがたいです。 起こるかもわからない未来を恐れて、今を生きることができていない状況です。 長文駄文で申し訳ありません。もしよろしければ、ご回答お願いします。
お世話になっております。 以前より、死の恐怖が強い事について相談している者です。 今回は、坐禅会に行く事以外の方法で、無意識下の死の恐怖と生きていることの気持ち悪さを抑制できる方法があれば教えて頂きたく質問致しました。以下、詳細です。 自分の不安一つ一つに暖かなご回答を頂き、今は「頭でっかちになりすぎず、坐禅会などを通して身体で仏道を学ぶ」ことを教えて頂き、実践したいと思っていました。 しかし、多忙のあまり、一度も坐禅会に行くことができていません。また今後も、先1〜2ヶ月ほど予定が詰まっています。 にもかかわらず、死の恐怖がまた、日に日に強くなっています。特に睡眠後一時間程度で、本当に急に「私は私の身体から逃げられないのだ、いつか死ぬ、死んだらどうなるか分からな、死ぬ現実から逃れられない」と思い出し、自分の叫び声で目が覚めます。夢現のせいで、意識的に考えないようにすることができないため、本当に毎日起こり、それが怖くて眠れなくなり…の悪循環です。これが2〜3ヶ月続いていて、心身ともに参っています。 空き時間に、お薦めしていただいた本を読んだりyoutubeを見たりはしていますが、それを観ている時は少しだけ心が落ち着くのですが、夢現の時の恐怖は抑制できません。お念仏も同様です。また、お念仏の動画を流しながら寝れていた時期もあったのですが、最近はお念仏が切れるとむしろ起きてしまうようになったため、こちらも上手くいきません。 毎日死の恐怖を嫌でも思い出すので、昼間も、自分の手が一人称視点でしか見れない事にふと気がついて、いつか消滅する身体や、死そのもの、それに伴う記憶の消失を強く自覚し、生きているのが気持ち悪く、恐怖で叫ぶ…といった具合に、「生きている事」も肯定できないのです。だから、生きているだけでつらいです。 前置きが長くなり申し訳ございません。 上記したような状況から、少なくともあと1〜2ヶ月ほど、適切な坐禅会などに参加できない中で、「睡眠時の無意識下の恐怖」と「昼間の生きている事の気持ち悪さと恐怖」を少なくする方法について、アドバイスを頂きたいです。 お時間ある時で構いませんので、ご回答頂けますと幸いです。よろしくお願い致します。
4年ほど前に妻が乳がんを患い、それから自身の体の些細な変化に対して、何か病気ではと不安になってしまう、心気症を患ってしまいました。4年の間に気持ちの波はあるものの基本的には常に体に異常が無いか、ちょっとした痛みやできものがあるとパニックになるといった状態です。そしてやたらと色々な病院に行っています。特に最近は酷く、胃が動いているだけで痛みを感じるような不安に駆られるといった状況です。老いや死を受け入れられないのが原因なのかとも考えています。 今を一生懸命生きるようにと考え、目の前にあることをこなすように努力をしているつもりですが、それも上手くいかず困っています。 人間いつかは死ぬ、なるようにしかならないと、自信に言い聞かせても腹落ちが出来ず堂々巡りの毎日です。あるがままを受入れ、気持ちを楽に出来たらと思い悩んでおりますんで、何か良いお言葉をいただけると、ありがたく思います。 どうぞよろしくお願い致します。
死にたくないです。 最近こう思ったのではなく、いつからこう考え始めたか分からないほど昔から定期的に脳裏に浮かびます。やはり死についてですから暗い話になるのであまり考えたくないのですが... 死ぬ際の痛みや感覚に怯えているのではなく、死んだ後の世界が分からないのが嫌なのです。今起きている国際問題や予測されているあらゆる現象がどうなっているのか、死んだらその後の未来が分からず、この目で確かめることができないのが本当に悔しくてたまりません。しかもこの思考が些細な疑問から始まってしまいます。例えば、2222/02/22に立ち会えないということでも悔しくて負の感情に陥ります。どのように祝われるのか、意外と気にせず過ごしているのだろうか...と考えていくうちに、「でもこの時には死んでるんだ」と気づき猛烈に死にたくないと思います。涙を流し眠れなくなる程にです。 考えることをやめることはできません。なのでこの気持ちをどうにか落とし所をつける他無いと思うのですが、逃れられない死にどのように向き合えばいいのでしょうか?
