死の恐怖との向き合い方
貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。
朝や日中は基本的にポジティブに物事を考えられるのですが、夜布団に入り、ふとした瞬間に自分もいつか死に、消え去るということが頭をよぎり、恐怖で眠れなくなることがあります。
・みんな通る道である。
・まだまだ先のこと。歳を取れば怖く無くなる。
・自分がいなくても世界は回る。
・生まれる前と同じ状態になるだけ。
・まだやりたいことがある証だ。
こういった理屈は自分でもわかっているものの、それでも唐突に発作のように恐怖がよぎってしまうのです。
逃避などではなく、向き合った上で克服したいです。アドバイス頂けますと幸いです。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
死の恐怖は、敵ではない
ご相談いただきありがとうございます。
まず、「克服しよう」としてる時点で方向を間違えているように思えます
「死の恐怖は、敵じゃありません」。
・生存欲
・未練
・「まだ足りない」って感覚
・「このまま終わりたくない」って焦り
それが夜になると一気にまとめて顔出してくるだけなんです。
昼は理性がフタして
夜はそのフタが外れる
ただそれだけです。
「向き合えば克服できる」は半分正解、
向き合うのはいいですが、真正面から睨み合っちゃダメですよ。
死の恐怖って、
理詰めで殴ると倍返しで殴り返してくるタイプなのですから
頭じゃわかってるのに怖いのは、
怖がってるのが「思考」じゃなくて「身体」だからです。
特に夜は「人生」を考える時間にするのはお勧めしません。
夜の布団で人生とか死とか考えるのは、
空腹でスーパー行くくらい危険だと思います。
夜に出てくる思考はね、
ほぼ全部“割増料金の妄想”です
・考えても答え出ないし
・判断力も下がってる
・感情だけが増幅される状態である
だから「今考えてることは、明日の昼に持ち越し」
メモに書いて、終わればいいんです。
恐怖が来たら「分析」じゃなく「実況」してみること
×「なぜ怖いんだろう」
×「克服しなきゃ」
〇「今、心臓がドクドクしてる」
〇「息が浅いな」
〇「肩がガチガチだな」
仏教でいう“心を観察”する行為です
評価しない。意味づけない。実況だけ。
すると、不思議と波が引くと思います。
最後に、國山さんは、
死が怖いんじゃなくて「このまま終わるのが嫌」なのかもしれませんね。
・友達が少ない
・満たされてない
・まだ途中
だから夜に来る。
もしそうであるなら答えは一つです。
克服するんじゃなくて。
生きて抜いて埋めなさい。
昼に。現実で。
人と関わって、失敗して、面倒な思いして。
それでも生き抜くことで
夜の恐怖が薄まっていくように思います。
恐怖は敵ではありません。
生き抜きたい國山さんの気持ちです。
しっかりと、受け止めてあげてください。
死の恐怖は、寂しさや虚しさから生まれることも
國山さん、はじめまして。このハスノハにご相談くださり、有り難うございます。
國山さんが抱えている「死への恐怖」の背景を想像してみました。その中には、「誰にも認められないまま、誰にも憶えられることなく、ただ消えていくだけなのではないか」というような、寂しさや虚しさが含まれているかも知れないと思ったのですが、いかがでしょうか?
私たちは、誰かとのつながりや、誰かからの「有り難う」という言葉によって、自分の存在価値を実感することが多いです。そのご縁が少ないと感じる時、「自分は空っぽだ」「生きている意味がない」という不安が、死への恐怖となって現れることがあるように思うのです。ですから、人と関わりしっかりと現実を生きることは、園山さんにとってとても大切なことです。
それに加えて、私からもう一つ。「私たちは、誰かから承認される以前に、すでに仏さまに丸ごと受け入れられ、認められている存在なのですよ」と、お伝えしたいのです。阿弥陀さまという仏さまは、國山さんの自己肯定感が高いか低いか、友人が多いか少ないか、そういった条件で國山さんを評価することは決してなさいません。ただ、今ここにいのちをいただいている、そのこと自体が「尊い」と、分け隔てなく温かい光で照らし続けてくださっています。これは、誰かと比べて優れているから認められる、という相対的な承認ではありません。ただ「在る」だけでいいのだという、絶対的な安心感なのです。
夜、ふとした瞬間に恐怖が訪れたら、ぜひこの仏さまの眼差しを思い出してみてください。そして、ご自身の胸にそっと手を当てて、「お陰さまで、今日も一日、この心臓は動き続けてくれた。有り難い」と、ご自身のいのちそのものに感謝を向けてみてはいかがでしょうか。外からの承認を求める心が渇く時こそ、すでに自分に与えられているいくつもの有り難さに気づくことで、内側からの静かな安らぎが感じられるようになるでしょう。
そして、本当の意味での寂しさや虚しさを超えてゆける教えが、仏教にはあります。せっかく人間として生まれ、仏教に興味を持ってくださった園山さんですから、仏教への興味・関心もぜひ持ち続けてください。
「私は、仏さまに応援され、見守られているのだ」という安心感を土台にして、焦らずに現実を一歩ずつ歩んでいってください。ハスノハ一同も、國山さんのこれからを応援しております。
おきもちお察しします
拝読させて頂きました。
あなたが寝ている時など死がとても怖くなってしまうこと読ませて頂きました。あなたがそう思ってしまうことはとても自然なことだと思います。詳細なあなたのことはわからないですが、あなたのそのお気持ち心よりお察しします。
そうですね、死ぬことは避けては通れないものです。ですから私達は死を恐れるのです。それは決してあなただけではありません、誰しもが恐れや不安になるものです。生きているということは自ずから死に向き合っていくことです。死に対して畏敬の念を抱いたり不安や恐れを抱くことはとても普通のことです。
そんな思いを仏様や神様やご先祖様は受け止めて下さいます。あなたのその思いを心から仏様や神様やご先祖様に手を合わせてありのままにお伝えなさってみて下さい。そして仏様や神様にどうかお救い下さいとお願いなさって下さいね。
仏様や神様はあなたの思いを全て優しく受け止めて下さいます。仏様や神様はあなたの心に寄り添って下さいます。
そして死は私達の人生の通過点です。亡くなったとしても必ず仏様や神様がお導き下さり、先に往かれた親しい方々やご先祖様があなたを優しくお迎えなさって下さいます。そして親しい方々やご先祖様と再会され喜び合い、一切の迷いや苦しみから救われて心から安らかになり、一切の迷いや苦しみから救われて心から清らかにご成仏なさっていくことができるのです。そして生きるご縁のある方々を仏様や神様やご先祖様と一緒に穏やかにお見守りなさるのです。
どうか安心なさって下さい。
あなたがこれからの未来に仏様や神様やご先祖様にあたたく見守られ、大切な方々と一緒に心穏やかに健やかに毎日を生きることできます様に、皆さんとお互いのことを思いやり幸せを分かち合い生き抜いていかれます様に切に仏様や神様やご先祖様に祈っております。
そしてあなたが与えられた天寿を全うなさる時必ず仏様や神様がお導き下さり、親しい方々やご先祖様が優しくお迎えなさって下さり、あなたが親しい方々やご先祖様と再会なさり心から安心なさいますように切に仏様や神様やご先祖様に祈っております。至心合掌 南無阿弥陀仏なむあみだぶつ



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◆「絵本のお坊さん」として、絵本を通じて人生を見つめ直す活動を行っています。◆死別、離婚、退職、不安など、様々な喪失を抱える方のお話に寄り添い、仏道の教えを分かち合いながら心を癒すお手伝いをしています。◆資格:グリーフケアアドバイザー1級、発達障害コミュニケーション初級指導者。