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死恐怖症かもしれない

回答数回答 3
有り難し有り難し 11

お世話になっています
皆様の質問と回答を参考にさせてもらっています
自分について考えてみたのですが私は子供の頃から死恐怖症なのかもしれません
子供の頃から死を連想させる物が苦手で避けてきました
お葬式や法事だけでなく歴史の授業や空や海も死を感じさせるせいか嫌いでした
知り合いに赤ちゃんが産まれたと言われた時ですら嫌な気持ちになりました
子供の頃から色々な物が怖かったです
時間が経つ事そのものが怖いです
若い頃は嫌な気持ちになっても音楽や映画など好きな事して何とか若さで誤魔化せていたのですが、最近は今まで好きだった趣味などにも興味が無くなってきて誤魔化せなくなってきました
何を見聞きしても頭の中が嫌な気持ちや恐怖心でいっぱいになってしまい生活しているだけで疲れます
孤独感も感じます
こんな自分を変えて死恐怖症を克服したいです
穏やかに歳を取って死にたいです
どうすれば良いと思いますか
よろしくお願いいたします

2025年5月16日 22:42

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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ご相談くださり、ありがとうございます。
「死が怖い」という気持ちを、これほど丁寧に、誠実に見つめてこられたあなたの姿勢に、心から敬意を表します。

まず最初にお伝えしたいのは、死を恐れる気持ちは、人間としてごく自然な感情だということです。
仏教の開祖・お釈迦さまもまた、生・老・病・死の苦しみを深く見つめ、「この恐怖や不安をどうしたら越えられるのか」と探求されました。

つまり、あなたが今感じている苦しみは、決して「特別な悩み」ではありません。
むしろそれは、本当の意味で「生きる」ことを考えた心の動きでもあるのです。

歴史や空や海すらも“死”を連想させるという感覚は、言い換えれば、世界の移ろい・無常さを肌で感じ取るほど敏感な感受性をお持ちということです。

仏教では、すべてのものは「生まれては変わり、やがて消えていく」と説かれ、
それを「無常(むじょう)」と呼びます。

そしめ、一日一日を大切に生きる智慧でもあります。

恐怖を否定せず、「そう感じている私を、今日一日だけでも大切にしてみよう」――
まずはその“肯定”から、苦しみは少しずつやわらぎます。

1. 「死は“未来のこと”」と理解する
仏教では、「死」は確かに避けられないものですが、それは「今起きるわけではない」とも説きます。

そういう意味で、私たちが本当に考えないといけないのは、生きている、“今この時"です。

未来の不安に心を奪われるのではなく、
「今、手に持っているお茶が温かいな」「今日の空は少し明るいな」といった、
“いま生きている実感”に意識を戻してみてください。

2. 「仏のまなざし」に包まれる感覚を持つ
浄土仏教では、阿弥陀仏という仏さまが
「どんなに苦しみを抱える者も、見放さず迎えに来てくれる」と誓われています。
「死」は終わりではなく、仏の光に還っていく旅立ちだと考えるのです。

そう思うとき、「死ぬのが怖い」という思考から、今のこの人生をどう生きようか、どう安らかに迎えようか」という思考へと、少しずつ心が変わっていきます。

あなたが望んでおられるように、
「穏やかに歳を取り、安らかに死を迎えたい」という願いは、すでに“仏の心にかなう祈り”です。

どうか、恐怖にとらわれた自分を責めず、
「この苦しみを越えたい」と願う自分を、大切にしてあげてください

2025年5月17日 0:39
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有り難し
おきもち

広島の山あいで、今日も「なんまんだぶつ」とつぶやいています。 浄土真宗本願寺派の僧侶、ケンコウと申します。 日々の中には、言葉にならない思いや、誰にも言えないもやもやがあるものです。 そんな時こそ、仏さまの教えが、ふっと心に灯りをともしてくれることがあります。 この「はすのは」では、あなたの声に耳を傾けながら、一緒に“いま”を見つめ直す時間をつくっていきたいと思っています。 堅苦しくなく、あたたかく、時にゆるく。 どうぞ、あなたのお話、聞かせてくださいね。