ペットロスから老い、病い、死について延々と考えてしまう時間が長くなっています。 こちらでいただいた回答を読み返し、少しずつ考えが変わってきたような気もするのですが、死ぬまでの過程で病や老いも避けられないと思いまた怖くなってきてしまいました。 (若くして事故なんかで死ぬのは絶対嫌です…) テレビを見ていても医療保険のCMでウッとなってしまうのですが、そこで疑問が浮かびました。 保険に入っている人はたくさんいますが、全員使っていたら商売が成り立たないのでは? もしかして別にそんなに病気で苦しまずまあ寿命といった形で亡くなる方もそこそこいるのではないかと思いました。 お坊さんは色々な方の死に触れていると思いますが、高齢、そんなにひどい病気でもなく割と明るいお葬式だったみたいなパターンもあるのでしょうか? 高齢で亡くなるとそこまで悲しみに暮れず和やかだったというような話も聞くのですが、身近でそういった例がありません。 そんなに病み苦しむこともなく天寿を全うされたような方の死は珍しいのでしょうか?
死、時間が過ぎゆくこと、全てのものとやがて別れなければならないことが怖くてたまりません。 立て続けに可愛がっていた愛猫を亡くしました。 二匹とも老齢で死ぬことは当たり前の年齢、特に苦しむこともなく穏やかな最後でした。 ペットロスなんだと思いますが、猫達がいなくなった哀しみや寂しさの他に漠然とした不安、恐れが湧き上がりしんどいです。 今は一緒に嘆き哀しんでいる家族ともやがて別れがくる、こうしている間も1秒1秒それまでの時間が短くなっている。 その次の別れの瞬間に今のことを思い返しているような、あっという間に来るべき時が来てしまうような気がしていてとても怖いです。 気分転換に外に出ても葬儀場やお墓の看板ばかりが目につき、世界が裏返ってしまったような気になります。 これまでは遠く空の上にそういうものがあって、今生きている世界はしっかり地にあるイメージだったのが、海の上にある小さな小島にいて、すぐ足元に深くて暗い海の底が広がっている、自分が生きている世界はとても心許ないものですぐに溺れてしまうのではないかというような気持ちになります。 在宅勤務でずっとつきっきりだった為か、死を真正面から受け止めすぎた気がしています。 どこに行こうが逃れられないことに気付いてしまいました。 昔の偉いお坊さんが、死ぬ間際に一筆と頼まれた時に死にたくないと書かれたという話を見かけ、偉いお坊さんでも怖いのかとどうしていいか分かりません。 自分が死ぬ前の晩はどんな気持ちか、親が死ぬ前の晩はと、そんなことばかり考えてしまいます。 さっきコンビニへ行ったことも10年前の旅行のことも思い出すとどちらも一緒で、全部の物事がどんどん過ぎ去っていくような、時間が圧縮されてしまってあっという間に全てが終わるような気持ちになってしまいます。 過去が全部一かたまりになっているというか…。 時間がすごいスピードで自分を削り取って過去のかたまりに押し込めていくような感覚があります。 とても怖いです。 仕方ないことを考えるのをやめたいです。 どうしたら今のことだけ考えられるようになるでしょうか。 偉いお坊さんでも死にたくないのに私のような人間が怖くなくなるなんてありえるのでしょうか。 どうしてこんなに寂しく悲しく辛い死や別れが避けられないこととして存在しているのでしょうか。
こんにちは。 女子高校生です。 私は、幼稚園児の頃から、死ぬのが怖くて怖くてたまりませんでした。 自分が死んだ後も、世界は回り続けるし、宇宙は、人間からすれば永遠ともとれる間存在し続ける、でも自分はもう意識がなくて、何も認識できない、ということが、本当に本当に怖いです。 最近、その恐怖が強くなった上、死の恐怖に頻繁に襲われるようになりました。 ふとした瞬間に死について考えてしまい、怯えてしまいます。 今まではそんなことなかったのに、過呼吸みたいになったり、頭から血の気が引いていくのを感じたり、気持ち悪くなったり、鼓動が早くなったりと、最近は恐怖に身体的な苦痛も伴ってきました。 死は、私にとって、これまでの人生の中で唯一のどうしようもない、打ち消せない恐怖です。 なので、この感情の対処法が分からず、パニックになってしまいます。 宗教的に考えて、自分をなだめようとすることもよくあります。 しかし、輪廻転生は、転生した自分は今の記憶は無い、という恐怖が付き纏い、天国や地獄も、それが永遠にしろ終わりがあるにしろとても怖いです。 お坊さまのみなさんは、死への恐怖心とどう付き合われていらっしゃいますか。 御回答どうぞよろしくお願いいたします。
父の事であたまがいっぱいです。 今までは、持病はあるものの元気に過ごしていたのですが、突然体調不良になり原因を追求できないまま日に日に衰えていき、ただうろたえるばかりでした。 認知症かも。 兄弟でそれを告知するかどうか意見が分かれて、うまくコミュニケーションがとれなくなりました。 結果、認知症ではなく他の病気のようで検査待ちですが、コミュニケーションがとれない期間がとても長く、その間に病気がかなり進行してしまい深刻な状況になってしまいました。 私が告知をためらい検査を拒んだことから始まり、周りを混乱させてしまい、その結果父を苦しめる事になってしまいました。 あの時、ちゃんと検査を受けていればもっと早くに病気がわかったのに… あの時、他の病院に行っていれば… あの時、余計なことをしてしまって… あの時、きちんと話し合えば良かった… あの時もあの時も。 何よりも何よりも、父の寿命を縮めてしまった責任を感じ、申し訳ない気持ちと後悔と反省で心が押し潰されそうです。 時間は戻らないとは、分かってはいるものの、今度は、父がいなくなるのではと怖くて怖くてたまりません。 いい大人なのに、未熟者で情けないです。 父に対する罪悪感と死に対する恐怖心と、どう向き合っていけばいいのか教えていただきたいです。 よろしくお願いします。
入院中、薬品のアナフィラキシーショックで「死ぬかもしれない」と思う体験をしてから、近く自分が死ぬのではないかとものすごい恐怖に襲われパニックになります。 あの闇に呑まれるのではないかという感覚、ある程度年齢を重ねれば違うのかも知れないけど、わたしはまだ若く、もし万が一そのようなことになったらまだまだやり残したこと(やりたいこと)、叶えたい夢、思いがたくさんありとても強く、不安や恐怖も人一倍強いため、死ぬのは物凄く恐く苦しいだろうと想像してしまい、どうしようもなく辛いです。気になって過去、今のわたしと同じくらいで闘病して亡くなった方のドキュメントなどを見てしまい、余計ものすごく恐ろしく感じました。 入院中の体験から3ヶ月ほど経ち、体験そのものの記憶は薄れつつありますが、どうしてこんなにも恐怖が根強く残っているのか、自分の体のことが気になってしまってもし万が一○○(怖い病名)だったらどうしようといても立ってもいられないほど怖くなります。わたしは死にたくないです、怖い病気には絶対なりたくないし、手遅れの状態はもっと嫌です。 毎晩目が覚めてしまい、不安が押し寄せてきてとても恐くなります。不安が収まりません、 どうぞ宜しくお願いいたします。
弟のことでいつも支えてくださってありがとうございます。 人間は必ず死ぬということはわかっています。 私は自分の死が怖いというよりも大切な人がこの世からいなくなってしまうことが耐えられません。 先日も弟がある日突然亡くなりました。病死でした。 仕方がないということはわかっています。 だれでもいつかはなくなるのですから。。。。。 でも、大切な人がこの世からいなくなってしまい、会えないつらさということに耐える自信がありません。 弟も、頻繁に会っていたわけではありませんが、本当につらいです。 時間が解決するかもしれませんが、どうやって乗り越えていくべきでしょうか。 今は普通の日常を送れていることに感謝しながら、突然襲ってくる悲しみに耐えながら生きています。
お世話になっております。 いつもこちらの投稿を見させていただいています。 現在、がんの疑いで生検をし、結果待ちです。 エコーで見たところ、「(腫瘍の)形、大小バラバラなのが気になる」と何度も言われ、ほぼ悪性なのではないかと思っています。 正直、20代でこのような可能性がでてくるとは思っておらず、困惑しております。 仕事中や家にいるときも、悪い想像(転移しているのではないか、ステージが進んでいるのではないか・・等)をしてしまい、動悸がします。 実家の家族や旦那はとても優しいです。 いつも診察の際に付き添ってもらっていて、とても感謝しています。 自分が自身のことだけでいっぱいいっぱいなことにも罪悪感があります。 病気や死など、どうにもならないことに対しての恐怖が昔からあり、パニック発作がでることもありました。 みなさんは、どのように乗り越えていらっしゃるのでしょうか? まとまりのない文章ではございますが、教えていただけましたら幸いです。