生きることも『こわい』ですよね

はじめまして。投稿拝見しました。
Jikaiと申します。

死に対する恐怖や、時間の流れに不安を感じる気持ちは、決して珍しいことではありません。
仏教でも「生老病死」は誰もが避けられない苦しみとされており、そこから逃れたいと願うのは、人間としてごく自然なことなんですよ。

しかし、仏教の考え方には、「恐怖をなくそう」とするよりも、「恐怖と共に歩む」視点があるんです。
たとえば、死を「遠ざけるべき忌まわしいもの」として見るのではなく、「限りある命のありがたさを教えてくれる存在」として受け取る。
こういったようなことです。

そうすることで、今この瞬間に目を向けやすくなるんですよね。

「いまここにあるもの」へ心を置いてみる。
空や海、音楽、会話、呼吸…
ほんの小さなことでもいいんです。

不安や恐怖が湧いても、それを否定しなくていい。
ああ、また出てきたな、と静かに受け止める。
「観る」だけでいいんです。

ひとりで抱えるのは本当に苦しいことです。
だけどこうして言葉にしてくれたこと、それ自体が本当に大きな一歩です。

「穏やかに歳を取りたい」と願える心があるなら、きっと大丈夫。
焦らず、少しずつ、自分との付き合い方を変えていけます。

2025年5月17日 10:00
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有り難し
おきもち

個別相談可能
問いの正解はわからないですが いっしょに考えることはできるかもしれません^^
ハスノハ姉妹サイトの🍀ハスノミ🍀の運営もしています😉✨

ご安心なさって下さい

拝読させて頂きました。
あなたが死恐怖症になってしまいとても悩んでいることを読ませて頂きました。詳細なあなたのことや今までのことはわからないですけれども、あなたのその辛いお気持ちを心よりお察しします。
あなたが様々なものを見ても聞いてもつい死を思い出してしまって恐れを抱いてしまう、そのお気持ちはわかるように感じます。
あなたが思う様に死は私達の命や人生の直ぐ隣り合わせにあるのです、私達生きものは全て死から逃れられないのです。このように今生きている中でも死はそばにあるのです。

確かに死への恐怖はあるでしょう、その近づいてくる恐怖に恐れおののいてしまうのもとてもわかるように感じます。

ただその恐れは自分が作り出していってどんどん大きくなっていってしまいます。その恐怖は自分自身が作り出して大きくしてしまったものです。そして恐怖自体に恐れおののき冷静にものごとを見たり自分を見直したりできなくなってしまい、正しく判断することもできなくなってしまうでしょう。
ですからちょっと一息落ち着いて自分が生きること死んでいくことにお向き合いなさってみることもいいかと私は思います。
先ず自分が今生きていることをしっかりと実感なさって下さいね、生きていることを大切になさって下さい、生きている中でのご縁を大切に感じて下さい、そして与えられた命や人生や恵みに感謝なさって下さい。

そして私達は必ず与えられた命を全うしていきます。そして仏様や神様が優しく導いて下さり、先に往かれた親しい方やご先祖様が私達をあたたくお迎えなさって下さいます。そしてご先祖様達と再会されて心から安心し一切の迷いや苦しみや恐れからも救われていくでしょう。ご先祖様と一緒に清らかに安らかにご成仏させて頂くことができ、ご縁ある方を優しく見守り続けて行くことができるのです。

あなたがこれからの未来を皆さんと一緒に健やかに生きることできます様に切に、与えられた命を大切に全うしていくことできます様に、そして天寿を全うなさる時必ず仏様や神様がお導き下さり、ご先祖様がお迎え下さり、ご先祖様と一緒に清らかに安らかになりますように心を込めて仏様や神様やご先祖様にお祈りさせて頂きます。至心合掌

2025年5月17日 10:23
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有り難し
おきもち

個別相談可能
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

質問者からのお礼

皆様ありがとうございます
恐怖を否定せずに仏様と一緒に歩んで行こうと思います

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