以前よりお世話になっております。 私は死の恐怖と、それに伴う宇宙や自分の存在などといった説明のつかないものに対しての恐怖が異常に強く、困っています。 「今生きている幸せな世界(自分)はいつか終わる」「そして二度と戻らない」と思うことが頻繁にあり、その度に発狂したり、自分を殴ったりしてしまいます。 そのため、この強すぎる恐怖への対応策を探しており、hasunohaを利用させて頂きながら様々な角度から死について考えています。 しかし、死について考えるだけでも恐怖に襲われ、精神状態が極めて悪化してしまうのです。上記のような状態になってしまいます。 死について考えるのをやめると、日常の快適さは保たれます。ただ幸せで、よく食べてよく眠れます。 でも、それは問題を先送りにしているだけではないかとも思います。死ぬ間際になって、恐怖に溺れて発狂している自分を思うと、今のうちから解決へ努力すべきなのではないか、と思います。 これについて、どうやってバランスを取っていけば良いのでしょうか?お坊さん方のお考えをお聞かせ頂きたいです。 また、以前の質問で、仏教の教義を理解しても「受け入れる」事ができていないと教えて頂き、まさにその通りだと思いました。 死に限らず、「強い恐怖を伴う現実を、受け入れる」のは、どうしたらできるのでしょうか? 漠然とした質問で申し訳ございません。ご教示頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。
最近母親が、突然希少がんを宣告されました。父親も小学生の時病気で亡くなり、父親側の母も病気で亡くしています。 母親には大変な中1人で育ててもらいましたが、自分は今フリーターで、全然親孝行も出来てない状態のまま逝ってしまうかもしれないと言う悲しさと、不甲斐なさと。一人っ子なので、1人になってしまう恐怖があり。 母親からは、自分が居なくなっても良いように準備してよ~と、母親の事より自分の心配をしなさい。と言ってくれますが。 今更ながらその言葉の重みを感じ、切り替えて頑張ってはいるのですが。ふとした瞬間母親との時間はもう少ないんだ...と考えてしまい涙が止まりません。 今まで甘えてきてしまった自分が一番悪いのですが、何とか気持ちを切り替えられるお言葉が欲しいです。そして病気の母親との過ごし方や寄り添い方で何かアドバイスがありましたらお願いしたいです。
以前よりお世話になっております。 私は常に死が怖く、近頃は恐怖感と絶望感が以前より一層強いです。恐怖に襲われると自分を殴ったり、突発的に大声をだすなど、パニックになります。 そこで、どうにか恐怖を減らしたいと思い、仏教を中心に勉強しているのですが、勉強中は強く死を意識してしまって恐怖でおかしくなります。 私は死=自分や(今私が五感で感じている自分自身の感覚)世界の消滅と強く感じており(この認識を変えようと勉強していると、パニックが起こり‥.の繰り返しです)、いつか消滅するのに今は存在するという状況が、本当に全く理解できないことが引き金になりパニックになります。 存在とは空であり、縁起によって仮に成り立っている、と以前ご教示頂きました。理屈はわかるのです。他にもたくさん仏教について、今までご教示頂いています。 それでも、世界がある、そして自分がいる、自分も世界もいつか消えるという恐怖感には、私の今まで蓄えた知識では到底太刀打ちできないんです。 死の恐怖は、生物の本能として当然だと理解しています。でも、本当につらいんです。恐怖を消してしまいたい。毎日動悸と自分のうめき声で目が覚めて、「生きている!じゃあいつか死ぬんだ!死にたくない!」と絶望するのが、本当につらいです。 生まれなきゃこんなに辛い思いはしなかったはずだと、思わずにはいられません。最後は絶対死ぬのに、生まれるなんて残酷です。 私、どうしたらいいですか。 毎日、自分が世界に存在していることを認識するたびつらいんです。恐怖を減らす為に勉強してるのに、恐怖感は増幅するばかり。 起きていても、眠るのも、目が見えるのも、全部怖いです。それらは全部消滅するものだから。消滅ではなく変化だとしても、「何に変化するのか」わからないことも怖いです。来世があって、虫になったら、今日見た蝉のように踏み潰されるのが怖いです。私はいつか消滅する存在だなんて、理解しようとすればするほど、残酷すぎて怖くて、つらいです。 この、「絶対にわからないことへの恐怖」へ、どうやって立ち向かったらいいですか。もう、本当に、本当に、怖くてたまらないんです。 乱文で感情的で、本当にすみません。以前からご回答にお時間を割いていただいているのに、成長できていなくてすみません。 お時間ある時で構いません。どうか、助けてください。本当にすみません。
はじめまして、始めて投稿させていただきます。私は幼い頃から死ぬことに対して過剰なまでに恐怖を感じてしまうたちでした。 母親が死んだらどうしよう、弟が死んだらどうしよう。そんな事を母に伝えては不安で泣きだし暫く落ち込むような子供だったそうです。 大きくなってそれは少し収まってきたのですが、ここ数年理不尽に殺されると言うことにまた一段と恐怖を感じてしまいます。 具体的に言うと凄惨な事件、戦争などです。 現在大切な家族がいて美味しいご飯を食べれてお風呂や洗濯で清潔を保てて、布団で眠る。コロナ禍で友達とはなかなか会えませんが連絡を取るツールはあるし、片思いですが好きな人もいます。 仕事はお給料が安いし大変ですが自分でお金を稼いで微々たるものですが毎月貯金も出来、過剰な贅沢は出来ませんがたまに好きなものも買える。 お金持ちではありませんが幸せだと実感しています、感謝もしています。 たまにですが祖母の写真に手を合わせたり、気分を害してしまうかもしれませんが神様に祈ったりもしています。 でもその生活がある日不条理に突然無くなったら?通り魔に襲われてしまったら、戦争や侵略で酷い目にあって殺されてしまうのでは。 自分も含む私の大切な人たちが恐ろしい思い、痛い思いをして死んでしまうようなことがあったら? そんなことばかり考えて毎日不安と恐怖で眠れなくなり、震えてしまい、嘔吐してしまいます。 人間はいつか死ぬとわかっているのですが、それでも他者の手による理不尽な死というものが怖くて仕方ありません。 特に最近の社会情勢を見ていると不安でどうにかなってしまっています。 何かアドバイスを頂けたら嬉しいです。
以前よりお世話になっております。毎回真摯なご回答を頂き、本当にありがとうございます。 今回お聞きしたいことは、八聖道によって死の恐怖が消せるのかということです。以下、詳細な私の現状です。 私は「死んだ後自分がどうなるかわからないことへの恐怖」と、「自分と世界が存在している(五感で感じ取れる)ことの恐怖」を常に抱えています。 そこで仏教を自分なりに勉強した結果、四諦と八聖道を知りました。恐怖克服のため、ぜひ八聖道を実践しようと思いました。 現在は在家で修行がしたいと思っています。正思、正語、正業、正命、正精進、正念は、日常生活の中でなんとなく「これに気をつけて生活すべきなんだな」という具体的な実践が思いつきます(といっても、素人の浅知恵で、悪口を言わないなどの程度です。ここに関しても今後もっと勉強していきます)。 しかし、正見と正定は、瞑想(座禅)などを行なって会得するものだと拝見しました。 私は禅宗(臨済宗や曹洞宗など)の教えも好きなので、座禅を日常に取り入れたいと考えています。ですが、禅で有名な一休さんでさえ、「死にとうない」と言って死んでいったと聞き、正直とても怖くなりました。 座禅を含め、八聖道を実践していっても、死や存在の恐怖は克服できず、怯えたまま生きて死ぬしかないのか?と不安です。 hasunohaでは、座禅の中で悟りのような経験をされている方や、「実践を伴って初めて仏教がわかる」とご回答されている方をよくお見受けします。そのため、知識を学ぶだけではダメで、具体的な実践をして初めて、疑り深い私でも「仏教を知識だけでなく心で納得する」ことができるのだと考え、八聖道を実践しようと思いました。 長々とすみません。以上の流れから、 1.八聖道(座禅含む)を実践していったら、死と存在の恐怖を消すことができるのか? 2.もし出来ないなら、私は今後どうしていったら良いのか?(恐怖に苛まれるのは本当につらいので、なにか解決策があればご教示頂きたいです) の2点をお伺いしたいです。 また、私の現状の中でも、間違ってる行動や考えがありましたら、ご指摘頂ければと思います。 長文になってしまい申し訳ございません。お時間ある時で構いませんので、ご教示頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。
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